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時代とともに姿を消していった横浜の貨物鉄道とは? 東高島駅の歴史を追う!(前編)

ココがキニナル!

日本貨物鉄道株式会社の「東高島駅」ってどんな駅ですか?気になります...(おにいさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

今回は横浜駅周辺の鉄道史を俯瞰しながら、1924年に貨物駅「東高島駅」が開業するまでと、その後の戦争前夜までの展開を。戦後から現在までは後編で

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ライター:永田 ミナミ

まずは横浜に貨物線が走るまで



東高島駅は、現在は鉄道の貨物駅としては役目を終えているように見えるが、かつて海運貿易において活躍した貨物駅のなかで、今日まで駅舎と看板を残す唯一の場所である。
 


横浜市神奈川区星野町4。奥に見えるホームの上は現在は駐車場のようになっている

 
横浜といえば開港の街だが、宿場町である神奈川から少し遠い距離をとって横浜が開港されたという話は広く知られている。開港された1859(安政6)年当時、横浜には現在の大さん橋入口付近に突堤が2つあっただけであった。

その後、1864(元治元)年に現在のホテルニューグランドの前あたりに新たに2条の突堤が増築され「東波止場」あるいは「仏蘭西<フランス>波止場」と呼ばれたため、当初の突堤は「西波止場」あるいは「英吉利<イギリス>波止場」と呼ばれた。

1866(慶応2)年に発生した大火のあと、西波止場の改良工事がおこなわれ突堤が延長。延長部分の東側は「象の鼻」と呼ばれるようになった。
 


1885年『改正銅版横浜地図』だと西波止場ではなく「大波止場」となっているが(横浜市中央図書館提供)
 

1910年発行の『改正横浜新地図』では「英吉利西波止場」「仏蘭西波止場」とある(横浜市中央図書館提供)*クリックで拡大

 
こちらの地図では赤枠で囲んだ「英吉利西波止場」のすぐ横に、翌1911(明治)年に完成する新港埠頭の位置も点線で示されているほか、横浜駅の東側に枝分かれする貨物支線も確認できる。

さて、ここからはまず、貨物線開通までの展開を見ていく。

1872(明治5)年には日本最初の鉄道が新橋~横浜間で開通した。このときの横浜駅の位置は現在の桜木町駅である。
 


線路のルートはカーブの部分が現在よりも少し海側を走っていたようだ
 

その後、1887(明治20)年に程ケ谷(現在の保土ケ谷)~国府津間が開通

 
このとき横浜駅は南側が突き当たりになるホームだったため、スイッチバック方式で敷設されたのだが、これによって横浜駅で毎回切り返さなければいけない面倒なルートになる。
 


1894(明治27)年、面倒を解消するため神奈川~程ケ谷間に短絡路線を敷設する

 
これによって横浜駅を通らない列車が増え、横浜駅に一抹の切なさが漂う時期が訪れるのだがそれはさておき同年、鉄製の桟橋(西波止場/英吉利波止場)が完成した。現在の大さん橋の前身である。

そして日清戦争を経て1896(明治29)年5月に港湾整備事業第1期工事が終了し、西波止場(大さん橋)~税関内に貨物線が開通した(貨物線は地図では赤い線で表示)。
 


開通したといってもごくわずかな距離だが、何はともあれ最初の貨物線である
 

その後、1901(明治34)年に平沼駅、日露戦争後の1908(明治41)年に東神奈川駅が開業する

 
平沼駅は奥まったところで取り残され気味の横浜駅に代わる駅として、神奈川~程ケ谷の中間に開業したが、東神奈川駅は民営の横浜鉄道による八王子~東神奈川間開通によって開業した駅である。

横浜鉄道は、当時輸出の主力商品であった生糸の長野、山梨地域からの集積地であった八王子から横浜へ運搬することを目的として敷設されたので、最終目的は海岸までの開通であった。というわけで2年後の1910(明治43)年10月、東神奈川~海神奈川(海神奈川駅の正式開業は12月30日)に横浜港最初の本格的な貨物線が開通する。
 


現在の仲木戸駅下の高架を通っていたのがこの貨物線であった。手前の駐車場も線路跡
 

ただしこのときすでに横浜鉄道は実質的には国営となっていた

 
いつでも政府の買収に応じるという無茶な条件で認可された横浜鉄道は、東神奈川~海神奈川間開通の半年前の1910年4月1日に鉄道院に借り上げられ「八品線」と名称を変え、経営は内閣鉄道院(当時の鉄道の所管官庁)に移っていたのである。

さて、翌1911(明治44)年には新港埠頭が完成する。そして同年9月1日、わずか0.8kmではあるが鉄道院によって開通した貨物線が、横浜駅~横浜港荷扱所が複線で開通する。これにあわせて保税倉庫として建てられたのが現在の横浜赤レンガ倉庫である。
 


2号館は1911年、1号館は1913(大正2)年に完成した