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山口百恵さん祝・還暦!横須賀ゆかりの地を巡る

山口百恵さん祝・還暦!横須賀ゆかりの地を巡る

ココがキニナル!

2019年、あの山口百恵さんが還暦を迎えた。伝説の歌姫の人生の節目を勝手に祝して百恵さんの原点「横須賀」ゆかりの地を巡ることにした(ライター結城のキニナル)

はまれぽ調査結果!

半世紀の時を経て様変わりしている所も多い。だが「あの時代」が鮮やかに蘇るゆかりの地も失われたわけではない。山口百恵さんの魅力の深さを再認識させられる場所だった

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ライター:結城靖博

不入斗中学校付近で坂道探検隊敢行!
 
巡礼はまだまだ終わらない。小学校のあとは、当然ながら中学校である。
鶴久保小をあとにして、不入斗公園を左手に見るようにして進んでいくと、15分程度で山口百恵が2年生の終わりまで通っていた横須賀市立不入斗中学校がある。
その道すがら、不入斗中のほど近くにキニナる坂を発見。
実は筆者、このたびの巡礼において、もっとも訪れてみたいのは、名曲『横須賀ストーリー』の中で「ああ、ここは横須賀」と歌姫に感嘆せしめた「急な坂道を上りきった先に海を望む場所」なのである。しかしそこがどこかは、そもそも阿木燿子(あき・ようこ)の歌詞の世界のことなので、特定しがたい。だが、その暗号のような謎の場所こそ、山口百恵の横須賀原風景の象徴なのではないかとの思いが強い。
それゆえ、歩きながらもちらちら坂に目をやっていたのだが、まもなく不入斗中に差しかかるという道の脇に、いかにもと思える狭い坂道を発見したのだ。それが下の地図の「坂道探検隊エリア」である。
 


坂道探検隊エリアはちょうど不入斗中の裏手といっていい付近 © OpenStreetMap contributors

 


そこはこんな坂であった

 


上っていくとどこまでも続いていきそうな坂道

 


さらに坂道はうねうねと続く

 
ああ、歌姫よ、私はどこへ導かれていくのでしょう・・・。
上ることおよそ10分。たどり着いたその先は、民家の前だった。
 


これ以上は登攀(とうはん)不能です、隊長!

 
そしてその場所から下を振り向けば・・・
 


オーマイガー! 海側が竹林でふさがれている

 
というわけで、残念ながら海は望めぬままふたたびもと来た道を下る。そして、とにもかくにも山口百恵が中学2年生まで通った不入斗中学校へと向かった。
 


不入斗中学校正門

 
「山に囲まれた木造校舎」――『蒼い時』序章ではそう記されている。また、前出の『よこすか中央地域 町の発展史2』にも不入斗中の木造校舎時代の写真が掲載されている。ここでは著作権の都合で紹介できないが、旧陸軍重砲兵連隊兵舎であった木造建築の同校と、今の校舎では、およそイメージが結びつかない。彼女は、その兵舎を引き継いだ旧木造校舎に通っていたのだ。
ところで、この不入斗中学校は1956(昭和31)年、日本一のマンモス校になり話題となった。当時の生徒数、3084名。もちろん、山口百恵が在籍していた70年代前半はもう少し減少していたと思うが、まだまだ生徒数は多かったろう。そんな大勢の中学生の一人として、彼女はこの学校に通っていたのである。
 
その中学校の通りの向かいに、彼女が毎日のように立ち寄ったという「アライベーカリー」があった。『蒼い時』序章では「中学校の前にあった新井ベーカリーの揚げソーセージ」と回想されている(同書では「新井ベーカリー」と記されているが、現在の正式な屋号は「アライベーカリー」のようだ)。
筆者、今回の取材で「楽しみ」の筆頭に挙げていたのが、そのアライベーカリーの「揚げソーセージ」なるものを試食することだった。ところが、である・・・
 


アライベーカリーがあった場所は駐車場に変わっていた

 
駐車場の向かいのローソンの店員さんに話を伺ったところ、昨年2018(平成30)年の2月にアライベーカリーは閉店してしまったとのこと。実に惜しかったが、これも半世紀の時の流れを映す証しとして受け止めることにしよう。
 
 
 
百恵ちゃんが日曜ごとに通っていた市営図書館
 
気を取り直して、アライベーカリー跡地から、『蒼い時』序章によれば「日曜ごとに通っていた」という次なるゆかりの地・横須賀市立中央図書館へと向かう。ざっと徒歩10分ほどの距離だ。
 


その途中、道の左手に渋いパン屋さんを発見

 
アライベーカリーはなくなってしまったが、まだこんなレトロなパン屋さんが存在していた。この店も戦前から営業しているという。図書館への行き帰り、彼女もここでパンを買ったかもしれない。
 


不入斗中と中央図書館、そして浜田屋の位置関係 © OpenStreetMap contributors

 


焼きたてメロンパン(120円/税込)に特に心惹かれ購入

 


素朴な形だが、サクサクふんわり甘すぎず美味かった

 
メロンパンをパクつきつつ、距離的には短いが途中ちょっとわかりづらい入り組んだ道を、何度か人に尋ねながら中央図書館へたどり着いた。
 


高台に建つ横須賀市立中央図書館

 
せっかくだから図書館の中に入り、司書の方に少し話を伺う。図書館がこの場所に移ったのは1963(昭和38)年、増築され現在の形態になったのが1965(昭和40)年のとのこと。ならば、山口百恵が毎週末通っていたころも、図書館は今と同じ様子だったということだ。
 


道を隔てて「読書公園」に指定されている緒明山(おあきやま)公園がある

 
この公園も1949(昭和24)年開設なので、もしかしたら彼女もこの公園のベンチに腰をかけ、読書をしたかもしれない。
 
ついでに、図書館内の郷土・参考資料室で、屋外プール時代の市営プールの写真が掲載されている本がないか訊いてみた。司書の方が丁寧に調べて何冊かの本を出してくれたが、残念ながら、それと確定できるような写真が載っている本はなかった。
 
 
 

いよいよ巡礼の地・最重要ポイントへ向かう


 
図書館で調べごとなどしていると、あっという間に時が過ぎてしまう。気がつけば午後4時を回っていた。いかん! まだ日が暮れる前にどうしても立ち寄りたい場所があるのだ。
そこは、『蒼い時』序章に「あの街を去る前日の中央公園。さようならと決して言わなかった友達。いつでも帰ってこいと言った友達。それなのに遠くなってしまった街」と意味深に綴られたその公園である。
 


中央図書館と中央公園の位置関係© OpenStreetMap contributors


図書館から公園までの距離は、やはり徒歩10分ちょっと。だが、三崎街道から脇道に入ると徐々に上り坂となり、横須賀市文化体育館を右手に見つつ最後に上る急坂がなかなかきつい。
 


三崎街道から路地に入るとダラダラと坂道が続く

 


右手に文化体育館がある最後のきつい急坂

 


やっと坂を上りきり公園の前へたどり着く

 


公園の中へ分け入り、左手奥の階段へ向かう

 


階段を上る

 
するとそこには・・・
 


ジャーン! 海があった

 


そして『蒼い時』序章に「さる島」と一言ポッツリ記された猿島もバッチリ望める

 
おいおい、ここだろう!ほかにどこがあるというのか。こここそまさに、「急な坂道」を駆けのぼり、その先に海を見た場所ではないか?
 
「ここだ、ここだ!」と連呼しながら写真を撮りまくっていたら、きれいな毛並みの柴犬を連れてお散歩中の老夫婦がニコニコしながら近づいてきた。
「ここですよね! 山口百恵が見た景色って」と、思わず話しかけてしまった。
すると、ご婦人が
「ええ、そうですよ」と、まるで筆者を待っていたかのような口ぶりで答えてくれた。さらに、
「その下の坂は『これっきり坂』って呼ばれてるんですよ」と続ける。
 
そうか。あの急坂は「これっきり坂」なのか。つまりは、地元の人たちは、ここが『横須賀ストーリー』の歌詞に出てくる世界だということをけっこうみんな知っているのか。
(ちなみに図書館と公園の位置関係を示した地図のピンクのマーカー部分が「これっきり坂」。)
 
ご夫婦はその場所に腰を落ち着け、さらに筆者にいろいろな話をしてくれた。なんとお二人とも山口百恵と同じ不入斗中の出身だという。年齢的には彼女より一回り上。ちょうど、不入斗中が日本一のマンモス校として話題になっていたころの生徒さんたちだった。
「あの頃は一学年、19クラスあったもんなぁ。百恵ちゃんのころはそれよりずいぶんマシになっていただろうけど、でも10クラス以上はあったろうな」と、ご主人が回想する。
 
その後、ここから望む景色について丁寧にガイドしてくれたり、元々陸軍演習砲台跡地だったこの場所の子ども時代の思い出など、貴重な話をたくさん聞かせてくれた。本題とそれるのでそれらは割愛するが、ただ、すぐそばにあった不思議なオブジェが防空壕だということは、ちょっと驚いたので書き留めておこう。
 


かまぼこ状の鉄板の下に防空壕がある

 
昔は鉄板の上ぶたがなく、ご夫婦とも子どものころ、中に入って遊んだ記憶があるという。
やがてお二人は、また仲良く柴犬を連れて立ち去って行った。実に不思議な出会いだった。
 


悠然とその場を立ち去って行った老夫婦

 
横須賀の歴史が堆積したこの場所で、山口百恵が横須賀を離れる前日、おそらく友人とともに、海を見ながら何を思ったのか、それはわからない。
ただ、ここからの景色は、ただ海の美しさだけではない、やはり横須賀ならではの何かを感じる。猿島もかつては旧日本軍の要塞だったし、米軍横須賀基地もすぐそこにある。
 


右手に猿島、左手に米軍基地エリア

 
もちろん、百恵さんはそんな意識とはまた別の、彼女なりの個人的な心境を抱えて、その日中央公園からの景色を見ていたのだろう。ただ筆者が見ている今と共通するのは、「複雑さ」ということではないだろうか。きっと彼女も、何かしら言い知れぬ複雑な思いを抱えて、この景色を眺めていたにちがいない。
 
中央公園を離れて、その後横須賀中央の市街地に向かう。そして、山口百恵がデビュー曲『としごろ』を、デビュー前日に数少ない聴衆を前に屋上ステージで歌った旧「さいか屋大通り館」跡地を見届け、この取材を終えた。
 

旧さいか屋大通り店跡地

 
さいか屋大通り館は2010(平成22)年に閉館し、現在は駐車場になっている。
 


駐車場の向こうに現在のさいか屋が見える

 
 
 
取材を終えて
 
その後なんとなく、どぶ板通りに足が向いた。
 


そろそろ、どぶ板通りの夜が始まろうとしていた

 
そこで、ある発見をしてしまった。
どぶ板通りには、横須賀ゆかりの有名人の手形レリーフが地面に埋め込まれている。
もちろんそこには、宇崎竜童(うざき・りゅうどう)さんや阿木燿子(あき・ようこ)さんの手形もある。ところが、山口百恵さんの手形が見つからない。そんなはずはないと三度通りを行き来したが、やっぱり、なかった。
翌日、どうしても腑に落ちないので、どぶ板通り商店街振興組合に問い合わせてみた。
すると、「断られてしまったんですよね」との回答。
電話口に出た方は、「きっとそのころお忙しかったんでしょうね」と言っていた。
が、そうだろうか。
まさにそこに、「私の原点は、あの街」と語りながらも、その地を去る前日に中央公園から見渡していた彼女の、横須賀への眼差しの複雑さが垣間見えはしないか。
思えば、三浦百恵さんが歌手であり女優である「山口百恵」という存在であったころ、年齢にそぐわない大人びた表情と、バラエティー番組でふと見せるあどけない笑顔が錯綜する、なんとも複雑な個性を湛えていた。そこに、百恵さんの魅力の一面があったようにも思う。
その複雑さが、横須賀という街が持つ複雑さと重なって見えてしまうのは、私だけだろうか。
 
 
―終わり―
 
 
取材協力
横須賀市総合体育会館(横須賀アリーナ)
公式サイト/http://yokosuka-arena.jp

参考文献
『蒼い時』(山口百恵著、集英社文庫)
『よこすか中央地域 町の発展史2』(中央地域文化振興懇話会編集、横須賀市発行)

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  • 京急LOVEさん、「別人」ですヨーw これからも面白い記事を応援していきましょうね。

  • 不入斗中、我が母校

  • りょうちゃんさんって、これ書いた本人では?文体が同じ(笑)。自画自賛するのやめな。

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