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横浜の名優、藤竜也さんを徹底解剖!

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2016年01月22日

ライター:永田 ミナミ

北野武監督最新作『龍三と七人の子分たち』で主演を務めたことは記憶に新しいが、日活アクション映画時代、『愛のコリーダ』『友よ、静かに瞑れ』『ション ベン・ライダー』『私の男』といった数々の作品、またTVドラマ『時間ですよ』『かぶきもの慶次』などにも出演し、いまなお「現在進行形」の活躍を続けて いる藤竜也さん。

そんな藤さんが人生のすべてといっていいくらい長い時間を過ごしてきたのが横浜である。というわけで藤竜也さんと、藤さんが見てきた横浜についてのロングインタビューである。
 

藤竜也
誕生日: 1941年8月27日
血液型: O型
職 業: 俳優
所 属: 藤竜也エージェンシー



幼少期の横浜


きょうは、長きに渡って横浜で過ごされ、横浜を見てきた藤さんに、いろいろな話を伺えたらと思っています。よろしくお願いします。

分かりました。まあ、ずっと住んでいて、戦後の焼けて何もない時代から知ってるから。ただ、見たものしか言えないからね。深いところは、何も知りません(笑)
 


著書『現在進行形の男』で見られるのと同じ、飾らない人柄の藤さんである

 
『現在進行形の男』に書かれていたさまざまなエピソードは、藤さんの大らかな、そして茶目っ気のある人柄が感じられてとても面白かったです。著書のなかにもありましたが、幼いころから横浜で過ごされてきたとのことですが、ご出身は北京なんですよね。

父の任地の関係でね。横浜に諸星インキっていう工業用インクの会社があるんですよ。いまでもあると思うけど(1891<明治24>年創業時は諸星千代吉商店、1944<昭和19>年に諸星化学工業株式会社、1950<昭和25>年に諸星インキに社名変更、現在はDICグラフィックス株式会社)。

当時、本社は保土ケ谷駅からほど近いところにあって。戦前に建てられたような、ちょっとクラシックなね、いま残しておいたらよかったろうなと思うような建物で。それで、そこの社員だった父が北京に赴任したんです。

お父様の仕事の関係で、横浜から北京に移られたんですね。

そうそう。その赴任中に同じく横浜の女性、のちの私の母とね、見合い写真か何かでまあ、結婚したらしい(笑)
 


母に言わせると「好きとか嫌いじゃなくて、ただ北京に行きたかっただけよ」って(笑)

 
それで、北京の宣武門(せんぶもん)ていうところがありまして、東京でいうと新宿だとか浅草とか、そんな感じのとこなのかな。その宣武門の近くの病院でね、1941(昭和16)年に生まれたんです。

横浜に戻られたのはいつごろだったんですか?

帰ってきたのはまだ戦時中でね。ちょうど横浜にもそろそろ空襲がくるという時期で、横浜に着くとそのまま祖父たちがいた小田原に疎開して、終戦後も1年か2年いて、それから横浜に帰ってきました。

横浜のどちらに帰ってこられたんですか?

最初は(保土ケ谷区の)西谷にね。西谷に父の社宅があったので、その社宅から西谷小学校に通ってたんだけども、しばらくして父が、いまの相鉄線にね、当時は神中線(じんちゅうせん)って言ったんだけどさ、撥ねられて亡くなってしまって。それで母方の祖父を頼って、一時期、葉山にいました。

まあ戦後というのは、混乱期だからね。特に横浜は繁華街を中心にだいぶ焼けてしまったから、どこのお宅も生活は大変だった。
 


だから、みなさん引越しとか転校とか、いろいろと多かったと思う

 
『現在進行形の男』のなかにも「葉山に1年くらい住んでいた」って書いてありましたね。

あ、じゃあ、嘘は書いてないね(笑)。そのあとまた横浜に移ったんです。野毛山のすぐそばで、一本松小学校に通っていたから、野毛とか伊勢佐木町あたりをぶらぶら歩くのが、何ていうか、子ども心にもエキサイティングでね。楽しかった。

にわか作りの帆布を張った露店がダーッとならんでいて、その露店の間を歩くくたびれた服を着た日本人の男女と、ぴかぴかの軍服を着た米軍の兵士たちとの対比も印象的だったね。遊びに行ってそのまま港のほうまで足を延ばしたりね。まあ、子どもは事情が分かってないから、とにかく楽しかったよ。
 


マーケットでにぎわう戦後の野毛(提供:苅部書店)

 
吉田橋のたもとにイセビルっていう、戦前から残ってるとても素敵な建物が1軒あるでしょ。あのあたりもスーベニア・ショップで流行ってたね。あと、松坂屋と松屋があって、それでそのずっと先の、阪東橋のほうに行ったところに、それもなかなか大きな湘南デパートっていうのがあって。
 


でもあとは高い建物はなくて、平べったい感じがしてたなあ。飛行場があったからね

 
若葉飛行場と呼ばれていた軽飛行場ですね。

そうそう。あの飛行場で「木下サーカス」なん来ると観に行ったね。あと、もう今はほとんどそういうのないけども、見世物小屋も来てね。呼び込みで「蛇女」とか何とかって言ってさ。「生まれは信州、山の中、足が2本に手が3本、さあさあさあ入った入った」なんてね。「うわあ、すごいのがいるな」なんて、わくわくしながら入ったら、蛇女は首だけしか出してなくて見えないんだ、蛇になってる肝心な体が。
 


それでもその蛇女をすっかり信じ込んじゃってさ(笑)

 
以前、見世物小屋に入ったことがあるのですが、蛇女のあの「非日常」の世界は独特の空気感がありますよね。

そうだね。あと非日常の世界ということで言えば、一時期よく街で出会った(横浜)メリーさんもそうだった。伊勢佐木町とか、関内や馬車道、それから横浜駅西口でも会ったよ。

西口にもいらっしゃったんですね。

うん。合計6回くらい出会ったかなあ。不思議だったね、あの空間は。彼女とそのまわりの空気には、ある種の威厳みたいなものがあってさ。で、その威厳は人の注意を惹きつけるんだけども、同時に、見てはいけないもののような神秘的な超現実的な感じもあって。その威厳と超現実感をまとって、彼女は毅然と頭を上げてきちんと顎を引いたすごくいい姿勢でもって、すうっと舞台を移動する能役者のように動いていてさ。
 


あれ自体がもう一種、劇場的な感じだったね

 
写真でしか見たことがないんですが、写真でもその不思議な空気というものが少し伝わってくる気がしますね。

そうでしょ。写真に残っているのはわりとモノクロが多いけども、彼女はね、真っ白い、だいたいいつも真っ白いロングドレスを着ていたので、口紅の真っ赤な色が際立つんだよね。きれいだったし、不思議だった。
 


神秘性と戦後の混沌をまとい、時間を超越した生きる伝説となっていたメリーさん(提供:森日出夫氏)

 
メリーさんを見かけることが多かったのは、いつごろだったんですか?

僕が、30代の半ばか後半くらいかな。『大追跡(1978年)』とか『プロハンター(1981年)』とか、ああいうのをやってたころだね。



中高時代

中学・高校は南区の関東学院で過ごされたんですよね。そのころはどのあたりで遊んでいたんですか?

ええとね、あっちこっち(笑)。もう本牧あたりからいろいろだね。

そのころの本牧というと、まだPX(米軍基地内の売店)などがあった時代ですよね。

そうそう。日本人が入れない「OFF LIMITS」って書かれたフェンスがまだあっちこっちにあってね。山下公園も米軍住宅でしたから。家族がいる兵士の住宅だったのかな。平屋でね、いま見たらどう思うか分からないけど、当時はペンキで白く塗られたその家がもう、ものすごく格好よく見えてさ。

コカ・コーラを初めて飲んだのは高校生のときだったけど、あれは衝撃的だったね。コカ・コーラってのはひとつの比喩だけども、もともと横浜は港町だから、異邦人が出たり入ったり、あるいは留まったりするところでしょ。そこに厚木に降りたマッカーサーがやってきてホテルニューグランドに入って、最初の数日はあそこに執務室があったわけだよね。
 


315号室はいまも「マッカーサーズ・スイート」と呼ばれている

 
そのあと伊勢佐木町あたりの接収があって、いまでも根岸なんかはそうだけども、県内でいえば横須賀や相模原や厚木なんかに、基地が結構あるでしょ。そういったことは、横浜の人たちに、世代や男女を問わず、ある影響をあたえたと思う。必然的にね。そしてその影響は人によって違うと思う。体験によっても違うしね。でもとにかくそれは、横浜だからの体験だったと思うんです。

特別な歴史と性格を持った街ということですね。

うん。それで、それがいいとか悪いとかっていうことじゃなくて、そういう街で育って受けた影響というのはね、やっぱり大事にしたいと思うんです。「アメリカ」というものと各個人との関わりがあってね。基地やキャンプがあちこちにあって、米兵がたくさん歩いていた時代を生きたすべての人たちが、個々の関わりを持っていて、個々の感じ方があって。

そういう人たちは誰しも、自分の歴史のなかに、やっぱり何らかのかたちで「アメリカ」っていう存在が身近なものとして残っていると思うんです。そして、そういう経験ができたっていうのは、まあ「ラッキー」という感じかな。
 


「戦後の横浜」という特異な場所での体験を「ラッキー」と捉える藤さんの考え方は心を打った

 


大学時代

そのあと、大学は日本大学芸術学部に進まれますよね。進路については、何か思うところがあったんですか?

いや、3つくらい受けたんだけど、たまたま運良く受かったのがそこだけでね。専攻する学科の希望を書けというから、漠然といいなと思って映画学科で出したんだけど、成績が悪かったらしく演劇学科と言われちゃって(笑)。まあいいか、と入ったら、そのあと何だかすぐに俳優になっちゃったんで、結局あまり行かなかった。

映画学科を希望したときに、制作に携わりたいなというような思いはあったんですか?

いや、何にもなかったね。ただ、映画は好きだった。

著本のなかに「学生時代にスカウトされたことが俳優になったきっかけだった」とありましたが、時季はいつごろだったんですか?

ええとね、たぶんコートを着てたから冬だと思うんです。2月くらいだったかな。学校の帰りにね、数寄屋橋の日劇、いまのマリオンの前で友達と待ち合わせてて。それで、ちょっと遅れたんですよ、彼女がね。
 


で、待ってたら、映画関係者を名乗る人に「入らないか」って声をかけられたんです

 
それほど勉強する気もなかったし、このままだとつまらない人生を送ることになるんだろうという予感があったから「お金になるよ」って言われると、何かね(笑)。最初は嘘かと思ったけど、本当にスカウトの部署の人だったらしくて、それでまあ、これでいくしかないなと思ったんです。

でも、嬉しかったね。だって映画っていったら、当時の日本には5つか6つの大きな映画会社があって、各社が直接経営する劇場を1社につき何百も持っていたわけですよ。ちょっとした街ならどこでも、その5社の映画館があって、みんながそこに観に行ったわけだからね。

僕も同じで、1本封切られると、特に好きな監督の映画が封切られるともう、ドキドキしながら映画観に行ってた。それぐらい映画ってのは大きな存在だったんです。そんな世界からスクリーンに出ないかって言われたわけだから、嬉しかったよ。まあ最初は「嘘だろう?」みたいな感じだったけど。

確かににわかには信じられなそうですね。
 


そうそう。何か別の怪しい勧誘なんじゃないかってね(笑)

 
まあでも、本当のスカウトだということが分かったから、そうなるともう、学校なんて行ってる暇ないなという気分になってさ。でも、日大ってのは面白いとこでね。教授が「君たち、演劇学科で勉強するということは、そういう方向に行きたいんだろうけども、それならここで4年間コツコツ勉強してもあまり意味がないよ」なんて言うんだ(笑)

つまり、俳優の仕事にしてもライトマンの仕事にしてもさ、やっぱり現場なんだよね。理屈じゃないというかさ。それでそれをまた自分の都合のいいように「先生もそう言ったからいいか」なんて言って学校を辞めてしまったわけ(笑)。まあ、そういうわけで俳優になったんです。

スカウトされたのは1年生の終わりの2月ごろということになりますか?

忘れちゃったけど、とにかく俳優になったのは1962(昭和37)年だからもう少し先かな。

大学へも横浜から通われていたんですよね?

うん。まあでも、通いきれるもんじゃないんだよね。と言っても途中で辞めちゃったからね。
 


入学式で女性に声をかけたら鎌倉の人で、鎌倉まで送ったのを覚えてるくらいかな(笑)

 
 
引き続き名優・藤さんの横浜の想い出を伺います!≫
 

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