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もうひとつの東海道、「古代東海道」ってどこを通っていたの?

ココがキニナル!

古東海道(もしくは古代東海道)というのが瀬谷(もしくは町田市、大和市)にあったらしい。一般的に知られている東海道と何が違うのかきになる!(紀州の哲ちゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

古代東海道は、律令制度の時代の“行政区画としての東海道を通る官道”を指す。一般的に知られる東海道は江戸時代に制定されたもの。

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ライター:橘 アリー

江戸時代に作られた東海道は、江戸から京都までの53ヶ所の宿場を有する道で、横浜市内にも神奈川宿・保土ヶ谷宿・戸塚宿と3つの宿場があり、横浜市民には馴染みのある道ではないだろうか。
 


「神奈川宿の歴史」の案内看板(京急「神奈川駅」前)


現代の東海道といえば、国道1号として、東京の中央区日本橋から大阪の北区梅田新道交差点まで、道順もほぼ受け継がれている。
 


国道1号「浅間町交差点」付近の様子
 

歩道には、旧東海道のプレートが埋め込まれている


しかし、古代東海道(古東海道とも)と言うと、それがどのような道なのかあまり知られていない。

まずは、国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所が作った東海道に関するホームページがあったので、古代東海道について問い合わせてみた(国土交通省横浜国道事務所ホームページ)。

すると、そのホームページは、神奈川東海道ルネッサンス推進協議会が発行した「神奈川の東海道(上・下)」という本をもとに作られているとの事で、古代東海道について書かれているそうだ。

ちなみに、神奈川東海道ルネッサンス推進協議会とは、国土交通省と、川崎市・横浜市・藤沢市・茅ヶ崎市・平塚市・大磯町・二宮町・小田原市・箱根町、神奈川県が共同して、東海道の歴史・文化を活かし、東海道を軸としたみちづくり・まちづくりに取り組んでいるものである。

そこで、「神奈川の東海道(上・下)」をはじめとしたいくつかの資料をもとに、古代東海道について調べていった。
 


東海道について書かれている資料




「古代の東海道」って何のこと?

そもそも「古代」とは、この場合、奈良時代・平安時代を指す。その時代、律令制度(中央政権的な統治制度)によって、日本は、大和・山城・摂津・河内・和泉の「畿内五国」と、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の「七道」の、「五畿七道(ごきしちどう)」という行政区画に分けられていた。
 


古代の五畿七道の図(
国土交通省横浜国道事務所ホームページより)
<クリックで拡大>


つまり古代における「東海道」には、「地域区画としての東海道」という意味と、その区画を通る「官道としての東海道」という意味の2つがあったことになるが、今は後者に限定して話を進めよう。

官道とは、中央と地方を結ぶために国によって維持管理されている道路のこと。情報や命令の伝達・税の貢納・役人の赴任・軍隊の派遣などのための道で、行き来する道順が決められていた。

では、「官道としての東海道」は、具体的にどのようなルートを通っていたのか。藤沢市教育委員会の発行する「神奈川の古代道」の編集に携わった藤沢市生涯学習部郷土歴史課のご担当者にお話を伺うことができた。