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茅ヶ崎のシンボル「えぼし岩」、名前の由来や当時の写真は残っているか?

ココがキニナル!

茅ヶ崎のシンボル“エボシ岩”、第二次大戦後の米軍駐屯兵の射撃の的となり、今の形になったらしいです。以前から名前はエボシ岩だったのでしょうか。以前の写真なんかありますか。(ハマっこ3代目さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

江戸時代末期から、「えぼし岩」と呼ばれていたようです。「図説 市民の半世紀」という文献に、射撃前の写真が載ってました。

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ライター:河野 哲弥

「えぼし岩」を間近で見るチャンスが到来!

茅ヶ崎海岸沖、約1.4キロメートルの海上に、とがった形の岩がある。
「チャコの海岸物語」をはじめとしたサザンオールスターズの歌でおなじみの、「えぼし岩」である。
 


はるか遠くにポツンと見える、「えぼし岩」


普段は、釣りをする人を対象にした渡し船などを利用しないと、その近くまで行くことはできない。ところが、茅ヶ崎市観光協会が主催する「えぼし岩周遊船」という企画が、2月4日(土)に催されるという情報を耳にした。

併せてガイドも行われるらしく、今回の取材には絶好の機会が訪れたようだ。
そこで、さっそく申し込んでみることにした。



晴天に恵まれ、約600人が参加

当日の朝は、雲ひとつない快晴だった。日中の最高気温も10℃を上回る見通しで、茅ヶ崎漁港には、朝早くから多くの参加者が詰めかけていた。
 


1日4回に分けて、それぞれ約150名が参加
 

さらに4隻の漁船に分乗する


出発時間は、8時半、9時半、10時半、11時半の4回。参加費は1人1,500円で、約40分をかけて「えぼし岩」の周りを巡る。
冬の空気は澄み切っているため、晴天時には、富士山もクッキリその姿を見せた。夏のシーズン以外にも、茅ヶ崎の海に親しんでもらおうという狙いが、同企画にはあったようだ。
 


絶好のシャッターチャンスが到来
 

普段では見ることのできない、裏側の様子もバッチリ


船上でガイドをしてくださったのは、「ちがさき丸ごとふるさと発見博物館の会」に所属する加藤さん。同会は、市が講座を開いて養成したガイドなど約30名で組織されている。

加藤さんによれば、大小30以上の島が集まったこの近辺の岩礁全体は「姥島(うばじま)」といい、「えぼし岩」というのは、その中の岩のひとつに付けられた通称である。

この「姥島」は、300万年前から600万年前に誕生したらしい。それが注目されはじめたのは、江戸時代に庶民の行楽として行われた、「江の島詣」がキッカケになったのではないかと考えられるとのこと。当時の浮世絵師、安藤広重が描いた「江の嶋詣岩屋之図(1844~1848年作)」の中には、富士山をバックにした「姥島」が確認できるからだ。
 


船長の豊永さん(左)と、ガイドの加藤さん(右)


では、いつの頃から「えぼし岩」と呼ばれ出したのだろう。

同会から頂いた資料によれば、17世紀中頃に、茅ヶ崎村と小和田(こわだ)村による、茅ヶ崎沖の領海権を巡る争いがあったそうだ。そして当時の江戸幕府は、両村の境界線となる目印を、この「えぼし岩」に定めたらしい。このときの裁定の記録が、「えぼし岩」に関する最古のものとされている。

名前の由来については、平安貴族がかぶっていた「烏帽子」に似ていたから、自然にそう呼ばれるようになったようだ。

それ以降の歴史を伺ってみると、茅ヶ崎市役所の方が詳しいのではないかとのこと。
そこで今度は、同市役所を訪ねてみた。