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戦後から残る鶴見線高架下の住宅の様子は?

ココがキニナル!

JR鶴見線の鶴見~国道駅間の高架下に住宅?があるのがキニナル。不動産屋でこういった部屋の賃貸情報も見たことが無く、分譲なのでしょうか?間取りや住み心地なども知りたいので調査をお願いします(イルカさん)

はまれぽ調査結果!

国鉄時代の賃貸契約の物件で、ほとんどが以前は店舗もしくは店舗兼住居であったもの。現在は、空き家もあるが、新規募集はしていない。

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ライター:小方 サダオ

JR鶴見線の高架下に建ち並ぶ建物



電車の高架下の建物といえば、東京のJR新橋駅のガード下にある居酒屋などが思い浮かぶ・・・。昭和の風情漂う魅力的な光景と言えよう。

しかしお店と違って、毎日を過ごす住居の場合は、その住み心地はどうなのか。

そこで現場に行ってみた。

 

JR鶴見駅(緑矢印)から鶴見線国道駅(青矢印)へと向かった
 

まずはJR鶴見駅から、JR鶴見線の高架に沿って隣りの国道駅まで行ってみることにした。

 

鶴見駅
 

高架下に並ぶお店
 

高架下には酒店や食堂、石材店などが並ぶが、それらの中に住居も交じっている。

 

後ろ側にベランダのついた住居
 

古びた看板が印象的だ
 

高架下のお店は閉店している所も少なくない。

 

線路を横切り、海岸方面に伸びる鶴見線
 

しばらく歩くと、鶴見線は、東海道本線と京急本線の線路をまたぐように、海岸の方に伸びている。

『鶴見線物語』によると「JR鶴見線の前身は、1924(大正13)年に埋立地への輸送機関として発足し、1926(大正15)年に開通した鶴見臨港鉄道株式会社という私鉄だった。 1940(昭和15)年11月には新芝浦から海芝浦の貨物線が開通し、ようやく現在の路線が完成。その後、1943(昭和18)年、戦時下で国鉄に買収され『鶴見線』となった」とある。

 

鶴見線
 

京浜工業地帯へと向かう工場への貨物輸送を行なうために設立された路線だったのだ。横浜の産業に貢献してきた工業地帯へつながる路線は歴史があり、その高架下の建物は、さまざまな変遷を経てきたのではないだろうか。

そこで高架下にお店を構える人や住民の方たちに話を伺うことにした。



高架下の住民や店主などに話を伺う



はまれぽをご存じの、あるお店の女性従業員に高架下の環境について話を伺うと「音や振動で室内に置いてあるものがずれたりします。またお客様とシビアな話をしている最中に電車が通ると、びっくりされることはあります。しかしJR鶴見線は本数が少ないこともあり、そんなに気になることはありません」と答えてくれた。 

 

旅行会社も入居している
 

高架下の住居が多いあたり(両青矢印)
 

続いて東海道本線と京急本線の線路を横切り、その先の高架下に向かった。
このあたりにはあまり店舗はなく、住居が多いようだ。

そこに住む女性Eさんに、高架下の環境などについて伺うと「建物は13坪ほどで、1階と2階があります。2階までの天井の高さが24メートルと高く、中2階の建物ほどの高さがあります。以前は、1階を仕事場として使っていたのですが、印刷関係の音が出る仕事でしたので、電車の騒音がしてもあまり影響はありませんでした」と答えてくれた。

 

住居が多い区域
 

2階から外を見た様子
 

そして後日、ほかの建物の中を見せていただけるとの約束をし、お別れをした。