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【横浜の名建築】横浜指路教会

ココがキニナル!

横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第23回は、『横浜指路教会』ゴシック風の外観が印象的なこの教会は、宣教医ヘボンが設立し、幾多の苦難を乗り越えた歴史を持っていた。

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ライター:吉澤 由美子

大きなバラ窓と、その上部を囲む尖頭アーチに、建物の角がそのまま持ち上がるようにそびえる鐘楼という厳粛な姿の横浜指路教会。


バラ窓、上部の尖ったアーチ、列柱、片方についた鐘楼。堂々としたたたずまい


正面は国道16号線に面し、JR根岸線からは桜木町駅と関内駅の間で裏側を見ることができる。立ち並ぶオフィスビルの中で、そこだけゆっくりと時間が流れているようだ。


根岸線方面から眺めた横浜指路教会。正面とは雰囲気が違う


横浜指路教会について教えてくださったのは、藤掛順一(ふじかけじゅんいち)牧師。


わかりやすく、そして丁寧に説明くださった藤掛牧師


一般公開は礼拝堂のみだが、今回、普段は見ることができない場所を紹介する機会をいただいた。



ヘボン式ローマ字の宣教医、ヘボン博士ゆかりの教会



横浜指路教会は、宣教医(宣教師であり医師)のヘボン博士を中心に設立された教会。

ヘボン博士は、明治維新より以前の1859年(安政6)年にアメリカからクララ夫人を伴って来日した。

当時はキリスト教が禁じられていた時代。ヘボン博士はまず日本語を学び、日本初の和英辞書を編纂し、英語塾をはじめた。私たちにもなじみ深い「ヘボン式ローマ字」は、ヘボン博士の和英辞書に使われた日本語のアルファベット表記がもとになっている。

生麦事件で負傷したイギリス人の治療を行ったのもヘボン博士。当時、日本人の間でも温厚な名医として知られていたため、最初に報せを受けて駆け付けたと伝わっている。


正面入口にある教会の表札


「ヘボン」という名前は、本来は「ヘップバーン」今では女優のオードリー・ヘップバーンでおなじみの苗字だが、明治維新前の日本人の耳には、ヘップバーンがヘボンと聞こえたらしい。そこから博士は自己紹介でも「ヘボン」と名乗り、時には「平文」という漢字をあてて署名することもあった。

ヘボン博士の英語塾では、後に総理大臣となる高橋是清や外務大臣となる林薫など錚々たるメンバーが学んだ。この英語塾はやがて、明治学院やフェリス女学院となる。

明治に入ってヘボン英語塾の青年たちを中心に教会設立の声が高まり、1874年(明治7)年に横浜指路教会の前身となる教会が設立される。

当初は何度か場所を変え、1892年(明治25)年、現在の場所にヘボン博士の尽力で赤レンガの教会堂が建てられ、この時に横浜指路教会と名前も改められた。

「指路」は、ヘボン博士がアメリカで属していた教会の愛称「Shiloh Church」の「Shiloh=シロ」に漢字をあてたもの。シロとは、旧約聖書にある「平和を来らす者=メシア」と、「古い時代の聖なる町」という両方に用いられている言葉だ。

宣教師として33年もの間、親しまれてきたヘボン博士は横浜指路教会が完成した後、惜しまれつつ日本を去る。

その後、1923(大正12)年の関東大震災により赤レンガの教会堂は倒壊してしまう。そこで3年後の1926(大正15)年に再建されたのが現在の建物。

震災を教訓に当時最先端の鉄筋コンクリート造を採用しながら、デザインはゴシック風の教会らしい建物になっている。


層を成して重なる柱や先の尖ったアーチは、見る者を天上へといざなうようだ




シンプルなプロテスタント教会



キリスト教の教会は、カトリックとプロテスタント、そして東方正教会の3つに大きくわけられ、それぞれ建物にも特徴がある。

見分けるための大まかな目安は、キリストや聖人の彫像があって華やかな装飾にあふれていたらカトリック教会、簡素で静謐な雰囲気であればプロテスタント教会、イコン(聖像画)があって神秘的な印象だったら東方正教会。

横浜指路教会はプロテスタント。ゴシック風の外観、簡素な礼拝堂といったたたずまいは、アメリカのある時代に建てられた古い教会堂の雰囲気を色濃く残している。


バラ窓にある12枚の花弁は、キリストの弟子12人を象徴しているように感じられる


入口右横にあるチャーチベルは、20年ほど前の改修時に鐘楼からここに移されたもの。


現在も礼拝のはじまりや午後6時の時を告げている