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かつて栄えていた西区の平沼商店街。にぎわいを取り戻すための施策とは?

ココがキニナル!

横浜駅から徒歩10分の距離にもかかわらず、いつ通ってもガラガラの平沼商店街。いったいどんな経緯ででき、今後はどうなっていくの?(はまれぽ編集部のキニナル)

はまれぽ調査結果!

平沼商店街はかつて、三菱重工造船所従業員の通勤経路として栄えた商店街だったが、近年は寂しい状況。商店街の方によると、商店街活性化企画が進行中とのこと!

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2018年08月17日

ライター:吉田瞳

横浜駅から徒歩10分の場所にある、西区の平沼商店街。いつ通ってもガラガラな印象で、横浜駅とのギャップがキニナる。いったいどんな商店街なのか? まずは商店街の歴史を調べてみることに!
 


平沼商店街(赤枠)の場所。相鉄線平沼橋駅からも徒歩6分ほど(© OpenStreetMap contributors

 
 
 
平沼商店街とは?
  
西区の歴史が記載されている『ものがたり西区の今昔』によると、平沼地域から今の横浜駅である鶴屋町、岡野町、浅間町一帯は風光明媚な海原だった。1839(天保10)年に5代目平沼九兵衛が埋め立てを開始、7代目平沼九兵衛までの3代に渡り埋め立て事業を完成させた。その名を冠して「平沼」という地名ができたのだ。
 
埋め残りの沼地や池が諸々にあり、あしが生い茂る不毛の地であったが、武士の子孫が住むようになり、1880(明治13)年ごろからは移住する人も増えてきた。
 


埋め立てでできた、平沼の周辺地域(『グラフィック西―目で見る西区の今昔―』より)

 
また、『横浜 西区史』によると、1901(明治34)年10月に、国鉄平沼駅ができ、その駅前に30~40軒の商店が集まったという。これが平沼商店街の最初であった。
 


平沼商店街。左側に見えるのは京浜急行旧平沼駅ドーム(『グラフィック西―目で見る西区の今昔―』より)

 
『ものがたり西区の今昔』には、大正時代の平沼商店街の華やかな様子の記述がある。
平沼商進会の縁日は、近隣のお祭りの中でも最もにぎやかで、3日・13日・23日の「3の日」に、屋台などが並んでいたという。商店街には芝居小屋兼映画館もあり、芝居と映画を組み合わせたものが上演されていた。
 


大正末期の平沼商店街(『グラフィック西―目で見る西区の今昔―』より)

 
横浜港が近くにあることもあり、昭和時代には三菱重工横浜造船所(以下、三菱ドック)で働く人々の通勤経路としても利用された。夜には彼らが平沼商店街に飲みにきて、盛り上がっていたという。
 
港町の商店街として栄えた平沼商店街は、現在どのような姿になっているのか? 調査に乗り出した。
 
 
 
平沼商店街に潜入!
 
横浜駅西口から歩くこと10分。赤い文字が印象的な平沼商店街のゲートをくぐると、そこには静かな街が広がっていた。
 


平沼商店街の存在感のある看板

 
日曜日ということもあってか、開いているお店は少なく、歩いている人もいない。
お店よりも、近年できたように見えるマンションの方が多いのでは? と思えるほど。
  


人通りのない商店街

 
 
 
にぎわっていた当時の様子は
 
実際に人けのない印象の商店街だが、かつて栄えていた様子を商店街の方々にお話を伺うことにする。
 


平沼の老舗店、田中屋さん

 
平沼に1920(大正9)年から店を構える老舗蕎麦屋「田中屋」の店長、鈴木昭弘(すずき・あきひろ)さんに平沼商店街の昔の様子を伺うことができた。
 
生まれも育ちも平沼だという鈴木さん。小学生だった1964(昭和39)年には、平沼商店街が三菱ドックの従業員の通勤経路だったこともあり、活気に満ちあふれていたという。ご自宅はお店の上にあったため、毎朝三菱ドックに通勤する人々の下駄の音で目が覚めたほど。商店街には水銀燈が光り、音楽や各店の宣伝がスピーカーで流れ、定期的に縁日も行われた。
 


鈴木さん

 
当時子どもだった鈴木さんにとって印象深いのは、縁日だ。

「綿菓子や金魚すくいなど、なんでもありました。特に私が好きだったのは、げんごろうゲームです。数字を書いたボードが水の底に沈んでいて、あらかじめ決めておいた数字に、げんごろうが泳いでいったらお菓子がもらえるというものでしたね。近所の子どもたちと一緒に、夢中になったものです」と楽しそうに語る。
 


1933(昭和8)年の田中屋さん

 
その後、田中屋で働き始めた鈴木さん。1970年代には、蕎麦の出前サービスのお店だった田中屋で、鈴木さんは地域の企業に蕎麦を届けていた。当時、平沼地域には従業員10人程度の工場が多かった。土地柄、船関係の企業が中心だったという。船のスクリュー周りの部品や、進水式で使用する紙テープなどの装飾を作る会社まであったそう。
 


昭和40年代前半のころの商店街(画像提供:酒井康彦さん)

 


通り沿いにはたくさんの商店が並んでいる(画像提供:酒井康彦さん)

 
しかし、バブルがはじけた1990年代に、工場は次々に移転・閉鎖。港関係の仕事をする人々の姿は減っていった。
 
一方、前後して田中屋は出前蕎麦から店舗に転換。味と接客にこだわり、リピーターを増やしていった。甥で、現代表の鈴木弘文(すずき・ひろふみ)さんで4代目。「ごちそうさま、また来るね」という声が嬉しくて、お店を継ぐことを決めたという。
 


100年近く続く

 
筆者も看板メニューの「きざみ鴨せいろ(1134円/税込み)」をいただいた。蕎麦と鴨汁のうま味が上品に混ざり合っておいしい。スタッフの皆さんもとても丁寧に対応をしてくださった。誠実な商売の積み重ねがあったからこそ、100年近くもお店が続いているのだ、と感じ嬉しくなった。
 


田中屋のきざみ鴨せいろ

 
 

 

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