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横須賀沖の海上要塞「第二海堡」とは?上陸ツアーに参加した!

横須賀沖の海上要塞「第二海堡」とは?上陸ツアーに参加した!

ココがキニナル!

横須賀市などが行っている海上要塞「第二海堡」の試験上陸ツアーに参加してレポートをお願いします(nobaxさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

第二次世界大戦から明治・大正の戦時遺構を残す「第二海堡」。これまで立入禁止だった場所に2019年4月からは一般の人もツアーで上陸できる!

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ライター:吉田瞳

明治から大正にかけて、首都東京を防衛するため東京湾に建設された三つの海上要塞「海堡(かいほう)」。海の上に人工島を建設し、砲台を設置するという一大プロジェクトだった。
神奈川県の横須賀沖に浮かぶ第二海堡はその中のひとつ。建設時から現在まで、一部関係者以外、立ち入りを禁止していた。
ところが・・・国土交通省が2018(平成30)年12月に、第二海堡を一般公開すると決定。2019年4月から、旅行業者経由で一般の人も「海堡ツアー」へ参加できることになったのだ。
2019年3月23日。一般ツアー開始に先駆けて、横須賀市民120名限定の第二海堡上陸見学ツアーが開催された。主催は、横須賀市などを中心とする、横須賀集客促進実行委員会だ。
実はこのツアー、2018年7月に開催されたトライアルツアーに続き、二度目の開催。応募は4倍近い420名だったそう!一般人立ち入り禁止の場所が神奈川県にあるなんて、そしてそれが解放されるなんて、やはり行ってみたい。
という訳で、はまれぽ編集部に「私・・・横須賀市民なんで・・・」と、宣言し、ライター吉田瞳が参加してきた。
 
 
 
「第二海堡」とは?
 
そもそも海堡はどのような歴史を辿ってきたのか? 上陸する前に、まずその歴史を紹介したい。
海堡の歴史と建設技術をまとめた野口考俊(のぐち・たかとし)氏の論文『東京湾海堡の建設について』(神奈川県立図書館所蔵)によると、海堡の起源は幕末期に江戸幕府が品川沖合に築いた品川台場に遡るという。1853(嘉永6)年にペリー艦隊が来航し、江戸湾内に侵入したことにより、沖合での防衛の必要性が高まったことが要因だ。

「東京湾への敵艦隊侵入を阻止しよう」と海堡の建設計画が立ち上がったのは明治時代になってからのこと。首都である東京と横須賀の軍港を守るため、東京湾入り口の海上に3ヶ所の海堡を築いたのである。
 


3つの海堡の位置(© OpenStreetMap contributors

 
それぞれの海堡は、1890(明治23)年から1921(大正11)年にかけて建設作業が行われた。第二海堡は1889(明治22)年から1914(大正3)年までの25年間をかけて建設されている。第二海堡建設地点の水深は約10メートル、ちなみに第三海堡建設地点の水深は39メートルだったそう・・・。潮の流れも早く、当時は大変難しい工事だったようだ。
 


現在の第二海堡

 
論文『東京湾海堡の建設について』でも、「第三海堡は水深が39メートルの大水深である。 当時、このような深い場所に人工島を建設した事例はなく、現在においても施工例がない。 海堡建設は驚くべき事由であり、その技術力は世界でも類を見ないものであったということである」と海堡の歴史的意義を伝えている。
 
しかし、第二海堡が完成した9年後の1923(大正12)年には関東大震災が発生。3つの海堡は大きな被害を受けた。特に第三海堡は防波壁が全て転覆した上、崩壊が著しく、修復されることもなかった。
昭和に入ってからは、海堡跡地は海軍が探照灯(今でいうサーチライト)や水中聴測訓練所として利用したが、1945(昭和20)年の終戦後、武装解除。同時に、砲や砲台も米海兵や英国上陸部隊により破壊されたとみられている。
 
 
 
「第二海堡ツアー」いよいよ出発!
 
2019(平成31)年3月23日。100年以上もの間、波乱の歴史を辿ってきた第二海堡に上陸できるツアーの日がやってきた。
ツアーは京急線・横須賀中央駅から徒歩10分程度の場所に位置する、「三笠桟橋(みかささんばし)」から出発する。この日はあいにくの雨だったが、初めて上陸する第二海堡への期待に参加者は胸を膨らませている様子だ。
 


今回はこちらの船で海堡へ向かう。左手に見えるのは世界三大記念艦「三笠」

 
船のエンジンがかかり、いよいよ出発。見る見るうちに陸地が遠ざかっていく。
まずは船上で、このツアーを主催した横須賀集客促進実行委員会の構成メンバーである、横須賀市観光課の岡本剛彦(おかもと・たけひこ)さんの挨拶があった。
 
「横須賀市内にある、砲台跡などの歴史遺産とあわせ、多くの人に海堡に来てほしい」と岡本さん。
 


横須賀市観光課の岡本剛彦さん

 
数分船を走らせれば、東京湾唯一の無人島、猿島が見えてくる。猿島にもかつて砲台が置かれ、海堡とともに東京を守っていた。
 


東京湾唯一の無人島、猿島

 
そんな猿島の横をすり抜け、ガイドであるトライアングル社の岩澤博文(いわさわ・ひろふみ)さんによる、海堡の歴史の解説を聞きながら、船は一直線に第二海堡へ向かっていく。
 
20分ほど進めば、そこは東京湾の出入り口である浦賀水道。国内外の大型船が通過する、海上交通の要衝だ。そのため、多くの船とすれ違う。コンテナ船や液化天然ガス(LNG)を輸送する
LNG船、砂利運搬船など1日500隻以上の船が行き交っているという。
 


ツアー中にも、多くの船とすれ違った

 
 
 
第二海堡に接近!
 
三笠桟橋から船で30分。いよいよ第二海堡へ到着だ。近づいてみると、想像よりも大きい。4万1300平方メートルと、東京ドームの9割弱程度もの大きさを誇る。
 


近づくと、砲台や構造物がよく見える

着岸したら上陸。ガイドの岩澤博文さん、大友渉(おおとも・しょう)さんの案内で島内を巡る。