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【横浜の名建築】ベーリック・ホール

ココがキニナル!

横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第17回は、山手の西洋館の中でも最大級の大きさを誇る『ベーリック・ホール』。細部まで美しく、華やかでドラマチックな歴史を持つ魅力的な邸宅でした

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ライター:吉澤 由美子

スパニッシュ様式の外観と、特徴的な形の窓が印象的な邸宅、ベーリック・ホール(旧ベリック邸)。
 


山手本通りから元町公園へ降りる道の角に入口

 

広い芝生の奥に建てられている


室内はパブリックスペースの1階、プライベートスペースの2階とはっきり分けられており、山手西洋館には珍しい子ども部屋が残っている。
 


入口から室内を覗き込むだけでもため息もの


そしてベーリック・ホールには、華やかでドラマチックな歴史も隠されていた。



さまざまなエピソードを抱えた建物



ベリック邸を設計したモーガンは、山手111番館、根岸競馬場一等馬見所、山手聖公会、山手外国人墓地正門といった建物を作った建築家。

玄関前ポーチが3連アーチになっているあたりは、山手111番館と共通している。
 


室内ではリビングの床が、山手111番館と似ている


ところが、建築主がイギリス人貿易商のB.R.ベリックとあって、内部は英国的な雰囲気が濃厚だ。

この建物が創建されたのは、1930(昭和5)年。日本から和紙や絹を欧州に輸出し、欧州から化粧品や香水、文房具を輸入して成功した貿易商、ベリックは52歳、来日して32年を過ぎた頃だった。
 


豪華な邸宅はかなりの評判になった


この建物の評判を耳にした東京のフィンランド大使館が貿易商としてのベリックの経歴にも着目し、「横浜のフィンランド領事になってほしい」という依頼をする。そしてベリックはこれを快諾。

以来、ベリックは領事としての仕事をこの家のリビングで行っていた。

しかし、ここに住んで10年ほどが過ぎた頃、第二次世界大戦が迫ってくる。そこでベリックは家族と共にカナダのバンクーバーに移住し、10年ほどを過ごして永眠する。

戦後、遺族によりベリック邸はカトリック・マリア会に寄贈され、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われることになる。この建物が「ベーリック・ホール」と呼ばれるようになったのもこの頃。

セント・ジョセフは、ノーベル賞受賞者のチャールズ・ペダーセンや芸術家イサムノグチの母校でもある名門校。

2000年、セント・ジョセフは100年に及ぶ歴史に幕を下ろし閉校となる。そして横浜市が寄宿舎だったベーリック・ホールの土地を取得し、さらに建物を寄贈され、2002年に修復が完成し、公開され現在に至っている。



見逃せないポイントがたっぷり 繊細で上品な装飾



玄関から入り、振り返るとドアの装飾に目を奪われる。
 


ガラスは新しいが、ドア自体は創建時のもの


玄関横には、ステッキ立て。いかにも英国紳士の邸宅らしい趣。
 


下に銅版の受け皿のようなものがあるので、傘立て兼用?


大きなリビングは、ベリックがフィンランド領事の仕事をし、セント・ジョセフの寄宿舎だった頃にダンスパーティも行われた。
 


上部アーチの大きな窓がたくさんあるのは、当時かなり贅沢だった