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「動かすと事故が多発した」川崎の六地蔵とは?

ココがキニナル!

稲田堤駅近くを通る、府中街道沿いの菅の六地蔵について調べて下さい。一部のお地蔵さんは一度移設されたあと、周辺で交通事故が多発したため戻されたようですが、詳細な経緯が気になります(SUICAさん)

はまれぽ調査結果!

厄除けとして、街の境界線とその間に地蔵が立てられている。古くなった第四地蔵を移したところ交通事故が多発したので元の場所に戻した。

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ライター:小方 サダオ

府中街道沿いに立つ「菅(すげ)の六地蔵」



川崎市の府中街道沿いに「菅の六地蔵」というものがあるという。
道路沿いに並べられているそうだが、何か理由があるのだろうか。

早速現場に行ってみた。

 

川崎市菅地区の境目(青矢印)とその間に地蔵が立っている(Googlemapより)※クリックして拡大
 

JR川崎駅付近から埼玉県の西武鉄道所沢駅付近まで結ぶ府中街道。川崎駅方面から西に向かい、多摩区の生田町から菅馬場(すげばんば)に入ると、歩道上にお地蔵さんが立っている。

 

お地蔵さんなど3体が祀られている
 

さらに進むとまた一体立っている。これらが「菅の六地蔵」だろうか。

 

提灯とお供え物などで丁重に祀られている
 

まるで府中街道を通る人たちを守るかのようだが、どのような経緯で建てられたのだろうか。

 

菅地区の東の端に立つ第六地蔵
 

川崎多摩歴史研究会著書の『かわさき散歩』と佐保田五郎(さほだ・ごろう)著書の『菅散歩』という文献によると「多摩区菅の府中街道を行くと、菅地区の東西の入口である、東京都稲城市矢野口境に1体、多摩区生田境に1体、その間に4体がほぼ同間隔で並んでいる」

「地蔵は街道のほうを向いて建てられ、矢野口のほうから街道の両側に交互に建てられている。地蔵の材質は石で、形は立像丸彫り。台を除いた像の高さは約100cmほど。『菅の六地蔵』といわれるもので、土地の人々によってあつく信仰されている」とある。

 

一般的な六地蔵は1列に並べられている
 

「六地蔵というのは、人間が死ぬと六道(天上界・人間界・修羅・餓鬼・畜生・地獄)のどれかにさまようとされ、この時、どこの道にさまよっても地蔵菩薩が救ってくださるという日本独特の仏教信仰に基づいたものだ。このことから、寺の入口や墓地の入口に六体の地蔵がよく祀られている」とのこと。

それではなぜ菅地区では、六地蔵が街道沿いに祀られているのだろうか。

 

もともと六地蔵は屋敷に祀られていた
 

その由来に関しては「この六地蔵は、古く菅村の馬場の代官屋敷に祀られていたが、ある時山崩れにあってその屋敷もろとも埋まってしまい、そのまま放っておかれていた。ところがしばらくして村内に子どもの疫病が流行し、それは六地蔵を埋まったままにしておくからだという噂が広がった」という。

「村民は協力して地蔵を掘り出し、6体別々の所に立てて供養したところ、病気の流行はおさまり、それ以後、村民はこの六地蔵をあつく信仰するようになった。この伝承は近年になって一般に広まった話らしいのだが、それ以前からも村民の安全を守るために立っているのだと考えられてきたようだ」とあった。

 

街の人や通行人などによってあつく信仰されてきた
 

6体の地蔵が建てられたのは、地震や火山の噴火など、自然災害が多発した時期の1707(宝永4)年。「このような自然災害の不安から信仰されはじめた理由の一つといえる」とあった。「1978(昭和53)年11月には『菅六地蔵保存会』が結成され、現在も土地の人々によって大切に祀られている」とのこと。