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廃線跡巡り! モノレール・ドリームランド線跡に当時の面影は残ってる?

ココがキニナル!

昔あった大船とドリームランドを結ぶモノレール、今現在当時を偲ぶものは残ってる?/廃線探検お願します!モノレール跡はいまどうなっている?レール撤去後のいまはどうなっている?(こっしーさん、カープさん)

はまれぽ調査結果!

モノレールの駅舎やレールはほとんど撤去されているが、レールの土台部分は地中に埋まっている場所もある。施設があった土地を買い戻した人もいた

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ライター:小方 サダオ

大船駅とドリームランドを結んでいたモノレール



かつて大船駅と、1964(昭和39)年~2002(平成14)年まで営業していた遊園地「ドリームランド(戸塚区)」を結んでいたモノレール。大船駅近辺で高架のレールが長年立っていた姿を記憶している人も多いのではないだろうか? 過去にドリームランド線についての記事もあるが、今回はその跡地について紹介したい。

『全国鉄道事情大研究 湘南篇(川島令三)』によると、1966(昭和41)年5月に運行会社であるドリーム交通が開通。15分間隔で3両編成の袴座式(こざしき:レール上を走る)モノレールが大船~ドリームランド間の5.3kmを所要時間8分で運行していた。
 


大船駅付近の軌道跡。2002(平成14)年ごろ

 
また、1965(昭和40)年前後はモノレールブームがあり開発競争が進んでいた。
その状況下で、モノレールの設計などを行った東京芝浦電気(現・東芝)は、他社の成功の焦りからか、車両が重くなったのにその重量に見合った軌道桁(きどうけた)への強化を怠った。そのため、1年後には各所で軌道桁にひびが入ってしまい、開業から1年余り経った1967(昭和42)年ごろに運休になった。以後何度か復活の話はあったが再開していないとある。
 


車両の重さにレールが耐えられなかった

 
そして、大規模な団地であるドリームハイツ(詳しくは後述)の概要を記したパンフレット『県ドリームハイツ30年史』には、ドリームランド線はモノレールの開発競争の初期に登場した画期的な路線だったとあった。

これらの情報を得てから、現地の様子を確認するために、JR大船駅に向かった。
 


大船駅(緑矢印)と元「ドリームランド」(青矢印)の間を結んでいた(Googlemapより)

 
大船駅近くの不動産店の主人に、ドリームランド線について伺うと「60代の人なら一度はあのモノレールに乗ったのではないでしょうか? 1966(昭和41)年ごろ、モノレールは満席でした。ほかにドリームランドのような娯楽施設はなかったので、このあたりの人にとっては楽しみな場所でした」という。

大船駅には、今もモノレールが運行しているが、その湘南モノレールは、有名な観光地の江の島まで10数分とのことで人気を集めているようだ。ドリームランド線も遊園地「ドリームランド」への乗客の夢を乗せて走る乗り物だったのだろう。
 


湘南モノレールの改札口


大船駅に滑り込む湘南モノレール

 
『県ドリームハイツ30年史』にあった「ドリームランドモノレール」の路線図を手に、そのレールの跡地を大船駅からドリームランド線の終着駅であったドリームハイツを目指した。
この路面図には新設する駅舎の理想的な場所が記されていたが、実際に駅舎は完成しなかったようだ。
 


路線図には理想的な駅舎の場所が記されている

 

駅舎の場所を現在の地図と対比したもの
 

まずは大船駅西口のあたりで、モノレールの駅舎があった場所を探した。
 


大船駅西口

 
駅舎跡地には、現在マンションが建っていて、近所の女性に話を伺うと「1966(昭和41)年ごろにモノレールに乗りましたが、1年ほどで中止になりました。現在マンションが建っている場所に駅舎があり、建物の高さも同じくらいでした」とのこと。 
 


駅舎跡地に建つマンション

 
次に駅舎の計画が立っていた場所のひとつ、玉縄台(たまなわだい)方面に向かった。山を一つ越えた先の住宅地のはずれにレールの走っていた場所を発見、周辺住民に話を伺った。



ドリームランド跡地の様子は?
 


レールは玉縄台の住宅地の脇を走っていた(青矢印)(Googlemapより)

 
散歩中の住民の男性に話を伺うと「地上数メートルの高さにレールがあり、その上をモノレールが走っていました。今では跡地には一戸建てが建ち、住宅が増えています。当時は近くに駅ができる計画があったので、私たちは期待していました」とのこと。
 


玉縄台のレール跡地には住宅が建っている


画面中央あたりをレールが走っていた

 
現在跡地には、住宅が建設中で、モノレールの跡は残されていなかった。



かつて小雀信号所があった場所



さらにドリームハイツに向けて進むと、列車交換のためのホームが設けられていた小雀信号所があった場所に着いた。
 


小雀信号所があった場所(青矢印)(Googlemapより)

 
この場所は、現在、農園になっており、ビニールハウスなどがあった。
 


跡地は農園になっているようだ

 
サングラスが決まっている、通りすがりのダンディーな初老の男性に話を伺った。

男性は「ここにはモノレールが行き違いをするための中継所がありました。私たちは1961(昭和36)年に引っ越してきましたが、モノレールの途中駅ができると聞いていました。駅ができるということだったので、土地の価値が上がることやこの場所で商売をした際の収益に期待していた人もいました」と話してくれた。
 


小雀信号所跡地の近くには小雀浄水所がある

 
続いて、近くで畑仕事をしていた中年男性に伺うと「現在私は66歳ですが、モノレールには中学生のころパスを買って何十回も乗っていました。とても思い出深いです。揺れもせず乗り心地は良く、開通当初はいつも満席でした」という。

そしてこの男性の土地にはレールの橋脚が建っていたとのことで、案内してもらうことにした。

「私の持っている土地にモノレールの柱が立つことになり、その際はそこの土地を売りました。しかし中止が決まり、レールを撤去するときに、ほかの人の手に渡りお墓などになったら嫌なので、また買い戻しました」とのこと。
 


男性が持参している開通記念に買ったモノレールの温度計はまだ作動している


裏には、1966年の4月28日に開通した内容が記されていた

 
この男性のように、施設があった土地を元の所有者が買い戻した例もあるようだ。また、男性の所有する温度計も興味深く、「今でも動作しているのを持っている人は少ないのでは?」とのことで、男性のモノレールに対する愛情が感じられた。

モノレールの橋脚の跡地には、土台しか残されていなかったが、周りは緑豊かな山が広がり、自然の起伏に富んだ土地をモノレールが走っていたことを思わせた。
 


男性の土地に残る橋脚の土台


山の稜線に沿ってレールが走っていたという