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「長津田」は「ながつた」、それとも「ながつだ」?

ココがキニナル!

「長津田」の読みは、「ながつた」「ながつだ」どっちが正しい?駅員や車掌も人によって読み方が違うし、歴史的にはどうなのか・実際に住んでる人や駅利用者はどう思ってるのか気になる(ここからスタート!さん)

はまれぽ調査結果!

1939年以来正式な町名は「ながつた」。さらに北斎作品から江戸時代も「た」だったと判明するも行政や鉄道の受付は「だ」、住民も3割が「だ」と回答

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ライター:永田 ミナミ

TかDか



長津田は「ながつた」か「ながつだ」か。気にはなるものの、深刻な問題というわけではないので最終的な結論までたどり着かずにふわっとさせてしまいがちなこの疑問をできるだけ掘り下げてみると何が見えてくるだろうか。

なお、簡略化のため「ながつた」をT「ながつだ」をDと表記する場合がある。
 


駅名標はT。これが正式な地名かどうかである
 

緑区役所に問い合わせてみると、戸籍課の方が答えてくれた。

「《ながつた》です。1939(昭和14)年に長津田町ができたときに《ながつたちょう》となっています。そのあと、1982(昭和57)年に長津田1~7丁目ができたときも《ながつた》で、2005(平成17)年に長津田みなみ台ができたときも《ながつたみなみだい》です」

次に東急電鉄に問い合わせると「田園都市線及びこどもの国線の駅名は開業時から一貫してT」とこちらもT。
 


長津田駅券売機上の東急線きっぷ運賃表。たしかにT表記

 
続いてJR東日本横浜支社に問い合わせてみた。ウィキペディアにあった「1980年代までJR横浜線の駅名標はDだった」という内容の記述を、入手した資料では確認できなかったので、事実確認をしようと思ったのである。しかし残念ながら「現在はTだが国鉄時代の資料は残っていないため分からない」という回答だった。

ただ、その後、画像検索で見つかった国鉄時代らしい駅名標は「ながつた」となっていた。

というわけで公式には「ながつた」が正しいということになるが、区役所でもJR東日本でも、最初に対応してくださった方は「分かりました、《ながつだ》の読み方についてですね」と言っていた。間違いを指摘したいのではない。むしろ、こうした公式名称と呼称の間の揺れにTD問題の面白みがあると言えるだろう。



仮名と濁点



地名の由来を探してみると次の資料が見つかった。
 


「谷津田」は「やつだ」と読む。ウィキペディアには(2)の説明があった
 

これらはいくつかあるという説の2つだが、(1)は「ながつ・た」(2)は「なが・(や)つだ」ということになり、(1)はT、(2)はDで読むほうが自然なようにも思われる。

文化文政期の19世紀に編纂された『新編武蔵風土記稿』に長津田村の説明があるが、漢字表記のみで読み仮名は付されていない。緑色部分に(1)(2)両説につながる記述がある。
 


クリックで拡大
 

ちなみに赤色部分の内容はこんな感じ。宿場町であったが長津田村の記録は少ない
 

ただしたとえ「長津田」に仮名が振られていても、近世以前は濁音に濁点が付されているとは限らないので、仮名表記からTかDかを判断するのも難しい。

資料によると、万葉仮名では清音・濁音がほぼ正確に使い分けられていたが、平安時代に平仮名が完成すると濁音を表す仮名はなくなったという。しかしその後、清音の仮名に補助記号を付すというかたちで表記に復活した。

補助記号の位置が右肩に固定化したのは室町時代。記号が濁点で定着したのは江戸時代だが、江戸時代はまだ濁点は打っても打たなくてもよい記号だった。明治に入っても法令などに濁点はなく、法令で初めて濁点が使用されたのは1927(昭和2)年。1945(昭和20)年の終戦の詔勅にも濁点はなかった。

ほかにも濁点の背景には「清濁」という呼び方から見えてくる歴史や、日本語の発音の変化がもたらした影響など非常に奥深い世界があることが分かったが閑話休題。