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神社なのに100年以上前からある立派な釣鐘? 都筑区南山田にある「山田神社」とは?

ココがキニナル!

都筑区南山田にある「山田神社」には、お寺にあるような大きな「釣り鐘」があります。釣り鐘は神社ではあまり見ないと思いますが、どのような由来のある釣り鐘なのでしょうか?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1910年に近隣の神社が合併し、妙見社という神仏習合の神社が建っていた場所に山田神社が建立された。釣鐘は妙見社のころから設置されていた。

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ライター:小方 サダオ

山田神社の文献を調べる



山田神社について文献で調べることにした。まず、なぜ妙見社には釣鐘があったのであろうか。

釣鐘に関しては『梵鐘と古文化(坪井良平)』によると、お寺の鐘・梵鐘は、中国古代の青銅器にその源流がある仏教法具である、という。そのため、お寺にあるのが一般的のようだ。

 

梵鐘は妙見社のころからあった
 

しかし福井県の劔神社(つるぎじんじゃ)には国宝に指定された釣鐘があるなど、江戸時代ごろまでは、妙見社のように神仏習合の神社に釣鐘があることは珍しくなかった時代もあるのだ。

そして『草莽の精神(芳賀登)』によると、「明治元年、明治国家の神道国教代政策(しんとうこっきょうだいせいさく:神道を国教化する政策)への地ならし政策として、神道擁護、神仏混淆(しんぶつこんこう)の廃止を目的として、神仏分離令という法令が出された。『神職の神祇官直属』『社僧・別当の還俗』『排仏毀釈(はいぶつきしゃく:仏教排斥運動)の推進』などが行われ、復古神道の影響下で、天皇の神聖化を目的としました」とある。

つまり明治政府は、天皇を神格化するために神道を重視し、仏教を排斥する政策を取ったのだ。
これ以降、神社と寺院の区別をはっきりさせるようになった、という。

 

山田神社に祀られた絵馬の複製
 

次に山田神社に関して、『都筑の民俗(港北ニュータウン郷土史編集委員会)』によると「妙見社は亀の信仰が強く、村人は亀をいじめない。妙見様のご神体が亀の甲羅に乗ってきたからだと言われている。それは山田神社になってからも続き、亀の絵馬が多数奉納されている」とある。

妙見社では、妙見様を祀る妙見信仰が行われていたようだ。

そのほかに、山田神社の現在の恒例祭は1月1日歳旦祭、2月25日祈年祭、10月3日例祭、11月3日七五三祭、11月25日勤労感謝祭、12月冬至の日冬至祭が執行されており、信仰の拡大は、妙見様とその使いとしての亀の信仰が基底にあり、そのご利益が宣伝されたからだ、と記されていた。

 

年齢による星回りの一覧表
 

冬至祭のお札の一覧
 

「冬至祭は来る年の幸福を願う祭り。冬至祭には、氏子の家には事前に神社から冬至祭の表が回ってくる。それを見て星回りの良い人はお賽銭をおさめお札を受けるが、星回りの悪い人は祭礼の日に祈祷してもらい名前の書かれたお札をいただく」

 

吉凶を表す印
 

年齢による星回りの良し悪しは「しろまるは一年間、順調な年、くろまるは一年間、要注意、みぎくろは一年の前半、要注意、なかくろは一年の中程、要注意、ひだりくろは一年の後半、要注意。黒の部分がある人は、冬至祭の御神札を申込み、翌年の無事を祈る。一昔前まで、”くろまる”の人には冬至祭の御神札は大判で名前を書き入れたものを申し込んでいた」とある。

山田神社の冬至祭は、星祭の一覧表を使用し、星回りから吉凶を読んでいるようだ。

 

境内にある神池(かみいけ)に続く道
 

「また社殿後方には、諏訪神社の神蛇 (しんじゃ)を祀るための神池があるが、それは妙見社という神仏習合の神社に、近隣の神社が合祀されて山田神社となったためだ」と記されていた。
 
 
 

妙見信仰とは?


さらに妙見信仰とはどのようなものなのだろうか。

 

仏教の神・妙見菩薩
 

『北辰妙見記(鏑木清春)』によると、「日・月・星は、狩猟や農耕などに取り重要で、航海にとっては指針であった。星を神として祀ったのは原始のころからと考えられるが、日本においては、北極星を妙見尊星(みょうけんそんしょう)・妙見菩薩として推古女帝のころより、平安・鎌倉・室町・江戸末期まで全国で盛んに祀られていた」とある。

また、「明治の神仏分離により、妙見を祀る社寺が多く廃されたものの、現在でも北辰妙見信仰は残っている」ともあった。

 

熊本県八代市の妙見祭りの山車(左)と埼玉県秩父神社の妙見の御影(右)
 

『星の信仰 妙見・虚空蔵(渓水社)』によると、「北極星や北斗七星は『北辰』と呼ばれ中国で信仰されていたが、仏教に取り入れられて妙見菩薩となった」とある。

また、中国では玄武と呼ぶ北方の神があり、儒教の古典のひとつである『礼記(らいき)』には玄は亀、武は蛇と書かれている。妙見信仰が日本に伝わると亀蛇(きだ)は妙見のシンボルとして受容された、と書かれていた。

 

諏訪神社の神蛇を祀る神池
 

埼玉県の秩父神社の妙見の御影として、北斗七星などとともに、亀に乗った神の姿が描かれている。また熊本県八代市の妙見祭では、亀蛇が合体した山車が奉納される、という。

その秩父神社とは、前出の「秩父郡大宮町の妙見社」のことだ。

さらに真言宗・大照寺(だいしょうじ)を例に挙げて、年回りの吉凶を見て祈祷札を出す、という星祭りについても書かれている。

北辰妙見信仰は、『北辰』と呼ばれる北極星などの信仰と仏教の菩薩信仰が習合した妙見菩薩信仰であり、星回りを読む星祭を行うのだ。

この地にあった妙見社は亀の信仰が強く、諏訪神社の神蛇を祀るための神池があったのも、一帯で妙見信仰のシンボルである亀蛇を祀っていることに由来しているからだろう。

また現在も行われている山田神社の冬至祭は、北辰妙見信仰が引き継がれている名残りといえる。