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横浜には食用ガエルの養殖場があったって本当?

ココがキニナル!

戦時中、新横浜には食べるための蛙を育てる養蛙場があったそうです。食糧難の時代、食用蛙は貴重なたんぱく源だったといいます。当時、市内各所にあったという養蛙場について知りたいです(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

1918年に日本の食用蛙の歴史が始まり、その後市内には新横浜を始め3ヶ所の養蛙場があった。食用蛙は食糧問題解決の策として日本に持ち込まれたもの

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ライター:すがた もえ子

養蛙場があったという新横浜の跡地は?



食糧不足解決という大きな目的のために導入された食糧蛙の養殖だが、現在はその跡地はどうなっているのか見に行ってみた。

 

新横浜駅北口を出る
 

新横浜の昔の地図を見てみると、現在新横浜スケートセンターが建っている場所が、1938(昭和13)年ごろまで養蛙場だったようだ。

 

文字がつぶれているが、養蛙場という文字を確認できる
(地図・横浜市1/3000地形図 1942<昭和17>年横浜土木局)
 

左手の赤い部分、現在のスケートセンターの一角が養蛙場だった
 

現在の様子からは想像ができないが、以前はまれぽでも調査しているとおり、新幹線開通前の新横浜の周辺は湿地が多かったといい、田んぼや畑が広がっている場所だったという。

 

現在は湿地帯だった面影はない
 

新横浜スケートセンター
 

「養蛙場跡地」のような記念碑がないだろうかと期待したが、周囲にそれらしい物は見当たらなかった。

 

湿地帯やカエルを連想させるものも全くない
 

そこで周辺を歩いている方にお話をうかがってみたが、「昔の話はちょっと分からない」「初めて聞いた」というような反応が返って来るばかり。
土地開発で古い建物が残っていないため、養蛙場があるころからお住まいの方を見つけ出すこともできなかった。

 

ご町内の方にお話を伺ってみることに
 

聞き込み中、偶然にも発見した町内会館に飛び込みでお話を伺ってみた。

 

2014(平成26)年に新横浜町内会から発行された
 

しかし昔の話なので「『新横浜50年の軌跡』に書かれていること以上は分からない」ということだった。

横浜市のみならず、国内各所にあったという養蛙場については、大規模に運営されていた数ヶ所の養蛙場以外、残る記録が非常に少ない上に、当時を知る人もほとんどいないのが現状のようだ。

鳴り物入りで輸入されてきたはずの食用ガエルだが、現在はその過去、なぜ日本にやってきたかという意味も忘れられてしまったようだ。

キニナルにあった新横浜の養蛙場についても、もう少し詳しいことが知りたいと思い、食用蛙を持ち込んだ渡瀬博士の所属していた東京大学の東京大学理学部生物学図書室へ問い合わせをさせていただいたが、残念ながら養蛙場や食用蛙に関する資料は残されていないということだった

 

渡瀬博士が在籍していた東京大学・東京都文京区(画像提供:Wei-Te Wong・Wikimedia Commons)
 

スケートセンターが養蛙場跡地だったということが『新横浜50年の軌跡』に載っており、この本によると新横浜の養蛙場は六角橋の動物商が経営していたといい、カエルは食用として中華街などに出荷されていたそうだ。

取り扱っていた動物商があったのなら、近辺にも養蛙場はあったかもしれない。そう思って六角橋近辺の古い地図を見てみると「食用蛙飼育場」の文字を発見!

 

1953(昭和28)年の六角橋近辺の地図
 

拡大図。しっかりと「食用蛙飼育場」の文字が
 

これはもう行くしかない。というわけで、さっそく現地へと向かった。

 

現在の地図で見る六角橋から少し離れた神奈川区栗田谷あたり
 

市営バスで現地近くの県営栗田谷住宅前で下車
 

日差しがきつすぎて、道を歩く人がいない・・・
 

取材に伺った日は、8月の日差しがギラギラともっとも強いころだった。
これはカエルがいたとしても地上に出て来たら自殺行為だなぁ、なんてどうでもいい心配をしながら道を進む。住所に「谷」という字が付くだけあって、かなり坂道の多い場所だ。

 

住宅地が眼下にみえる
 

坂を降り切った突き当りの場所付近が地図にあった養蛙場の場所だ
 

静かな住宅地。平日の昼間ということもあり、家にいる人も少ないのか人の気配が無い。
蝉の声だけが大音量で鳴り響いていく。暑い・・・。

 

地図によるとこのあたりが養蛙場だった場所らしい
 

幸いなことに自転車に乗ったご老人(写真NG)が通りかかったので声をかけさせていただいた。
しかし「最近このへんに越して来たから昔のことは分からない」とのこと。

 

諦めきれず周囲を歩き回ったが、やはり人に遭遇できない
 

暑さで命の危機を感じてきたので、仕方なくバス停への坂道を上ることにした。
すると、途中でご年配の女性(写真NG)と出会った。
小さいころからこのあたりに住んでいるという女性は、養蛙場のことをまったくご存じなかった。「牧場が近くにあったのは知ってるけど、カエルは知りません」ということだった。

現地に話を伺うことができなかったので『新横浜50年の軌跡』を参考に、六角橋の動物商がカエルを卸していた線から調べようと、横浜中華街発展会協同組合へ取材を申し込んだ。

 

横浜中華街発展会協同組合が入っているビル
 

しかしこちらでも当時の記録は残っておらず、ご存じの方も見つからなかったという回答をいただいた。

ただし中華街では過去に蛙肉を使った料理を提供していた店舗があり、ホテルなどでも提供されていた。横浜開港資料館で「カレー伝来から140年、1872(明治5)年のレシピを読む」という展示会が開催された際、中華街のローズホテルにて開港当時のカレーを再現するという企画があり、カエルカレーを提供したことがあった。

開港当時というとまだ養殖蛙ではなく野生のカエルを捕獲していたころだが、資料に残っている通り、ホテルでのカエルの需要は確かにあったということだろう。