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港南区のダイダラボッチ伝説、その真実とは?

ココがキニナル!

市営地下鉄上永谷駅から野庭団地に向かう途中、昔ダイダラボッチという巨人がいたようですが、どんな真実がありますか。他にも横浜市内での都市伝説などがあればレポお願いします。(ハマっこ3代目さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

平地が少ない地形と、要路が交差する地理的条件などが複合的に重なり伝説が生まれたと考えられます。足跡は今でもありました!

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ライター:ほしば あずみ

日本各地に伝承される伝説の巨人、ダイダラボッチ。
ジブリ映画「もののけ姫」にも登場したのでご存知の方もいるかと思う。
 


ダイダラボッチのイメージ


たとえば土をすくって甲府盆地を作り、その土を盛り上げて富士山にした、などその伝説のスケールはかなり大きい。そのダイダラボッチが港南区にいた? 



野庭のダイダラボッチ伝説

まずは、ダイダラボッチの情報を得ようと、インターネットを検索。

港南区ホームページの「ふるさと港南」のコーナーに、ダイダラボッチが登場する民話が掲載されていた。
なお、ダイダラボッチは地域によって様々な呼び方があり、当該の民話は「でいだらぼっち」と表記しているがここではダイダラボッチで統一する。

「でいだらぼっち 野庭」
http://www.city.yokohama.lg.jp/konan/furusato/minwa/minw-03.html

要約すると、ある日、野庭に遊びに来たダイダラボッチに、弘明寺にお参りに行く途中だった北条政子の馬が驚いて暴れ、それにダイダラボッチも驚き足を踏ん張ったので、足指の形に地面がくぼみ、そこに水がたまって田んぼになった。

普通田んぼは川沿いに広がるのだが、こうしてこのあたりの田はポツポツ点在する「飛び田」という珍しい光景になった。驚いた馬が落ちて顔を突っ込んだ川は馬洗川、馬洗橋の前にある山はでいだらぼっちが“ふん”をした「糞山」と呼ばれたらしい。

北条政子、野庭の飛び田、馬洗川、糞山…。
これらの特徴的なキーワードが何かの手がかりになりそうだ。

地図で見ると馬洗橋は市営地下鉄「上永谷」駅のすぐそば。
ここに今でもダイダラボッチの糞山はあるだろうか。

まず訪ねる場所をここに定め、さっそく向かってみた。



ダイダラボッチを探して
 


市営地下鉄上永谷駅前の景色は近代的だった


市営地下鉄「上永谷」駅は地下鉄ながら高架になっている。

馬洗橋方面は高層マンションに直結するぺデストリアンデッキ(歩行者回廊)が馬洗橋交差点まで続いており、馬洗橋はその足元にひっそり存在していた。
 


馬洗橋。馬洗川はここで交差点下へ潜るのであまり橋らしくない


さて、マンションや住宅は林立するものの山らしいものは見当たらない。
ただ橋のそばには何やらパネルのようなものが。
 


馬洗という名の由来を記したパネル。おや、もしや馬上の女性は…?


この辺りは複数の道が交差する交通の要路で、鎌倉から弘明寺への中継点でもあり、北条政子がこの川で馬を洗ったという言い伝えもある、と記されている。

鎌倉から全国各地へつながる「鎌倉道」には、いくつかのルートがあり、ちょうど舞岡のあたりで戸塚方面へ向かう「中の道」と弘明寺方面へ向かう「下の道」に分かれる。そしてこの下の道のあちこちに、北条政子に関する伝説が残っているという。

尼将軍と呼ばれ、鎌倉時代に幕府で大きな力を持っていた北条政子。
その痕跡が残るのは、古くから重要な道であった証といえる。
 


鎌倉下の道を示す点線。この地図では北が下になっている


だが、ここにダイダラボッチへの言及はない。しかも、ダイダラボッチに驚いて馬が顔を突っ込んだため馬洗川と呼ばれるようになったのではなく、ここで馬の塵や汗を流したからだと、違う由来が紹介されている。

とはいえ弘明寺に参詣する北条政子と馬洗川、という共通点は見逃せない。
そして北条政子伝説の残る「下の道」も何か関わりがありそうだ。

さらなる手がかりを郷土史に求めて調べてみたところ、港南区歴史協議会に加盟している天神山貞昌院という寺院がこの馬洗橋から近い場所にある事がわかった。

そこで郷土史に詳しい亀野哲也副住職に、野庭のダイダラボッチ伝説解明のお力添えをいただくことにした。



ダイダラボッチはどこから来た?
 


貞昌院の本堂と亀野副住職


まず、この伝説を読み解く上のポイントを尋ねたところ、押さえるべき点は、やはり「鎌倉下の道」。
それと「武相国境」があげられるという。

武相国境とは、文字通り武蔵国と相模国の国境。
港南区は東と西に分断するようにかつての国境線が通っており、これは横浜市の他の区にはない特徴だ。
 


港南区広報誌の武相国境の特集(2007年4月版)


この国境は大和朝廷の勢力が、鉄器文明を広めた「たたら師」の通った道と言われており、その名残は周囲の金井、金沢などの地名にも残っている。

古代の製鉄方法「鑪(たたら)」。

前述の、ダイダラボッチが登場するジブリ映画にも「たたら場」とそこで働く人々が描かれていたのを思いだす方もおられよう。
実は民俗学ではダイダラボッチと「たたら製鉄」の深い関連性が指摘されている。
ダイダラボッチという名も「たたら」が転訛したという説、たたら師達が信仰した火や山の神が変化した存在がダイダラボッチだという説があるのだ。

また大量の木々を伐採して炭に変え、火の中から鉄を生み出すたたら師そのものも、古代の人にとっては神秘的な存在であり、その働きがやがてダイダラボッチとして語られるようになったとも言われている。

そして、武相国境で製鉄の拠点の一つとなっていたのが、野庭の沿線上にある現在の栄区鍛冶ヶ谷付近。
思えばなんともそのものズバリの地名だ。近くでは製鉄遺跡も発掘されている。

伝説によると「ある日、野庭に遊びに来た」というダイダラボッチ。
どうやらこのたたら師の通った武相国境あたりからやって来たと考えて良さそうだ。

なお、亀野副住職は「昔の道というのは尾根伝いに通ります。武相国境は野庭からは東側にあり、太陽が昇ってくる方角です。また、太陽が沈む方角には富士山がある。こういう条件が山から大入道(ダイダラボッチ)が顔を出すようなイメージを生んだという可能性もありますね」とも述べていた。