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横浜駅近くにあった米軍のパン工場「横浜QMベーカリー」とは?

ココがキニナル!

金港町一帯に1977年まであった米軍のパン工場。匂いの記憶はあるものの、風景の記憶が失われています。ミルクプラントの写真などは残されているのですが横浜QMベーカリーの写真を探して頂きたい(のぼさん)

はまれぽ調査結果!

1977年まで米軍の接収地だった場所に「横浜ベーカリー」があった。1日4万枚の食パンを製造し、日本人従業員が働いている写真を発見!

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ライター:橘 アリー

戦後の横浜は、東京と並ぶ米軍の拠点だった



今回の調査は、かつて神奈川区にあったという、米軍施設のベーカリー(パン工場)について。キニナル投稿には、乳製品の製造などを行う施設のミルクプラントについても書かれているので、こちらも調べていくことにした。

まず投稿には、「米軍のパン工場」とあった。1945(昭和20)年に第二次世界大戦が終わり、同年8月30日に占領軍司令官が横浜に上陸後、占領軍による接収が行われた。

接収に関する資料によると、横浜は、戦後最初に接収された都市で、東京と並ぶ米軍の拠点だったそうだ。

 

接収当時について書かれている資料『占領軍のいた街』
 

最初は、旧日本軍施設の接収から始まり、多くの米軍部隊が駐屯していった。
焼け跡の土地や焼け残った建物も次々と接収され、米軍の宿舎や住宅が作られるようになり、さらに生活に必要な施設であるベーカリーやミルクプラントなども作られたという。

接収地に作られたというベーカリーは「横浜ベーカリー」、ミルクプラントは「神奈川ミルク・プラント」という施設名だったようだ。なお、キニナル投稿にあるように「横浜QMベーカリー」と呼ばれることもあったようだが、施設名にはQMは付かないそう。ちなみにQMとは、「Quarter Master(クオーターマスター)」の略語で補給部、需品(補給)係将校などの意味があるとのこと。

終戦から71年が経った今、横浜市内にあった接収地は、鶴見貯油施設、瑞穂ふ頭にある横浜ノースドック、根岸住宅地区、池子住宅地区及び海軍補助施設のほかは全て返還されている。

 

横浜市内の米軍施設(提供:横浜市政策局基地対策課)※クリックして拡大

 

さて、「横浜ベーカリー」と「神奈川ミルク・プラント」は、どのような施設だったのだろうか。
横浜市政策局基地対策課でお話を伺った。



沖縄以外の日本全国の乳製品を作る施設

対応してくれたのは、同課担当係長の内木一憲(ないき・かずのり)さん。
まずは、写真などの資料が残っているという「神奈川ミルク・プラント」について教えてもらった。

「神奈川ミルク・プラント」は、以前、神奈川区亀住(かめずみ)町と東神奈川2丁目にあった県立金属工業指導所が接収されて作られた、乳製品を製造する工場だったようだ。

 

京急線神奈川新町駅近く、赤丸が「神奈川ミルク・プラント」があった場所
 

「神奈川ミルク・プラント」がいつからいつまであったかは、米軍施設であるため分からないとのことだったが、上記場所の接収が行われたのは、1946(昭和21)年4月15日という。接収地の土地面積は1万2483平方メートルあった。

 

「神奈川ミルク・プラント」の全景(提供:横浜市史資料室)
 

2000(平成12)年当時、敷地内の建物の一部(同)
 

施設内は天井の明り取りから陽が差し込み、中は明るい(同)
 

古いアメリカの雰囲気が漂う建物もあった(同)
 

この施設は、米軍と契約したアメリカの業者が運営し、日本人従業員も働いていたそうだ。
そして、沖縄を除く日本全国の米軍各部隊とその家族に供給するミルクやアイスクリームなどの乳製品を製造する施設だったという。

 

設備の整った工場部分(同)
 

ショーケースを見ると牛乳までの製品が作られていた。1998年当時の写真(同)
 

その後、接収地にある施設を横浜ノースドックへ移転することが条件で、この接収地が返還されることになった。

1966(昭和41)年6月15日と1971(昭和46)年1月22日に徐々に返還され、1998(平成10)年にこの場所は閉鎖となった。「神奈川ミルク・プラント」は横浜ノースドックへ移転し、2000(平成12)年3月31日に接収解除が完了。これで「神奈川ミルク・プラント」があった接収地の土地が全て返還された。

では、現在はどのようになっているのか現地を見てみると、「神奈川ミルク・プラント」があった跡地は、保育園と公園になっている。

 

跡地の全景。赤い屋根が保育園の建物
 

公園内は見通しが良い
 

跡地には、当時の面影は何も残っていなかった・・・。
続いて、「横浜ベーカリー」について。