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「横浜大空襲」から72年。戦死者の遺品寄付は受け入れてもらえないって本当?

ココがキニナル!

太平洋戦争で戦死した伯父の遺品が資料になればと県立慰霊堂展示ホールに連絡してみたところ、寄付などは考えていないとの回答。貴重な資料が死蔵同然に扱われていることがショックです(はまっこ61号さん)

はまれぽ調査結果!

神奈川県立戦没者慰霊堂では、保管スペースの関係上、現在遺品の寄付などは受け付けていない。今後も保管スペースを拡大する予定はないという

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ライター:コハル

戦争を知らない世代が国民の8割を超えると言われている今日、戦争の傷跡を物語る遺品が今後ますます貴重な資料となることは間違いない。
 


72年前、猛火に包まれた横浜
 

親族の思い出の品として自分の懐にそっと抱いていたいという人もいれば、一人でも多くの人に戦争を知ってもらうために活用したいと願う人もいるだろう。
 


「平和への願いを込めて」
 

今回は投稿していただいた横浜市在住の「はまっこ61号」こと片倉真由美(かたくら・まゆみ)さんも、出征中に亡くなった伯父の遺品を寄付して、世の役に立ててたいと考えたそうだ。

しかし、残念ながら横浜市港南区最戸(さいど)にある神奈川県戦没者慰霊堂の展示スペース「かながわ平和祈念館」に寄付を申し出たところ、現在寄付は受け付けていないと告げられたそう。本件について詳細を聞くべく、まずは片倉さんご本人のもとへ足を運んだ。



決して風化させてはいけない、当時の記録



はまれぽの取材に快く応じてくれた、生まれも育ちも横浜という片倉さん。

片倉さんが大切に保管していたのは、1942(昭和17)年に22歳で太平洋戦争に出征し、25歳という若さで戦病死した伯父・片倉弘(かたくら・ひろし)さんの遺品。
 


出征当時の片倉弘さん
 

弘さんが映る写真が数枚、弘さんが訓練兵時代に毎日綴っていた日記、日本軍から支給された絵巻、そして弘さんが愛用していた風呂敷だ。

弘さんの妹にあたる片倉さんのお母さんが大切に保管していたが、お母さんが亡くなってからは片倉さんが引き継いだのだという。
 


弘さんの日記と、日本軍が作成したと思われる「靖国の絵巻」(上)
 

「修養録」と書かれた日記には、旧日本陸軍の宇都宮師団に所属していたころの弘さんの活動内容や近況、そして自身の思いが綴られている。弘さんは毎日欠かさず日記を書いていたようだ。
 


几帳面に綴られた日記の1ページ
 

「靖国の絵巻」には、日本軍の雄姿や快進撃が勇ましく描かれている。訓練生たちの士気を高めるために、日本軍が配布したものだったのだろうか。
 


「靖国の絵巻」の目次
 

当時の戦局を物語る地図
 

勇ましく描かれた日本軍の姿
 

弘さんが所属していた師団の同胞との貴重な記念写真も。あどけなさの残る若者たちの笑顔が心に刺さる。
 


最前列の右端が弘さん
 

そしてこちらは、弘さんが使用していた名前入りの風呂敷。

縁には銃剣を持った日本兵や軍艦などが描かれており、当時の日本が戦争ムード一色であったことがうかがえるようなデザインだ。
 


日本軍の姿が描かれている
 

「伯父は25年間しか生きられなかったので、伯父の記録も少ないのです。いつかこのまま忘れられてしまうのではないかと思うと、心苦しくて」と片倉さん。

国のために若くして亡くなった人々のことを、日本人はこれからも忘れることなく心に刻んで生きてほしい。片倉さんはそんな気持ちから、遺品の寄付を希望したのだという。
 


遺品を前に話す片倉さん