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菊名池公園の「菊名池」は超巨大だった? 幻の巨大池の謎を調査! 

ココがキニナル!

昔はバス通りの向こう側の「市営菊名池プール」まで菊名池だったそうで、貸ボートも浮かんでいたとか。また田んぼが多く、菊名池の水を引いていたと聞きました。詳しく知りたいです。(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

菊名池は全長1km以上ある農業用水のための貯水池であった。しかし昭和49年に水道と下水道の整備のために菊名池が水道道により二分された

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ライター:小方 サダオ

菊名池が二分された理由とは



スタッフが用意してくれた菊名池に関する資料の中から、『親子deまち歩き探検隊・探検マップ〈きくなwara.bi実行委員会著〉』と『港北百話〈港北区役所発行〉』を発見。菊名池は、平安時代からの、菊名と妙蓮寺に多くあった田畑に水を引くための農業用水として造られたもの。さらに近くを流れる鶴見川とつながっていた、と知った。

 

地元のお年寄りからの話をまとめた『港北百話』
 

さらに港北ボランティアガイドの森さん(写真は残念ながらNG)が「菊名池は池の上を通る水道管と周囲の下水道の整備のために、1970(昭和45)年より5年計画で池を埋め立て菊名池公園と菊名池公園プールに二分する計画を立てました。そして1974(昭和49)年に完成し現在の姿となったのです」と教えてくださった。周辺の上下水道の整備により、分かたれ埋めて縮小された運命をたどった菊名池だったのだ。

それでは、1974(昭和49)年以前の菊名池の様子はどうだったのだろうか。現在の変わり果てた菊名池の姿を考えると、池とプールが一体だったころを知る人の声をもっと聞いたほうがいいと思い、現地付近にもどり証言者を探すことに。



二分される前の菊名池の様子は?



「鶴見川という大きな川から水を引けば巨大池を作ることも容易だったのだろう・・・」。そんな“母なる鶴見川の子・菊名池”といった想像をしながら、菊名駅周辺で地元の方を探す。

 

菊名駅の近くに住む筧(かけい)さん
 

するとほどなく、以前菊名駅前でそば屋さんを経営していたという、筧さんという方と出会えた。町を見下ろせる高い場所に建つご自宅で話を伺うことに。

「私が子供時分だった1945(昭和20)年ごろ、池について良く覚えているのは、池の周りの柿の木と貸しボート屋です。池からは川が流れていて、川底に藻がたくさんついていたため、"ツルッペタン"と呼んでいました。水質はきれいで、フナ、クチボソ、ウナギなどの魚がたくさん捕れました。池には有料釣堀があったほどです」と筧さん。

そして意外なことも聞いた。それは筆者が想像していたものと違い、当時池のあたりは高台で、池から鶴見川に向かって水が流れていた、ということだ。すると菊名池の水はどこから来ていたのか? 川から流れる新鮮な水の供給のない「ため池」であれば水質はきれいではないはず・・・。

そんな疑問を抱きながらふたたび池の周辺に戻り、地元に詳しい方を探すことに。



幻の菊名川の存在



いろいろな方に声をかけていくと、駅前の商店街内にお店を構える、“染乃よこやま”さんが詳しい、とのこと。“妙蓮寺駅前の反物店”とは、粋な響きだ。地元の歴史に詳しい人が店主さんなのかもしれない。

そんな想像をしながら戸を引くと、横浜市内の川の源流をたどるフィールドワークなどもされている、反物店のご主人・横山さんが現れた。色とりどりの反物に囲まれた店内でお話を伺う。

 

駅前商店街にある反物店"染乃よこやま"
 

地元の事情に詳しい横山氏
 

まず往時の菊名池の姿について伺う。
「昭和30年代後半の菊名池は私達地元民にとって、釣りにボートとレジャーの中心地でした。ボート漕ぎが盛んで、地元民にボート漕ぎが得意な人が多くなりました。

 

ボート漕ぎを楽しむ人達(提供:横山氏)
 

また池の真ん中には菊名橋がかかり、その下には重要な産業施設である鶴見の工業地帯への水道管が通っていました」と教えてくれた。

横山氏の見せてくれた1958(昭和33)年に撮られた菊名池の写真は、湖と表現していいほどの大きさだ。

 

池の上にかかっていた菊名橋(提供:横山氏)
 

1959(昭和34)年の菊名池の中心を通る水道管の写真(提供:横山氏)
 

さらに大きさについて伺う。
「池の大きさは今よりかなり大きく、菊名池公園側の池の端は今の水門があるあたりまでで、菊名池公園プール側の池の端はプール外側の柵のあたりまでありました」と横山氏。

続いて菊名池の水源はどこから来ているものなのか伺った。「菊名池は中腹に妙蓮寺が建つ東側の山と、山頂に武相高校の建つ南側の山に囲まれています。そして二つの山の分水嶺(ぶんすいれい/雨水が、二つ以上の水系へ分かれて流れる境界)が川になり、菊名池へと流れ込んでいました。

川の流れは池の直前で、水門から池へと流れるものと、鶴見川へと流れてゆくもの("幻の菊名川"と呼ばれるらしい)に分かれており、1955(昭和30)年ごろまでの水質は今よりもきれいでした。そして当時は水源から水門までは名称はなく、水門から鶴見川へと流れてゆく川が幻の菊名川だったので、そのエサを目当てに、魚が豊富になりました」という。

 

1959(昭和34)年水道管工事完成時の菊名池の写真(提供:横山氏)
 

横山氏曰く、1965(昭和40)年ごろになると、“分水嶺”から菊名池に流れ込む洗剤や排泄物などの家庭排水が次第に問題になってきたという。以前はバキュームカーが取りに来る形だったが、昭和40年前代半に各家庭で浄化槽を作るようになった。浄化槽は家庭から出た排泄物を数日間貯めた後、薬をかけてきれいにして川に流すシステムだが完全に浄化されず、メタンガスを発生させ、菊名池の水質が悪くなる原因となった。

池周辺の下水の整備と、池の中心を通る水道管を暗渠化し水道道とするため、1970(昭和45)年より池を埋め立て公園とプールに分ける工事が始まった。現在家庭排水は下水道へ流し、新横浜の浄水場へと流れている。そのため池への水源は絶たれることとなったが、結果池の水は以前よりきれいになった、とのこと。

流暢かつ明快に質問に答えてくださる横山氏の説明で、するすると謎が解明されていった。お写真を提供してくださったことも含め、感謝して横山氏に別れを告げた。



水質のよくなった菊名池と幻の菊名川



さまざまな話を聞き、感慨もあらたに菊名池公園に入る。菊名池公園内の掲示板に池の水質に関する解説があった。現在ではプール内の浄化水と池の水と自然の井戸水を地下でつなげて循環させ、浄化するシステムができ上がっているらしい。

 

公園入口にある池に流れ込む井戸水
 

水質が良くなったのはこのおかげだろう。そのため今でも魚は豊富で野鳥も多く集まってくる。取材時も池のふちで「カワセミが訪鳥する」とのうわさを聞きつけ、真剣な表情でカメラを構える人を発見した。
池の姿を大きく変え、貸しポートはもうないが、野鳥や魚はふたたび菊名池に姿を現すようになり、その意味では巨大池だったころの姿を取り戻した、といえよう。

 

以前の菊名池への水門と"幻の菊名川"との分岐地点
 

暗渠化され道路の下を通る"幻の菊名川"
 



取材を終えて



夕暮れの中池の周囲を散策すると、大きな畑を発見した。ネギなどを栽培しているようだ。

 

旧綱島街道沿いの畑
 

ここも昔から池の水を引いていた畑なのだろう・・・。そんな思いで畑を眺めていると横山氏の言葉を思い出した。

 

菊名と妙蓮寺の間に広がる畑
 

「妙蓮寺と菊名に田畑が多かったのは、近くに築かれていた篠原城に収める年貢のためでした。篠原城は小机城の支城だったのです。また”相武””武相”の地名がある場所は武蔵の国と相模の国の国境であったことを意味しています。近くに武相高校があることからもわかるように、この地も国境の防衛ラインだったのです」

その国境の境目の防衛拠点の一つ篠原城の権力を支えてきたのが、菊名池だったのだ。

菊名池周辺は下水道と上水道が交差する水の交差点といった印象だった。”水の存在が人々に生活の基盤を与え、国を作らせる…”。武蔵と相模の二つの国の進退を見守ってきた菊名池から、あらためてそう感じた。


―終わり―
 
 

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  • 私が菊名池公園で遊んだのは1970年代から80年代前半ですから、もちろん父親に連れてきてもらったプールについても良い思い出しかありません。池は現在のように整備されておらず、近くの釣具店で赤虫を買ったり、パンを餌にしてクチボソやテナガエビをよく釣りました。ところで篠原池も武道館ができる前は倍の大きさがありましたよね。

  • 子供時代、菊名池は池之端商店街を通ってボートに乗った記憶が鮮明です。幻の菊名川は清流で良く友達と水流に入り大量の小魚を網ですくいました。この川は東横線菊名駅ホーム下を通るため少しの雨でもすぐ不通となり悪名が高かったです。さて、健康寿命という概念で生涯現役を目指す時代は、年間50日しか稼働しない児童プール機能を維持しつつ万人の健康維持の概念で施設運営が必要でしょう。経済優先時代の菊名橋の埋め立ては水辺のプロムナードを無くし、緑と水の横浜づくりからすると疑問です。上下水管理方法のも充実してきて、時代変化は生き方の豊かさ優先に大きく舵をとって、菊名池はこれからの地域社会の豊かさを考える大きな示唆を与えてくれます。私自身、生涯現役でランドスケープの勉強をして、テーマは「日常生活で居心地よい菊名池」を構想することです。自分の知識の再確認と不明確な記憶を蘇らせてくれた貴重な記事に深謝します。

  • 写真にある"幻の菊名川"の先をずっと進むと菊名駅東口郵便局(現在再建中)脇の駐輪場にたどり着きます。(ここまでの遊歩道は川を埋めた上に敷設されたものです)昔は、駐輪場になっている場所の川の上にて幅1.5mぐらいの長い木製の橋が架かっていました。通称「どんどん橋」と呼ばれていて、学校帰りに橋の上のガードを通る横浜線の蒸気機関車を下から見上げるのが楽しみでした。菊名駅西口からアマノ電気の付近を通って新横浜に向かう道路がありますが、この道の歩道が広いのも、川を埋めたなごりです。西口商店街の横浜線側の細い道(パチンコアーバンと焼肉屋の間)にも川が流れていて、新横浜にあった篠原池に向かった流れがあったと記憶しています。

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