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南区の南永田団地は、昔は池だったの?

ココがキニナル!

南区の南永田団地に昔池があったと聞いたのですが、本当でしょうか?(CAZさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

団地の場所よりも西、六ツ川三丁目近辺にあったと考えられる。付近には「大池」などの地名が残り、実際にあったという証言も得られた。

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ライター:河野 哲弥

まずは、南永田団地の確認から



「南永田団地」とは、南区永田みなみ台周辺に林立する、巨大な団地群である。
とりあえず、どんな団地なのか、この目で確認することからはじめよう。
 


急な坂道を登っていく
 

その先に、南永田団地があった
 

団地群の一例


不思議に感じたのは、この近辺は小高い丘になっているということだ。
住所も「永田みなみ台」となっている。水は低いところに集まる性質があるのは周知の通り。
こんな高台に池があったのだろうか。



池を探す前に、古老捜し



現場が把握できたところで、次は町の古老を捜すことにした。

そこで南区役所に、「永田地区の歴史を研究している方をご紹介いただけませんか」と、ストレートに頼み込んでみた。すると、「南区を知ろう会」というボランティアガイドの組織があり、会長の清田さんが詳しいのではないか、とのこと。さっそく連絡を取り、後日某所でお会いすることになった。

会長は、石仏の裏に刻まれている町名などを手かがりに、かつての地理を研究しているそうだ。また、昔のことを知る人から得た証言をもとに作った、「大正初期の六ツ川地区記憶図」というものを持参してくださった。
 


昔の地図を広げる、清田会長

現在「南永田団地」が建っている場所は、図の上部にある空白地の真ん中あたりだという。
一方、左側には「池」のようなものが確認できる。清田会長によれば、問題の池は、このこと(小池)ではないかという。そして、高台にある団地周辺には、水系のようなものはなかったはずだと話す。
 


同記憶図に、水系は「青」、道は「茶」の加工をしてみた


両方を照らし合わせてみると、南北に横断する「横浜横須賀道路」付近に、かつての池があったと考えられる。今の地名なら、六ツ川2丁目のあたりだろうか。
 


現在の地図。道路の部分を、「茶」で強調


さらに会長によれば、この茶色の「平戸桜木道路」と「横浜横須賀道路」の交点には、その名も「大池」という交差点があるそうだ。後は、ご自分の足で確かめてみてはいかがということになった。