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山奥に向かって「ずらあ~っ」と並んだちょっと怖い横須賀の稲荷神社とは?

ココがキニナル!

横須賀市田浦地区に鳥居がずらぁ~と並んだ神社があります。「白赤稲荷神社」と「白若稲荷神社」の2カ所。京都の伏見神社と縁があるとか?なぜここに祀られているのか?キニナル!(八景のカズさん)

はまれぽ調査結果!

白赤(はくせき)稲荷神社も白若(しろわか)稲荷神社も京都府伏見の伏見稲荷大社を総本社とする系列の神社だった

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ライター:やまだ ひさえ

三浦半島には、地元の人たちに親しまれている神社・仏閣が多いが、稲荷神社があるというのは知らなかった。あるのなら、ぜひ、初詣のためにチェックしておきたい。

分かっているのはキニナルの投稿にあった神社の名前だけ。インターネットで調べることから始めた。

 

横須賀市のホームページに掲載されていた白赤稲荷

 
白赤稲荷も白若稲荷も、どんな神社か情報は出てくるが、肝心の連絡先が記載されていないので、市の担当者に問い合わせることにした。

すると、横須賀市安浦(やすうら)にも白赤(はくせき)稲荷神社という同名の神社があり、田浦の2つの神社は安浦の神社の宮司さんによって世話をされているということだった。連絡をすると快く応じてくださったので、取材をさせていただくことにした。



三浦半島の稲荷神社の中心「白赤稲荷」



住所を頼りに横須賀市安浦にあるという「白赤稲荷神社」に向かった。

 

京急の県立大学駅から徒歩5分


住宅街の一角にある

 
遠くからでも目を引く朱色のビルが、白赤稲荷神社だ。

 

周囲の建物に埋もれているが・・・

 
2階に設けられている社務所で、宮司の松本剛直(まつもと・こうじ)さんにお話を伺った。

 

宮司の松本さん

 
松本さんによると、白赤稲荷神社はもともと東京府渋谷村(現在の東京都渋谷区渋谷)にあった。しかし、関東大震災でお社(やしろ)が倒壊したことにより、現在の横須賀市安浦の地に移ってきた。なぜ移転をしたかは記録が残っていないので、経緯は分からないとのことだった。

現在のようなビル形式にしたのは、1973(昭和48)年のこと。神様をお祀りしているのだから、より高い場所をという思いからだった。

また、ビルの屋上には、「ここが神様のおわす場所」ということを示すために、神社の象徴である御神鏡(ごしんきょう)が設けられている。

 

丸くかたどられた御神鏡

 
御祭神は、稲荷の筆頭で、天皇の食事を司る「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」を主神に、四大神(しのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)の五柱が祀られている。

 

白赤稲荷神社本殿

 
そもそも、「稲荷神社」の興りは古く、奈良時代の初め、711(和銅4)年にまでさかのぼる。

『山城国風土記(やましろのくにふどき)』によると、この地を治めていた秦(はた)氏の長・居呂具(いろぐ)が、餅を的に見立て矢を射たところ、餅は白鳥と化して山の頂に飛び去り、降り立ったところに稲が生じたという。

この奇譚(きたん=不思議な話)によって、その山を「稲がなる山」=「イネナリ」と名付け、3柱の神を山頂に祀った。「イナリ」と呼ぶようになったのは、「イネナリ」がつまったものだ。

 

餅が白鳥になり稲になった

 
また、当時、日本中で天候不順による五穀の不作が続いていたため、朝廷が勅使を派遣し祈願させたところ、稲荷山に大神を祀るようにという神のご教示があった。

こうして創祀(そうし)されたのが京都・伏見稲荷だ。このとき、大神を祭祀する役目を任されたのが居呂具だったと伝えられている。

しかし、山頂に創祀された稲荷神社は応仁の乱(1467~1477年)で焼失。その後、現在の地に移された。

 

現在の伏見稲荷大社(同社HPより)

 
『風土記』によると、前述のように居呂具が餅を射たのも、神のご教示があったのも2月の初午(はつうま:現在では2月最初の午の日)の日だった。

このことから、稲荷神社では、この日を「初午大祭」と定め、その年の作物や漁の出来を占い、豊作や豊漁を祈願するための大切な日になっている。

 

初午大祭の様子(同)

 
農耕神として祀られた稲荷神社だが、平安時代には良縁祈願も行われた。また、豊臣秀吉は母親の病気平癒を祈願したことで知られる。

江戸時代になると商売繁昌、産業振興の神様として広く認知されたことで庶民への信仰が広まり、「お稲荷さん」を信仰する人たちの集まりである稲荷講(いなりこう)も盛んになっていった。

 

母の病気回復をお稲荷さんに祈った秀吉(Wikimedia Commonsより)

 
現在では、全国に3万社あるともいう稲荷神社だが、ビルの屋上や自営業の家の敷地内に屋敷神として祀られた祠を加えると100万社はくだらないといわれている。

こうした屋敷神を含め、三浦半島にある稲荷神社を統括しているのが、伏見稲荷大社の系列、講中(こうじゅう=信仰者の集まり)である安浦の白赤稲荷神社だ。

 

横須賀支部の講務本庁である証し

 


稲荷神社と狐の関係



ところで、稲荷神社と聞いて思い浮かべるのが、お狐(きつね)様である。どういう繋がりあるのか、松本さんに伺ってみた。

稲荷神社に祀られているお狐様は、神使(しんし)と言われる存在で、神道において神様の使者や神様の眷属(けんぞく=従者)として神意を代行して現世に接触するものとして尊ばれている。

 

キツネは神の使い

 
神使の種類は、ほ乳類や鳥類、は虫類、想像上の生き物と幅広いが、神社によって固有の生き物が決まっている。

 

主な神社と神使

 
「お稲荷さまと狐の関係は諸説ありますが」としたうえで、松本さんが教えてくれたのが、2つある。

まず、稲荷の神が食物の神・「御饌神(みけつかみ)」なので、その「みつけ」が御狐(おけつね)・三狐(みけつね)に転じたという説。

もう一つは、平安時代初期にさかのぼる。京都・紫野(むらさきの)に年老いた白狐の夫婦が住んでいた。夫婦の願いは世のため人のために尽くすこと。その願いをかなえるために5匹の子狐を伴い、稲荷山に参拝すると社殿が歓喜に震えたところから、狐を神使として迎えた、というもの。

 

伏見稲荷大社でもお狐さまが迎えてくれる

 
お狐様は、宝玉、一子相伝の秘伝や経文が書かれた巻物、蔵の鍵、稲玉など、くわえているものはさまざまだ。神社によって異なるので、参拝する際にはチェックしてみるといい。
 
 
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