「ハマのアメ横」洪福寺松原商店街の歴史とは?
ココがキニナル!
常に大勢の人で賑わい、「ハマのアメ横」とも呼ばれる松原商店街。どうやってここまで発展したの?歴史を教えてください!(そうてつボーイさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
洪福寺松原商店街は、1952年に2つの商店街が合併してできたもの。合併後、洪福寺商店街の部分は自然消滅、現在の商店街が残った
ライター:ムラクシサヨコ
「ハマのアメ横」安さの秘密
「ハマのアメ横」と呼ばれる保土ケ谷区の松原商店街、正式名称は「洪福寺松原商店街」だ。そのにぎわいについてはコチラ。
今回は「洪福寺松原商店街」の歴史を紐解こうと、現地へと向かった。
最寄り駅は相鉄線天王町駅
ここから徒歩5分ほどで商店街の入り口だ
「やすさ 来やすさ」という商店街の標語が掲げられた入り口ゲート
まず訪ねたのは、洋品店「つるや」。店主の田中勝郎(たなか・かつろう)さんは、商店街の元理事長で、昔の話にも詳しいという。
「つるや」は創業50年を超える老舗だ
田中さんは1962(昭和37)年に「ごちゃごちゃしておもしろいところだと思って」ここに店を開いた。「23歳か24歳のころだった」という。
「この商店街の強みはとにかく生鮮品が新鮮で安いこと。生鮮品が安ければお客さんは来てくれるんですよ」と田中さん。さらに、商店街存続の秘密を伺うと「うちでは価格競争はしない。価格競争をすれば共食いになって店がだめになるってみんな分かっているから」だそうだ。
魚介類も
青果も安価で
「同じものが、隣の店よりうちのほうが10円安い」なんてことはしない。それぞれの店が個性を出し合い、お客さんとのコミュニケーションを大事にしていくことで、息の長い商売ができるのだそうだ。
商店街の名前の由来を聞くと、現在の洪福寺松原商店街は、「洪福寺商栄会」と「松原安売り商店会」という2つの商店街が一緒になったものだと教えてくれた。「松原商店街」と略称で呼ぶ人が多いが、正式名称は「洪福寺松原商店街」。洪福寺がつくのだ。