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地名と駅名がリンクしていない?!西横浜駅とゆめが丘駅、それぞれの命名由来の謎を解く

地名と駅名がリンクしていない?!西横浜駅とゆめが丘駅、それぞれの命名由来の謎を解く

ココがキニナル!

相鉄線の西横浜駅とゆめが丘駅はなぜそのように命名されたのか気になります。他の駅は平沼と平沼橋といったように地名と駅名がリンクしていることが多いのですが。(こーちゃさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

戦前に開業された西横浜駅と、その70年後に開業されたゆめが丘駅とでは、命名の理由はまったく異なっている。西横浜駅は路線延伸の歴史と、ゆめが丘駅は付近の再開発計画と関係していた。

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ライター:結城靖博


「ココがキニナル!」の中では文字数の都合上カットしたが、「こーちゃさん」のキニナル投稿はさらに次のように続く。

「西横浜駅は横浜駅から距離もありますし、JR保土ヶ谷駅のほうが近く、街並み的にも“東保土ケ谷駅”のほうがしっくりくると感じます。ゆめが丘駅に至っては完全に謎で、半年後すぐ近くに開業したブルーラインはなんのひねりもなく下飯田駅と命名しています。」


© OpenStreetMap contributors)


確かに上の地図で見ると、若干ではあるが、相鉄本線の西横浜駅は、横浜駅よりもJR保土ヶ谷駅のほうが近い。横浜と西横浜の間にある平沼橋駅のほうが、むしろ西横浜と呼ぶにふさわしく見える(いや、南横浜かな?)


© OpenStreetMap contributors)


いっぽう、相鉄いずみ野線のゆめが丘駅は、上の地図では町名が記載されていないが、下飯田町(しもいいだちょう)内に位置する。そして、駅周辺には「ゆめが丘」という地名はどこにも存在しない。

はてさて、これはどういうわけか? さっそく調査に取りかかるとしよう。




西横浜駅は「西平沼駅」じゃないのか?





まずは西横浜駅の現場へ飛んだ。


なかなかかっこいいフォルムの駅舎だ



駅周辺には駅名にちなみ「西横浜」と名の付く建物が多く見られるが



国道1号線が通る南側の地名は「浜松町」だし



反対側の地名は「西平沼町」だ



いっぽう上り方面の隣駅「平沼橋」の駅名は


横浜の開港期に造られた横浜道(よこはまみち)に架橋された平沼橋にちなむ。


駅から近い平沼橋そばの相鉄線沿いに掲げられた史跡案内板



現在の平沼橋と元平沼橋


上の写真左の、JRや相鉄線をまたぐ大きな鉄橋が現在の平沼橋で、右下の茶色い路面が元々の平沼橋だ(それゆえ今は「元平沼橋」と名付けられている)。


また下り方面の隣駅「天王町」はどうかというと



町名と駅名がシンプルに一致している


こうして前後の駅名や周辺の地名を見ていくと、平沼橋駅を飛び越えて西横浜駅が命名されていることが、なんとも不思議な気がしてきた。
いっそ、町名にちなんで「西平沼駅」としたほうが良かったのでは?――などとも思えてくる。

だがこの思いは、相鉄グループ広報担当に疑問を投げかけると、一気に吹き飛んでしまった。同社から、実にわかりやすい回答をいただくことができたからだ。



西横浜駅が「西横浜」になったわけ




同社の回答によると、西横浜駅は北程ヶ谷~西横浜間の路線開通にともない、1929(昭和4)年に誕生したという。

「うん? キタホドガヤ?」

そう、キニナル投稿者「こーちゃさん」が奇しくも「東保土ヶ谷」という駅名を候補に挙げていたが、現・相鉄本線には、過去にすでに「北程ヶ谷」という名の駅があったのだ。その駅は現在の「星川駅」にあたる。

ちなみに「現・相鉄本線」と記したわけは、当時この路線は別会社の「神中(じんちゅう)鉄道」のものだったからだ。この神中鉄道が1943(昭和18)年に相模鉄道に吸収合併され、現在に至る。

神中鉄道は1923(大正12)年に二俣川駅から現在のJRである省線・横浜停車場(2代目横浜駅)までの路線延伸計画を申請する。だが申請後、2代目横浜駅が近いうちに移転することを知らされ、西横浜駅を終点駅とする形に計画を変更したうえ再申請し、1925(大正14)年に認可された。


2代目横浜駅(「横浜駅 Yokohama Station」横浜市中央図書館所蔵)


この経緯には路線延伸計画を申請した1923年が、まさに関東大震災が起きた年であったことと関係している。2代目横浜駅が移転を余儀なくされたのは、この震災によって同駅が壊滅的な被害を受けたからだ(短命に終わった2代目横浜駅については過去記事をぜひご一読ください)。

ともあれその結果、すでに2年前に開業していた北程ヶ谷駅から、西横浜駅までの延伸工事が1929年に完成した。

下は1931(昭和6)年に修正改版された西横浜駅周辺の地図だ。


(『今昔マップon the web』より)


小さくて見づらいが、赤い円内に「にしよこはま」、黄色い円内に「きたほどがや」と記載されている。

つまり、西横浜駅が生まれた当時、神中鉄道にとって同駅がもっとも省線・横浜駅に近い駅だったわけだ。現在の相鉄グループに駅名の確たる由来は残されていないようだが、省線・横浜駅の西側にあり、横浜駅に一番近い駅だったから「西」の一文字を付したとすれば、当時の感覚として不自然ではないだろう。

同線がさらに延伸し平沼橋駅ができたのは2年後の1931年のことだ。ちょうど上の地図が作成された年だが、まだ地図上に平沼橋駅は存在しない。

そして、さらにその2年後の1933年、ついに横浜駅までの延伸が完了する。
この時の横浜駅は3代目。すでに1928(昭和3)年に同駅は2代目横浜駅の高島町から現在の横浜駅がある場所に移転していた。


3代目横浜駅(「大横浜名所 横浜駅の美観」横浜市中央図書館所蔵)


西横浜駅の命名の謎を解いていくと、神中鉄道(現・相鉄線)が徐々に路線を拡張していく過程と横浜駅の変遷という、日本近代鉄道史の一側面が垣間見えてきた。




ゆめが丘駅はどうして「ゆめが丘」になったのか?




ゆめが丘駅ができたのは、西横浜駅開業のちょうど70年後にあたる1999(平成11)年のこと。同年3月、相鉄いずみ野線の第3期区間(いずみ中央~湘南台)が開通し、それにともなって誕生した駅だ。


駅の東側、環状4号線付近からの遠景


見ての通り、同駅は高架式ホーム全体が曲線状の鉄骨で囲まれ、その鉄骨の間に屋根や風除け板がはめ込まれるという、とてもユニークな形状をしている。


駅西側からの近景


この斬新な造りから、同駅は開業の翌年「関東の駅百選」にも認定されている。

それにしても、駅舎デザイン同様にユニークな「ゆめが丘」という駅名は、なぜ命名されたのだろう。キニナル投稿者「こーちゃさん」のご指摘通り、同年8月近隣に開業した地下鉄ブルーラインの駅のほうは、町名がそのまま駅名となっているのに。


ブルーライン「下飯田駅」


これについて相鉄グループ広報担当から、次のような回答をいただいた。

『横浜市泉区が目指す「やすらぎとうるおいのある街」をイメージし、また横浜市が推進する「いずみ田園文化都市構想」(1989年発表)の核と位置付けられた同駅周辺における、開業後の「ゆめ」を抱ける街づくりを願って命名したものです。』

なるほど。これを知って、同じ相鉄線の「希望ヶ丘駅」を連想した。


相鉄本線・希望ヶ丘駅


今でこそ同駅は「旭区中希望が丘」に位置するが(駅名は「ヶ」だが町名は「が」)、実はこの駅周辺の町名が「東希望が丘」「中希望が丘」「南希望が丘」となったのは、同駅ができてから十数年も後のことだ。

つまり駅名にちなんで町名が付けられたというわけだ。


駅近辺の住所表示


同駅の開業は戦後間もない混乱期の1948(昭和23)年。駅名は一般公募によって「明るい未来を目指す」願いを込めた「希望ヶ丘」に決まった。

「ゆめが丘」は一般公募ではないが、命名の動機には共通したものを感じる。また、相鉄側もそれは十分に認識しており、「夢と希望を結ぶ」と謳ってゆめが丘~希望ヶ丘間の硬券乗車券「ゆめきぼ切符」を販売し、今や受験生などの縁起物になっているという。



2024年春、ゆめが丘駅前が大変身する!




ところで現地取材時の2022年9月には、ゆめが丘駅と下飯田駅の間には巨大な空き地がポッカリと広がっていた。


下飯田駅の近くからゆめが丘駅側を望む


また、同駅東側の環状4号線沿いは工事用フェンスに仕切られ、一般の人はそれ以上駅に近づくことができない。


環状4号線沿いからゆめが丘駅を望む


工事用車両の入り口には頻繁にダンプカーなどが出入りし、空き地にはショベルカーが点々と配置され、工事作業員が忙しなく働いていた。

実は今、ゆめが丘駅と下飯田駅との間のこの広大な空間は「ゆめが丘駅前大規模集客施設」の開発工事の真っ只中なのだ。着工したのは今春で、2年後の2024年春の開業を目指して工事が進められている。

手掛けるのは相鉄グループの相鉄アーバンクリエイツと相鉄ビルマネジメントの2社。この事業は相鉄グループ創業100周年に向けて策定された「Vision100」の中の「沿線開発6大プロジェクト」のうちの一つだ。

今は荒涼とした景色に見えるこの場所が、2年後には次のように変貌する予定だ。


完成予想イメージ(提供:相鉄グループ)


しかもこれは、単に駅前商業施設の開発にとどまるものではない。

横浜市が推進する「都市計画マスタープラン・泉区プラン」に基づく23.9ヘクタールにもおよぶ広大な地域活性化計画「泉ゆめが丘地区土地区画整理事業」の一環としての取り組みなのだ。

事業全体の土地利用計画図は次のようなものだ。


赤枠内が大規模集客施設の開発計画地(提供:相鉄グループ)


同グループでは、大規模集客施設の目的を、沿線住民への「ライフスタイルの提案や地域資源を活かした体験・交流の場の提供」と位置付けている。


工事はゆめが丘駅の西側でも進行中だ



その西側の駅と道を隔てた土地は、取材時にはまだ雑草の生い茂る空き地だったが


前掲の土地利用計画図では、この辺りは「複合利用地区」に指定されている。果たしてどんなものが複合的に利用できることになるのだろうか?

また、同計画図では「複合利用地区」の西隣りが「公園」となっているが、


その付近にはすでにこんな可愛らしい公園があった



そして、ゆめが丘駅や下飯田駅近くには、真新しい民家群が目に付く


おそらく2年後には、今ここに住む人々の生活の利便性は飛躍的に向上するのだろう。

いっぽうで、駅周辺にはまだこんな牧歌的な光景も残されている。


歴史を感じさせる井戸がポツンと佇む畑地



そのそばには昔ながらの野菜無人販売所が


以前筆者は、古道シリーズの「柏尾通り大山道」の取材で、泉区の田園風景の美しさに感動した覚えがある。

ゆめが丘地区の再開発は、生活の利便性と貴重な大地の豊かさをどこまで融合できるのだろうか。それはいわば「ゆめが丘環境ダイバーシティ構想」とも言えそうだが、それこそがこの地の再開発成功の鍵であるように思える。

いずれにせよこの地区は、これからも目が離せないエリアとなった。ぜひとも2年後の姿を、あらためて取材してみたい。




取材を終えて




「西横浜駅」と「ゆめが丘駅」の命名由来を調査していくと、初めは別々バラバラ、単独の取材に過ぎなかったのに、終わってみると面白いことに気づいた。

図らずも、「西横浜駅」は横浜の過去を追う取材、そして「ゆめが丘駅」は横浜の未来を追う取材となった。過去も未来もあわせもっての横浜だ。「横浜を知る」とはそういうことなんだな、とあらためて認識させられた取材だった。


―終わり―


取材協力

相鉄ビジネスサービス(株)総務広報担当
住所/横浜市西区北幸2-9-14 相鉄本社ビル5階
電話/045-319-2057

横浜市中央図書館
住所/横浜市西区老松町1
電話/045-262-0050
開館時間/火~金9:30~20:30、その他9:30~17:00
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/tshokan/central/

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
埼玉大学教育学部 谷謙二・人文地理学研究室
http://ktgis.net/kjmapw/

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  • 現在では、寒川や藤沢が『いずみの線を延伸して「慶応大学藤沢校」と「JR倉見駅」と、その二駅の間に駅を持つ、単線の鉄道を作ろう』と言っています。東海道新幹線の駅を作れば慶応大学藤沢校が便利になるし、JR相模線の沿線を「ロボット特区」で開発出来るらしいです。

  • 私が聴いた話では。1950年から1970年ころは『いずみの線は、希望ヶ丘駅で厚木駅方向(当時は海老名駅から小田急線に乗り入れていた)と分かれて瀬谷区と旭区の間を通り、当時JR相模線が寒川神社にの近くに、茅ヶ崎駅から寒川駅で別れて西寒川駅を持っていたので、西寒川駅を乗換駅としてJR平塚駅を横浜駅や海老名駅よりも大規模な乗換駅として作ろうとしていた。』『希望ヶ丘駅と寒川神社駅の間に「夢ヶ丘」駅を作る計画で「寒川神社で夢と希望」と言う広告をしていた』らしいですが真偽はわかりません。

  • 泉区在住ですが、下飯田周辺が相鉄の完成イメージになるとはとても思えない…工事の進捗もだけど、この建物ショッピングモール的な商業施設の裏で農家さんの無人直売所があるのもなんだかなあ。買い物なら湘南台や藤沢に行けば事足りるので、できればのどかな地域であってほしいですね。

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