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上大岡の線路脇に佇む昔ながらのラブホテル「ホテル マヤ」に突撃!

ココがキニナル!

京急上大岡駅の線路脇にあるホテルマヤ。昔からあり、外観もボロボロで誰が利用するのかと不思議。数年前に少しは外観をリニューアル?経営は成り立っている?(ayuminさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1972年に誕生した「ホテルマヤ」は社長の経営力と地域の人の利用でちゃんとにぎわっている。社長はヒマラヤ山脈へ登山したり旅に出たりしている

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ライター:山崎 島

ひさかたのラブホテル記事。今回は京急線に乗っていると上大岡駅のひょいと向こうに見える、ただならぬ存在感の「ホテルマヤ」。京急線を利用するみなさんも、だいぶキニナっていたことと思います。

そんなキニナル「ホテルマヤ」へのファーストコンタクトは2015(平成27)年6月。「社長は諸事情で8月以降の戻りになります」とのことで、あ、ここはただならない場所なんだな、やっぱり。と妙に納得してしまった次第である。

建物も、そして社長もただならなそうな「ホテルマヤ」に、一眼レフをぶら下げ小走りで行ってまいりました。



約50年の歴史を持つ老舗ラブホテル

 


京急線・横浜市営地下鉄上大岡駅から徒歩約2分
 

大きな通りをちょっと入ったところに
 

ホテル マヤはある
 

シンプルな外観に
 

どことなくレトロさを感じるこの看板

 
ラブホテル特有の「どうだ!! これでもか!!」という派手さはないが、逆にそれがミステリアスな雰囲気を醸し出している。なんか惹かれる、惹かれるよ「ホテル マヤ」。
 


良いですなあ
 

よっおーしお邪魔します
 

おっ

 
建物に入るとすぐに目に止まったのは・・・
 


こちらの機械
 

これは初めてお目にかかりました

 
お部屋の写真がズラズラっと並んでいるあのパネルではなく、同ホテルはこちらの機械でお部屋を選び、最初に清算してから入室する。うわー、触りたーい!!
 


ふと見るとカウンターに真っ白い観音様が・・・思わず合掌

 
ロビーには・・・
 


自動販売機や
 

ナイスな傘入れもある

 

このロビーだけでも、小1時間は満喫できそうだなあなんて思っていると、カウンターの奥からご年配の男性が。

  

お写真は苦手だそうで、ヒマラヤ山脈へ登った時の貴重な一枚をご提供くださった

 
お優しそうだけど、しっかと威厳も感じるこの男性こそが「ホテル マヤ」社長、加藤和夫(かとう・かずお)さん。ここ上大岡で約60年、ご自身で商売を立ち上げ、続けてきた加藤さんには貴重なお話を伺うことができた。

加藤さんが商売をはじめたのは1955(昭和30)年。大学を卒業して3年ほど会社勤めをされたが「俺はサラリーマンが性に合わない」と感じ、当時横浜でも数えるほどしかなったガソリンスタンドを開業した。

その後むくむくと事業を拡大し「有限会社 ブラザー石油」を設立。ガソリンスタンド4店舗、プロパンガス屋を1店舗を経営するほどに。が、1970(昭和45)年に上大岡-関内間の横浜市営地下鉄が開通したのをきっかけに「これからの時代はガソリンじゃないな」と先を読み、少しずつ事業を撤退していった。

 


1976(昭和51)年ごろの横浜市営地下鉄(資料提供:横浜市交通局)

 
「もともとこのホテルが建っていたところは、ガソリンスタンドの倉庫だったんです。空いたドラム缶などを保管していました。安全面や、手狭になったこともあり、倉庫を別の場所に移し、跡地に最初はマンションを建てよう、と考えていたんですね。でもこの場所にはあまり大きな建物は建てられなかった。ではどうしよう、といろいろ思案した結果、駅から近く、ほどよく人通りの少ないこの場所だったら、ラブホテルなら長く商売できるのでは、と」。
 


1970(昭和45)年ごろの上大岡駅周辺。だいぶ今とは違うなあ(画像提供:港南歴史協議会)

 
当時はラブホテルがまだ「さかさくらげ」と呼ばれていた時代。「ラブホテルを経営するなんて、娘二人が嫁に行けなくなっても良いのか」と、周りの人から言われることもあったそう。しかし加藤さんは「悪いことや、ズルをするわけではない!!」と、反対を押し切り、昔からの付き合いのある銀行へ計画をもっていった。
 


こちらも1970年ごろの上大岡駅前通りですぞ(画像提供:港南歴史協議会)

 
そのころはちょうどオイルショックの影響で、お金を借りるのが難しいのでは、という懸念もあったが、銀行も加藤さんには信頼をおき、非常に協力的になってくれたそう。そして1972(昭和47)年「ホテル マヤ」を開業。上大岡のキニナル名所が誕生した。その19年後には、駅の反対側に「ホテル トリアノン」を建て、現在は娘さんが代表を勤めていらっしゃる。
 


トリアノンはこちら

 
それからキニナル投稿にあった「外観のリニューアル」や「経営が成り立っているか」については「ホテルは10年前ぐらいに建て替え工事をしてからは、外観、内装共に一切手を加えていません。経営についてですが、2017年で商売を始めてから60年になりますが、一度も不渡りを出したことがありません」とのこと。

同ホテルの客層は、以前はご年配のカップルが多かったが、現在は上大岡にショッピングモールができたためか、若いカップルの利用が増えた。
 


建物入口付近にも料金看板がかけられているが「~」なので注意

 
ホテル マヤの料金システムは、以下のとおり。休憩は午前6時~午前0時までの間、入室してから3時間制。料金は3900円~5200円と、部屋によって違う。宿泊は午後10時~翌日午前10時で7900円・8200円・9200円。

駅近なのに人通りが少ない立地にあり、かつ休憩3時間制で利用客の回転も良い。何よりも「ホテル マヤ」に来たくなる魅力があるし、心配するようなことはないのだろう。

お話を伺いながら、加藤さんの社会の流れを先読みする鋭い目ヂカラにただただ驚くばかりだった。そんな加藤さんから筆者山崎へのアドバイスは「早めに結婚しないさい」とのこと。はい、相手がいればいつでも・・・!!!

そんな加藤さんはヒマラヤ山脈など、険しい山へ60代で登山したり、世界各国を旅したそう。「ホテル マヤ」という名前の由来は「マヤ文明の遺跡がとても印象に残っていたため」なのだとか。
   


ものすごくアクティブな加藤さん 
  

1991(平成3)年にはヒマラヤにも登った

 
上大岡から世界のことまで、いろいろお話伺えた。加藤さんありがとうございました。