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鶴岡八幡宮前、歴史ある参道「段葛」工事のその後は?

ココがキニナル!

3月30日の鎌倉段葛の「歩き初め」、段葛の石段と桜並木の植え替え作業が終わり、3月30日に「歩き初め」の儀式として中村吉右衛門さんによる奉祝の舞など、めったに観られない行事です(まさしさん)

はまれぽ調査結果!

100年ぶりの大改修を終えた通り初めには約200人が参加。路面が舗装され灯篭が50基増え、177本の桜が植えられた真新しい段葛は春の散歩にうってつけ

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ライター:永田 ミナミ

段葛とは



段葛(だんかずら)。大辞林には「葛石(かずらいし)を積んで一段高く作った参詣道のこと。特に、鎌倉鶴岡八幡宮のものをさす」とある。ちなみに葛石は同じく大辞林に「社寺の建物の壇の先端にある縁とりの石」とある。
 


つまり「段葛」といえばすなわちこの参道なのである
 

二の鳥居から鶴岡八幡宮の入口である三の鳥居まで続く全長465メートルのこの段葛は、昨年11月に早すぎる紅葉を探しに来たときはまだ白いフェンスで囲まれ工事中だった。
 


こちらはすっかり白いフェンスで取り囲まれていた2015年初夏の段葛、二の鳥居前
 

2014(平成26)年11月1日から始まったこの「史跡鶴岡八幡宮境内整備事業 段葛整備工事」の目的と概要は以下の通りである。
  


雨水が浸透する舗装、桜の根や土層の保護など最新の技術が施されている
 

段葛に植えられていた桜は、専門家が移植可能と判断した30本が鶴岡八幡宮の平家池護岸に移植され、新植される桜は育成に適した樹間を確保するため、248本から177本となった。また、つつじ類は交流のある東日本大震災被災地(岩手・宮城・福島県)へ、移植されることになっているという。

段葛の左右にならぶ灯籠は、以前から設置されていた44基の材質と仕様を統一し、新たに奉納された50基を加え、合計94基が設置された。

こうした改修工事を終え、1年半ぶりに段葛が公開されるということで午後0時30分の受付開始に駆けつけると、二の鳥居の前に椅子がならべられ受付も設けられていた。2016(平成28)年3月30日、神事ののちに段葛の「通り初め」がおこなわれ、さらに歌舞伎役者中村吉右衛門氏が舞を奉納するという。
 


なかに入ると、真新しい石灯籠とまだ若い桜並木が花をつけている段葛が見えた
 

以前の段葛は砂利が敷かれたものだったが、新しい段葛はきれいに舗装されている
 

1918(大正7)年に建てられた二の鳥居横のこの石碑に説明がある
 

この「段葛」は、源頼朝が北条政子の安産を願って1184(寿永3)年につくられたものだとある。当初は「置石」と呼ばれ、北条時政など源氏諸将が土石を運搬し、鶴岡八幡宮社頭(三の鳥居)から由比ヶ浜大鳥居(一の鳥居)まで築かれた。1868(明治元)年になって二の鳥居以南はそのかたちを失い、現在の状態となったという。
 


そんな歴史ある段葛の晴れの日に立ち会えるとは嬉しい
  

清め祓う、という文字を見て身が引き締まる思いでいたら、背後から声をかけられた。
   


「あなた、ちょっと帯が変よ」、聞けば着付けの先生だという
 

朝、時間がなかったので、羽織を着てしまえば分からないだろうと、ひょひょいとごまかして巻いていたのを一瞬で見破られてしまった。そして「あら、巻いてもないじゃない」とあれよあれよという間に帯を解かれみるみるうちに巻き直していただいてしまった。

「羽織の下からあんなに垂れていて、おかしいなと思ったのよ。でもちゃんとこうして着てきて偉いわね」と言い残し、女性はさっと去っていった。
 


帯がちゃんとしてるとこんなに気分が違うものか。ありがとうございました
 



熱気が包む段葛


 


そうこうしているうち来賓の人々が着席していき、報道陣のカメラもスタンバイ
 

艶やかな振袖姿のミス鎌倉も到着
 

沿道にも通り初めを待つ人々が幾重にも層をなす
 

振り返ると仕切りの向こうに通り初めの第一陣が集まっていた
 

前列にいた方に少し話を聞いてみた。こちらはトキさんとユッキーさん
 

この日がたまたま休みだった鎌倉在住トキさんは、通り初めがあると聞いて横浜に住むユッキーさんを誘い、午後0時10分ごろ到着したという。「ここの桜を見るのもひさしぶり」と歩くのを楽しみにしていたそうだ。
 


やがて席は埋まり
 

纏(まとい)も到着
 

そして多くの人が見守るなか
 

厳かに竣功式がはじまったのであった