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横浜を代表する食品メーカー「タカナシ乳業」の歴史に迫る!

ココがキニナル!

横浜以外でタカナシ乳業の営業車が/工場イルミは?/ハーゲンダッツ作ってる?/なぜ横浜に本社?/工場の立地が悪い?(紀洲の哲ちゃん、Hikonyannさん、だいさん、毛鉤親爺さん、町田県民さん、ホトリコ

はまれぽ調査結果!

横須賀で酪農を始めたが1957年の火災後、横浜市の誘致で現在の土地に移転。横浜以外でも工場・営業所があるから車も走る。イルミは再開予定なし

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ライター:コハル

横浜育ちの人間なら、「タカナシ乳業」と聞けばピンと来る人も多いのではないだろうか。

そう、学校給食などでよく目にしていたあの牛乳メーカーだ。
 


ロゴマークを見れば「あー!」となる人も多いはず!
 

横浜市旭区に本社を構えるタカナシ乳業株式会社(以下、タカナシ乳業)は1950(昭和25)年の設立以来、長年にわたって数々の牛乳・乳製品を生み出してきた。

同社から発売されている商品はロングセラーの牛乳や乳飲料をはじめとして、ヨーグルト、チーズ、生クリームなど多岐にわたる。
 


バラエティー豊富なラインアップ
 

乳業界においては明治や森永乳業などの大手に追随する存在であり、あの有名なアイスクリーム「ハーゲンダッツ」を合併事業によって製造しているという。

本社は横浜だが、北海道、岩手県、群馬県、岡山県など全国に工場を有し、生産から流通にいたるまでの品質管理に取り組んでいる。そして「北関東工場」とグループ会社の「あしがら乳業」では、一般人の工場見学も受け入れている。
 


全国に工場が(タカナシ乳業ホームページより)
 

同じく、一般人が気軽に見学できる横浜工場併設のバラ園も好評で、バラの花は企業ロゴマークにも使用されている。
 


バラを愛した創業者が整備した本社前のバラ園
 

しかしキニナル投稿にもあるように、酪農のイメージがあまりない横浜で乳業を始めたきっかけは何だったのだろうか?

今回はタカナシ乳業株式会社法務・広報部の広報担当、長井裕子(ながい・ゆうこ)さんにお話をお聞きした。



知人を頼り、横須賀へ



「タカナシ乳業の前身会社の創始者・高梨庄三(たかなし・しょうぞう)氏の出身地は千葉県なのですが、知り合いが横須賀で酪農をしており、1902(明治35)年ごろ、牧場経営に興味のあった当時19歳の高梨氏がそこを手伝うことになったようです」と長井さん。
 


取材に協力してくださった長井さん
 

数年間知人の牧場の手伝いをした高梨氏は、そこで得た経験や知識をもとに横須賀に牧場を開設。順調に運営していたが、戦後には牛乳の製造・販売へ業務をシフトすべく、庄三氏の長男・芳郎(よしろう)氏が1949(昭和24)年に横須賀に乳製品工場を設立した。

ところが1957(昭和32)年に同工場で火災が発生したため、工場はいったん運営を停止することに。近隣住民や同業者の助けもあり、この体験を通じて牛乳の大切さを再認識。1959(昭和34)年に横浜市からの誘致を受け、現在本社がある横浜市旭区に工場を再び設立したのだという。
 


当時の横浜工場の写真
 

創業者が横須賀にやってきた経緯や本社所在地が横浜になった経緯は分かったが、横浜が取り立てて「酪農が盛ん」というイメージはない。そんな横浜の地で開業することに不安はなかったのだろうか。

長井さんは「昭和30年代に将来の消費拡大を見越し、横浜に工場を持ったと聞いています。神奈川県内では中部から西部の方や、千葉県、群馬県、長野県にも原乳を求めて製造していました」と話してくれた。