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ドラマの歌も歌う三浦市の「かもめ児童合唱団」とは?

ココがキニナル!

三浦市を拠点としている、「かもめ児童合唱団」。レコードも多数?出て有名らしいですが、メンバー、活動内容等々気になります!(紀洲の哲ちゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「かもめ児童合唱団」は現在約30人で活動。これまでにアルバム4枚をリリースし、地域で無料ライブなども行っている

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ライター:やまだ ひさえ

2013年1月、マンガの主人公が現実の世界に飛び出してくるという奇想天外なテレビドラマが日本テレビで放送された。TOKIOの長瀬智也さんが主人公を務めた『泣くな、はらちゃん』だ。
 


劇中で登場したマンガ
 


『泣くな、はらちゃん』で使われた小道具 (みうら映画舎)
 

三崎の町と城ケ島を中心にロケが行われた『泣くな、はらちゃん』。その劇中歌『私の世界』を歌い、一躍その名を知られたのが、三浦市で誕生した「かもめ児童合唱団」だ。
 



かもめ児童合唱団 (提供:かもめ児童合唱団)
 

三浦市在住の3歳から13歳の子どもたちで結成された児童合唱団。彼らの歌声に迫った。



恩師の一言で誕生



マグロで知られた港町、三崎。1963(昭和38)年、かもめ児童合唱団は、この町で産声をあげた。
 


三崎港
 

創設者であり半世紀以上に音楽指導を続けてきた小島晁子(こじま・ちょうこ)先生と、プロデューサーの藤沢宏光(ふじさわ・ひろみつ)さんに話を聞いた。
 


藤沢さんが営むコーヒーショップ「ミサキプレッソ」
 

小島先生(左)と藤沢さん
 

横浜市西区伊勢町生まれの小島先生は、小学校1年のときに三崎に転居。一生を左右する運命的な出会いを果たす。

その人物とは、小村三千三(こむら・みちぞう)。三浦市出身の作曲家だ。
 


三浦市出身の作曲家・小村三千三 (チャッキラコ三崎昭和館より)
 

小村氏は、1900(明治33)年、三崎に生まれた。

東京音楽学校を卒業後、宝塚歌劇団の音楽家の教師として作曲の指導にあたる。また、日本ビクターなどに作曲家として在籍。音楽活動を続けてきた。

そんな小村氏の足跡は、ユネスコの無形文化遺産である「チャッキラコ」を紹介した「チャッキラコ三崎昭和館」に展示されている。
 


チャッキラコ三崎昭和館
 


小村氏の著書(チャッキラコ三崎昭和館より)
 

手書きの音楽メモ (チャッキラコ三崎昭和館より)
 

小村氏が生涯にわたって数多く手掛けてきたのが童謡の作曲だ。『歌の町』『夢の窓』など、今も歌い継がれている名曲を世に送り出している。
 


三浦市白石町の歌舞島(かぶじま)公園内にある『歌の町』の歌碑
 

三崎に移り住んで以来、小村氏の指導を受けてきた小島先生。音楽大学への進学を勧めてくれたのも小村氏だった。

「卒業をしたら、これで合唱団をやってよ」

この言葉とともに小村氏から渡された1冊の童謡歌集が、かもめ児童合唱団を創るきっかけとなった。
 


小村氏から贈られた歌集『童謡集歌の町』 今も大切にしている
 

1962(昭和37)年に武蔵野音楽大学を卒業し、自宅で音楽教室を営んでいた小島先生は、翌1963(昭和38)年、当時の生徒らを中心に「かもめ児童合唱団」を発足させた。

「かもめ」という名前は、海の囲まれた三浦市の空をたくさん飛んでいること、「かもめ」という発音がきれいなこと、元気なイメージがあるなどから小島先生が名づけたもの。発足と同時に合唱団のユニフォームも作った。
 


1983(昭和58)年の記念写真
 

えんじのベレー帽とネクタイ姿は、発足当時から変わらない、かもめ児童合唱団スタイルだ。

発足以来、かわいらしい歌声と笑顔で多くの人を魅了してきた「かもめ児童合唱団」。プロデューサーの藤沢さんの愛らしい表情に魅力を感じた一人だ。
 


藤沢さんも「かもめ児童合唱団」のファン
 

藤沢さんは、30年以上にわたって都内で音楽プロデューサーとして活躍してきた音楽のプロ。THE BOOM、小野リサ、小椋佳といった日本のトップミュージシャンの音楽づくりに携わってきた。

2004(平成16)年に三浦市に転居。2008(平成20)年、三浦市の産直品売り場「うらり」でライブを行っていたかもめ児童合唱団を、偶然見かけたのが合唱団にかかわるきっかけだった。
 


ライブを行っていた「うらり」
 

最盛期は100人近いメンバーがいた合唱団も、藤沢さんが見かけたときは10人にも満たない数。しかも、実際に歌っている子の兄弟も混じっていたため、実質「合唱」ができていたのはその半分ほどだったそう。

しかし、その歌声を聴き、笑顔に触れ、合唱団に魅力を感じたという藤沢さんは、かもめ児童合唱団の先品に取り掛かった。

長年、指導を続けてきた声楽家である小島先生と、音楽づくりのプロの藤沢さんが出会い、かもめ児童合唱団は新たなスタートを切った。