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みんなのキニナル

    横浜市はみどりアップ推進と称して、みどり税を農家に注ぎ込んでいる?らしいですが、それにしては一部を除き、農地が荒れているような?いっそのこと、休耕田畑にお茶の樹を植えて、茶葉を収穫して紅茶や烏龍茶に加...

    ナチュラルマンさん

    らみぃさんに関連しますが、茅ヶ崎牛は県立茅ヶ崎里山公園近くにて畜産家が育てているようです。肉の直売もある? らみぃさんの投稿に併せて、生産家も取材して下さい。

    ナチュラルマンさん

    茅ヶ崎にある「バリック」というイタリアンのお店で、茅ヶ崎牛のお料理が食べられるそうです。茅ヶ崎の牛?どんな味わいなのか、ぜひ取材してほしいです!

    らみぃさん

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横浜のココがキニナル!

川崎・百合ヶ丘駅北側の「みねや食堂」の立地なんですが、店舗周囲360度が路面です。取材してください。(マッサンさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

みねやは百合ヶ丘駅近くで営業している料理屋さん。開店当初から周囲は道路に囲まれていた。元芸能人の店主は地元では有名な人物だったとのこと

ライター:松崎 辰彦 (2018年05月11日)

百合ヶ丘駅にある「みねや」

川崎市麻生区にある小田急線百合ヶ丘駅。新宿駅から出発すると新百合ヶ丘駅の一つ手前の駅である。

 

百合ヶ丘駅
 

プラットホームに降り立ち、北口から外に出ると眼下に世田谷町田線の道路が走っている。
投稿にある「みねや」は駅のすぐそば、道路ぎわにたたずんでいる。

 

「みねや」の看板が見える
 

迷うまでもない。

 

みねや
 

小さな一軒家。もう長らくここで商売をしてきたであろうことは、その風格から否応もなく察せられる。

「360度が路面」とのことだが、周囲を観察するとなるほどたしかに道路に囲まれている。

 

背後から。三方が道路に囲まれている
 

周囲に同じような場所もなく、ポツンと孤立している感じもするが、一種存在感のある店構えである。

ともかく中に入ろう。お邪魔します!



コンビニのない時代、みねやは人気店だった

「このお店は私の母が自分の兄、私からすれば伯父(おじ)から買ったものです。伯父は、東京都大田区蒲田にいたんですが、昭和30年代にここに移り、この店で寿司屋を始めました。そのときから屋号は『みねや』です」

話してくれるのはこのお店のご主人、海川一(うみかわ・はじめ)さん。小さなお店を切り盛りしている。

 

海川一さん
 

お店の歴史から教えてくれた。

「伯父はここを皮切りに、付近で同じ『みねや』という寿司屋を何店舗も開店しました。そして妹である私の母に『この店を買わないか?』と持ちかけたんです。母ももともと東京都大田区にいたんですけれども、当時は川崎市柿生に飲食店を出していました。その店も儲かっていたのですが、母は伯父からやはり昭和30年代にこの店舗を買い取り、ここに移りました。最初母は焼き肉屋をやり、そのあと居酒屋になりました」

 

一さんの母親、海川千代子(うみかわ・ちよこ)さん(画像提供:海川一)
 

店内はせまい。席はカウンターのみ、数人も座ればいっぱいである。

 

カウンターは7席
 

「昔景気がよかったころは、外で客さんが列を作って待っていましたよ。あのころはお店もなかったし、コンビニなんてものもなくて、時代がよかったんですね」
当時から地元の根強い固定客に支えられているようである。

「このあたりには独身寮がいっぱいあったんです。富士通とか大手の独身寮が。そこの人たちが『寮のご飯はおいしくない』とかいいながら食べにきていました。みんな地方からきた男の子たちですよ。その子たちに朝なんかはお握りを作ってあげていました。みんな持って帰るんです」

母親代わりだった様子である。
そんな千代子さんも2017(平成29)年、90歳の天寿を全うした。



かつて芸能界にいた

ほかの食品関係の店で働いていた一さんが、実家であるこの店に帰ってきたのは20代のころ。
一さんは1956(昭和31)年12月8日東京生まれ。当年62歳、可愛いお孫さんもいる。
父親は東京電力に勤めていたが、若くして他界した。その後は母親の千代子さんが一さんら兄弟を育てた。

 

母親(左)と(画像提供:海川一)
 

そんな一さんにはユニークな経験がある。13歳から芸能界で活動したのである。
「大手の芸能プロダクションと劇団に入っていました。映画なんかにも出て、自分のレコードも出したりしました」

 

中学生時代。すでに芸能人だった(画像提供:海川一)
 

高校は東京都中野区にある、芸能コースが有名な某高校。郷ひろみや野口五郎といった当時のスターたちとも知り合いだった。

 

ステージや映画で活躍した(画像提供:海川一)
 

「みんなオーラがありましたね。ふだんは女性の親衛隊に囲まれていました。彼女たちはどこにでもついていきます」
芸能界の裏話にもくわしい。

そして一さん自身、地元では有名人だった。
「バカ息子と呼ばれていましたね・・・ここは地味なおとなしい街ですから」

 

成田空港で。「税関で別室に連れて行かれ『麻薬を出しなさい』と言われました」
(画像提供:海川一)

 

耳にピアスをしたり、相当目立つ格好で歩いていたとのこと。車も好きで、若いころから外車に乗っていたそうである。

 

車が好き。中で立っているのが一さん(画像提供:海川一)
 

 
いつから道路に囲まれている立地なのだろう? 次ページへ ≫
 

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