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江の島にある児玉神社ってどんなところ?

ココがキニナル!

江の島にある児玉神社を取材してください。また明治維新頃まで江ノ島には三重塔があったそうです。どんな塔だったのかキニナル。(にゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

児玉神社は明治時代に活躍した陸軍大将・児玉源太郎を祀った神社。台湾総督だった児玉を敬愛する李登輝元総統の揮毫による扁額(へんがく)もある

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ライター:松崎 辰彦

愛した江の島に神として祀られる



日露戦争後の1906(明治39)年、彼は参謀総長に就任し、台湾総督を免ぜられる。7月15日に南満州鉄道株式会社設立委員長に就任するが、8日後の7月23日に脳溢血で死去した。享年54歳。

彼は日露戦争時に不思議な能力が現れ、どの場所にどの兵隊がいるか、自身は離れたところにいたにもかかわらず手にとるようにわかったという。

電話で現地の部隊と話をして、「そんなところにいないで○○へ行け!」などと指図して、現場の兵隊は、“なぜ自分たちがここにいるのがわかるのか?”とびっくりしたと言われている。神がかりとも言える状態で闘い、彼は日露戦争に勝利したのだった。
 


 

児玉神社境内にある、日露戦争の激戦地になった二〇三高地の石とその由来書



児玉の死後、彼の御霊は他所の個人宅に祀られていたが、後年、江の島に遷座したのが児玉神社の発祥とされる。児玉が生前、江の島を非常に愛し、散策の地としていたことが縁で、この地に彼の神社を創建することが決定されたとのことである。



李登輝より扁額(へんがく)の揮毫を受ける



児玉神社には台湾の李登輝元台湾総統の揮毫による扁額が飾られている。
 


李登輝元総統の揮毫(きごう)による扁額


2006(平成18)年、児玉源太郎没後100年を記念して扁額を作ることになったが、誰に揮毫を頼むかを考えたとき、台湾を代表する人物として李登輝元総統の名が挙がり、本人にお願いしたところ快諾されたとのことである。

台湾総統を1988(昭和63)年から2000(平成12)年まで務め、現在も台湾独立運動に影響を与えている人物の手になる「兒玉神社」の文字は、社殿の上から力強く美しい輝きを放っている。
 


 

扁額の除幕式(写真提供・石川公弘)


李登輝元総統と日本で緊密な関係を保っているのが、「日本李登輝友の会」の方々である。
「日本李登輝友の会」神奈川県支部長の石川公弘氏は元大和市議会議員で、議長も務めた人物。李登輝元総統とも交流が深い。
 


石川公弘氏。2007(平成19)年に旭日小綬章を受賞。大和市上草柳の事務所にて
 

台湾にて。李登輝元総統よりお土産をわたされる(写真提供・石川公弘)

 

大和市議会議長時代の石川氏(写真提供・石川公弘)


日本は1895(明治28)年から1945(昭和20)年にかけて、台湾を植民地として統治していた。
太平洋戦争中、大和市から海老名市、座間市にかけて「高座海軍工廠」が設置され、戦闘機「雷電」を製造していた。
 


戦闘機「雷電」
(石川氏所蔵の写真パネルより撮影)


海軍はそのための労働力確保を目的に植民地だった台湾から少年を募集し、彼らを大和市上草柳にある宿舎に居住させた。
 


当時の宿舎の写真パネルを示す石川氏

 

石川氏いわく「この家に私たち一家は住んでいました」