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かつて野庭に「地獄の一丁目」と呼ばれた地域があったって本当?

ココがキニナル!

小学生の頃、野庭に「地獄の一丁目」があるという話を聞きました。友達の多数が知っていて、先生は古地図で確認してました。どんな所なんでしょうか(さぶさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

かつて野庭に「悪魔王が支配する世界」という意味を持つ「第六天」という小字名があった。そこが「地獄の一丁目」と呼ばれていたかもしれない

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ライター:橘 アリー

「第六天」周辺の様子は?



「第六天」という小字名は、この地に「第六天」の石の祠があったから名付けられたそうだ。
 


その祠は、現在、野庭グリーンテニスクラブの敷地内にある
 

駐車場の一角の植え込みの中に
 


「第六天様」の祠の様子


祠は特に「第六天悪魔王」の像が刻まれていることもなく、質素な様子である。

そして、野庭グリーンテニスクラブの横には、野庭神明社がある。
 


野庭神明社の様子。天照大神が祀られている


この神社は、創建については不明であるようだが、1909(明治42)年に「第六天」にあった白幡社(しらはたしゃ)を合祀し、以前は、現在の野庭団地のほぼ中央付近にあったそうだ。
その後、野庭団地建設に伴い1970(昭和45)年にこの地に移転となった。
 


「第六天」は橋の名前として残っている
 

麻生上郷線にある「天谷大橋」の下に「第六天橋」がある
  

「第六天」と呼ばれていた周辺も、のどかな雰囲気が漂っている


キニナル投稿の「地獄の一丁目」と小字名「第六天」の場所は、いずれも“地獄”といった雰囲気は何も無かったが「野庭神社」という同じ名前の神社があるという共通点があった。

調査を進めていると、前述の茅野さんが“地獄”について、あることを思い出し連絡してくださった。
それは、港南区上永谷にある貞昌院(ていしょういん)というお寺の本堂に“地獄絵の掛け軸”があるということである。

お寺に“地獄絵の掛け軸”があるということは「地獄の一丁目」は仏教と関係があるものなのだろうか・・・?
早速、貞昌院でお話を伺うことに。



一丁目とは“地獄の入口”のこと!?


 


貞昌院の様子
 

快くお話を聞かせてくださった亀野ご住職


亀野ご住職には、以前「ダイダラボッチ」の記事でもお世話になっている。

まずは「地獄の一丁目」と「第六天」は関わりのあると考えられるか伺った。

野庭に「地獄の一丁目」と呼ばれた場所は無いが、「第六天」は欲望や快楽を自在に享受できるとされていることから、仏道修行の妨げとなる“魔の場所”として位置づけられており、そのことから「第六天」の場所は仏道修行にとっては、“魔の場所”つまり“地獄”を意味しているそうだ。

そして「地獄の一丁目」の“一丁目”とは、地名ではなく“入口”の意味としても使われるので、それらを考えられると「第六天」の場所が、仏道修行にとっては、“魔の場所”であり“地獄の入口”・・・「地獄の一丁目」と考えられるのではないだろうか、とお話しくださった。
 


ご本堂にかけられている極楽(左)と地獄の掛け軸の様子
 

「第六天」はこの極楽の中にある“地獄のような世界”であるようだ


また、キニナル投稿にあった「地獄の一丁目」の場所と小字名の「第六天」の場所は違っているが、その場所も「第六天」と関わりがあったと推測できるとのこと。

その理由として「第六天」は神奈川県内の180ヶ所以上で祀られていて、県内で最も大きく祀られているのが、鎌倉五山の一つの建長寺であり、キニナル投稿にあった場所は、ちょうど、幕府が鎌倉にあったころ“いざ鎌倉”と鎌倉へ向かう道(古道)の「かまくら下の道」沿いにあるからである。
 


野庭を通る「かまくら道」の図(『お母さんが伝える ふるさと下野庭』より)


以上のことから「地獄の一丁目」とは、仏道修行の妨げとなる「魔の世界への入口」と考えられていた「第六天」があった場所のことのようであると考えられるようだ。

まとめると、野庭には小字名で「第六天」と言われた場所があった。「第六天」とは仏教の世界観による“悪魔王”が支配する快楽や欲望を自在に享受できる世界。それは仏道修行の妨げとなるものなので、「第六天」の場所は“魔の世界”の入口、すなわち「地獄の一丁目」と呼ばれていたかもしれない・・・と考えられるのではないだろうか。

続いて、この“魔王”についてもう少し詳しく調べてみる。