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青葉区の道路計画「恩田元石川線」が中断してツギハギって本当?【前編】

ココがキニナル!

横浜市青葉区の恩田元石川線と呼ばれる道路計画が中断してツギハギの状態となっています。横浜市のサイトでは計画の廃止はしていないようですが現在計画はどうなっているか調べてもらいたいです。(あぽーさん)

はまれぽ調査結果!

現在整備区間と未整備区間がツギハギの状態にある恩田元石川線は2003年に都市計画決定された。前編では周辺住民の声を聞き、計画については後編にて

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ライター:小方 サダオ

恩田元石川線と「住民参加の道路づくり」

「恩田元石川線(おんだもといしかわせん:以下、恩元線)」とは横浜市の青葉区の丘陵地を東西に貫く道路計画のことだ。

 

恩田町(緑矢印)と元石川町(青矢印)を結ぶ恩元線(Googlemapより)

 
今回は前編と後編に分けて、恩元線の計画決定にいたる経緯や、現状などをお伝えしていく。

投稿には“ツギハギの状態”とあるが、状況を確かめるために現地へ向かった。

 

恩元線の終着点の元石川町(青矢印)
(出典:『都市計画道路の優先整備路線』横浜市道路局平成28年3月公表)

 
今回の路線は、恩田町が始点になり、終着点が元石川町だ。横浜市の道路局のホームページによると、上図の実線が開通している区間で、点線が未開通区間になる。

その終着点の元石川町に行くと、道路が通る予定の場所を発見した。地元住民によると、恩元線は日吉元石川線から荏子田(えこだ)方面に、山を貫いて繋がる予定だという。

 

元石川町(青矢印)と荏子田(緑矢印)が合流する


日吉元石川線


このあたりで恩元線と合流する予定だ


日吉元石川線の近くにある恩元線の道路用地


上記の道路用地(紫枠)

 
そこで荏子田に向かうと、幅の広い道路が整備されていた。しかし元石川町方面に進むと、すぐに山で行き止まりになっていた。この山を貫いて先ほどの予定地とつながるのだろうか。

 

荏子田に整備された恩元線の道路


山で行き止まりになっている

 
未整備の道路用地や山で行き止まりになっていて、とぎれとぎれに整備されている様子は確認できたが、なぜこのような状態になったのだろうか。

横浜市のホームページで調べてみると、「恩元線」は全国初の画期的な試みによって計画された道路であるという。それは「住民参加の道路づくり」というものだ。

「元横浜市長の高秀秀信(たかひで・ひでのぶ)市長は、1990(平成2)年の就任当初から、市民参加に強い関心を持っていた。行政課題を既存の法律の枠にとらわれずに取り組み、市民の意見を十分に、市政に反映させる姿勢を職員に徹底した」と横浜市発行の『調査季報141号2000年3月号』の「都市施設と合意形成」にあった。

 

恩元線道路計画(出典:「調査季報141号」横浜市政策局)

 
「住民参加の道路づくり」の経緯については、「(仮称)恩田元石川線・住民参加の道づくり」と「都市施設と合意形成」に詳しく記されている。

「計画地の青葉区は南北方向に3本の骨格的道路が整備されつつあるが、東西方向については南側に国道246号線があるだけで、北側にはなく利便性に欠如している。このような状況の中で恩元線は東西方向を結ぶ道路として構想されており、全長約7kmのうち約3kmの区間が昭和50年代前後の区画整理事業により整備済みになっている」とある。

 

1992(平成4)年から始まった恩元線道路計画

 
恩元線の道路計画は1992年度から1999(平成11)年度まで8年間にわたり、住民参加方式による計画策定が行われた。その背景には「地域の個々の課題と都市全体との調和を見据え、誰もが納得できる公平で公正な判断基準に基づいて合意形成がなされていく姿を実現したい」との思いがあったという。

しかし、この取り組みについて青葉区民にアンケートを実施すると、取り組み自体への評価は高かったものの、1993(平成5)年に行われた意見交換会では参加者は少なく、しかも参加者からは手厳しい感想が多かったそうだ。また、行政内では「聴収する住民層の範囲を広げれば広げるほど、多様な意見が出て、まとまらないのではないか」議論もあった、という。

 

恩元線に関する意見調査結果

 
「1996(平成8)年に『住民参加の道路づくり委員会』をつくった。構成メンバーは市民公募12人と地区推薦7人、行政からは都市計画局部長、道路局と環境保全局の課長も加わり、さらに専門家として2名の大学教授にも参加を願った」とある。

 

住民参加の道路づくり委員会の規約

 
1997(平成9)年ごろ、委員会は、市民の意見を十分に反映できるよう、「道路を作らない案も含める」ことを思案した。「その場合、どのような問題が生じるか考えようと『整備しない案』を表明すると、行政スタッフ内で『作ることを前提としない住民参加はあり得ない』など相当の議論があった」

そこで、高秀市長に具申したところ「住民がほんとに道路はいらないといったら作らなくていいんだよ」との見解で、道路整備しない案とともに複数案を作ることを方針とした、という。

高秀元市長の著書『住民参加の道づくり』には「案の中には、場合によっては整備しないという選択肢もあり得るだろう。ごみ焼却場や下水処理場のように必要不可欠な施設の場合には、整備しない案は考えにくいが、整備が緊急でないとか整備しないことの影響が地域に収まる場合には、整備しない案も検討の対象となるのではないか」とあった。

 

整備しない案や複数案をつくる方針とした

 
「1998(平成10)年、(仮称)恩田元石川線の『整備しない案』も含めた複数案を市が公表し、52.6%が『必要である』と答えたのに対して、26.9%が『必要ではない』と答えている。また、取組への評価は、83.9%が『有意義なことだと思う』とあり、住民参加に対する高い評価を受ける結果となった」とある。

また、1998年に発足した「(仮称)恩田元石川線に関する研究会」は、整備する・しないを含めた複数路線の案がある恩元線が通る「恩田・すみよし台地区」については、森の自然環境と道路計画の両立についても議論を重ねた、とあった。

 

複数案による路線図

 
そして「研究会から、恩田元石川線は地域で発生・集中する交通を処理する道路であり、将来の交通量に対応。さらに、安全で快適な歩行者系空間や沿道環境へも配慮した『幅員22メートル、2車線』が、住民参加で取り組んできたこの地域にふさわしい道路と結論づけた」とのこと。
 


(仮称)恩田元石川線に関する方針の概要

 
その後、「市は1999(平成11)年に方針案として発表すると同時に、方針案のパンフレットを青葉区約10万世帯に全戸配布。8年間にわたり『住民参加の道路づくり』を進め、そのプロセスで行政と住民が知恵を出しあいながら、『整備しない案』も含めて複数案をまとめることができた」とあり、2003(平成15)年に両側5メートルの歩道を確保し、片側2車線で横幅22メートルの道路をつくると計画決定されたという。

今回の取り組みの特長について「複数地域にまたがる地域骨格道路を対象として区民全体の住民参加を行ったこと。複数案の検討の場を設けさまざまな意見を持った人が一つの場で議論したこと。このことは取組の中での大きな成果と言える」とあったが、「しかし最初に掲げた、最善の合意形成は図れたのか、という課題は今も疑問として残っている」ともあった。
 


取り組みには、疑問も残る

 
8年間にわたり市民参加の行政という難しいテーマに取り組んだ様子がうかがえるが、道路は依然として整備されていないのはなぜだろう。

詳しく調べるために、恩元線の現地を確認し、周辺住民から話を伺うことにした。
 
 
周辺住民の思いとは・・・キニナル続きは次のページ≫