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横浜「1000ぶら」商店街探訪Vol.50 戸部大通り商店会で、造船所「ハマのドック」があった時代・昭和の味を堪能!

ココがキニナル!

横浜「1000ぶら」商店街探訪Vol.50 戸部大通り商店会で、みなとみらいにかつて存在した造船所「ハマのドック」があった時代・昭和の味を堪能!

はまれぽ調査結果!

かつては商店のひしめくにぎわいのある街だった戸部大通り商店会。「カルディ」でナポリタン、「金子青果店」で白菜漬け、1000円で昭和の味を発見!

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ライター:ムラクシサヨコ

突然の誘いは好きな方です。が、「明日1000円持って商店街を取材して」という突然の依頼にはさすがにびっくり・・・

ということで、あわてて西区にある戸部大通り商店会へ。

みなとみらいのビル群が間近に見えるのに、街は静まりかえってのんびり。ここはかつて横浜にドック(造船所)があった1980年ごろまで大変栄えていた場所だ。ドックの名残を探しに、そしてドックのあった時代の味を求めて1000円を持っていざ出発。
 


「岩亀横丁(がんきよこちょう)」のプレート前から1000ぶらスタート


地図を見ながら商店街があるという場所にいくも、商店がほとんどない・・・。
いきなり出鼻をくじかれた。岩亀横丁と書かれた表示に出会ったが、横丁らしきものもない。

商店を求めて歩いているうちに、掃部山公園(かもんやまこうえん)に着いた。ゆったりと時間がながれる居心地のよい公園だ。
 


同行した編集部・宇都宮にスカートと公園の緑がなじんで素敵ですね、と褒められた
 

まるで絵画のよう・・・


ここは明治初期に、鉄道敷設のための技師の官舎が建てられていた場所で、地下から湧く水は蒸気機関車の給水に使われていたとか。公園になったのは1914(大正3)年。歴史ある場所だ。
 


100年前のここでのお花見の様子
 

園内ですっかりくつろぐ
 

ポテンチラ、初めて知る名前(※ヘビイチゴに似たバラ科の植物)


あまりにも心地よい公園で、半日はくつろげそうだったが、今日のテーマは商店街。公園を離れて、再びお店探しへ。といっても、商店街らしきものがない・・・。

と、そこに現れたのが、「岩亀稲荷」と書かれた小さなお稲荷さん。取材が無事に終わるよう、お参りしよう、と路地へ。
 


人一人通れるくらいの細い道


とその中で見つけたのは・・・
 


??


飲食店?

とりあえず先に進んでみると、小さな社が!
 


まずはお参りを


お参りをした後、なぞのお店を訪ねてみる。
神社とお店の入り口は1メートルもないほどの距離だ!
 


開放してあった入り口から、中におじゃましてみる


すると、壮年と思われる男性が対応してくださった。
取材の趣旨を説明し「ここは飲食店ですか? 神社となにか関係が?」と聞くと「取材なら、歴史のことは父が詳しいから、父に話を聞いたらどうですか? 中にどうぞ」と招き入れてくださった。
 


店主の息子である相澤一成(あいざわ・かずなり)さん


部屋を通りぬけると、中はシャツの仕立て屋さん! 飲食店ではない?
裁断された生地に生地の見本帳、ミシンが見える
 


作業中にお邪魔した
 

店主の相澤義一(あいざわ・ぎいち)さん


ここは松本Yシャツ店。この道一筋の義一さんが切り盛りしている。
「戸塚にある松本屋という酒屋から開港直後の横浜に出てきて始めた店です。創業は1897(明治30)年くらいかな。初代と2代目が足袋屋で、3代目の私からはワイシャツをつくっています」
 


裁断された生地。かっこいい・・・
 

先代が戦争中空襲に遭い、とっさに毛布にくるんで下水に入れて助かったというミシン
 

現役のTOYOTAのミシン


相澤さんは3代目。生まれも育ちもこの場所だ。
「子どものころは店の前の通りを馬車が行ったり来たり。馬糞を年中掃除してね。戦争中は肥料になるからと馬糞の取り合いだったよ」

1960年代ごろ、ドックが活気にあふれていた時代も目にしてきた。
「ドックで働く人がぞろぞろ歩いてね。通勤時間は通りが人で埋まるほど。このあたりは道全部が長屋で、いろんな店があったよ。今はもうずいぶん変わってしまったね」
 


横浜市西区の広報誌を出して説明してくださった。紙面で相澤さんが対談をしている


ところで、隣にお稲荷さんについて教えてもらえますか?
「横浜が開港した1859(安政6)年、横浜に遊郭ができて、このあたりに岩亀楼(がんきろう)という遊郭ができた。そこで働く遊女の療養所のようなものもあって、その遊女たちが、お参りに来ていたのが岩亀稲荷。このお稲荷さんを街の人たちが仲良く過ごす心のよりどころとして守っていこうということになったんです」

スタート時のプレートに書かれていたように、このあたりは岩亀横丁と呼ばれているが、そんな深い歴史があったとは・・・。
 


喫茶店のカウンターのような机ごしにお話を伺った


「ところで、これ、喫茶店みたいでしょ。昔はここが喫茶店だったんですよ。隣の喫茶店がシャツ屋だったの」

隣(といっても中でつながっている)は義一さんの奥様である幸子さんが切り盛りする喫茶店「カルディ」。喫茶店が繁盛して手狭になり、ご夫婦で店を取り替えたのだそう。

カルディは1977(昭和52)年創業。ハマのドック最後の時代をかろうじて知る生き証人だ。
 


喫茶店「カルディ」を切り盛りする幸子さん


第2号ドックが1973(昭和48)に停止、第1号ドックは1982(昭和57)年に移転。この店が出来たころは、もうドックの時代が終わろうとした時代だった。とはいえ、まだまだ街に人通りがあり、ドックや周辺の企業に通う人たちで店はにぎわっていたそうだ。

ここで幸子さんに、何かドックがあった時代の名残はないかと聞いてみる。

「そうねぇ・・・」と教えてくださったのが、ナポリタン。1977(昭和52)年の創業当初からあるメニューだという。

早速、ナポリタンを注文。幸子さんは「今風ではない昔からの作り方なんですよ」と、茹でてあるスパゲッティを取り出し、ささっと炒めて、あっという間に完成。いいにおい!
 


サラダとスープがついて680円也
 

厚切りのソーセージがアクセント。ハマのドックで働く人たちが食べていたかも? 


ケチャップたっぷりの甘めのスパゲッティにピーマンとタマネギはお約束。ハムやベーコンではなく、ソーセージを使っているのがポイントだ。やさしい昭和な味、おいしい。

当時に思いをはせながら、昔このあたりで仕事していた人になりきって、完食。
すっかりくつろぎ、お会計。
 


残金は320円
 

輸入食料品の「カルディ」より先の命名。「たまに間違い電話がかかってくるのよ」

 

裏口から入って正面から出る・・・左が松本Yシャツ店、右がカルディ(建物は同じ)
 


店の前の通りは「温故知新のみち」と名づけられている