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川崎にSFの巨大な未来都市? 白亜の近未来的高層団地「河原町団地」とは?

ココがキニナル!

川崎にある河原町団地の昭和のSFの巨大な未来都市のような景観がスゴイと思うのですが文化遺産などにならないのでしょうか?圧倒的な存在感が溢れていてこの空間を作ったコンセプトは貴重(タロー先生のキニナル)

はまれぽ調査結果!

1960年代後半に建設、1972年に入居開始した河原町団地は比較的新しい建築物であり、耐震基準も満たしていて遺産になるのはまだ遠い未来の話

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ライター:永田 ミナミ

図面と内部



さて、ここまで河原町団地の外観と資料をもとに話を進めてきたが、今回は河原町団地内にある「かながわ土地建物保存協会川崎サービスセンター」の市川さんに話を聞いたり、室内を見せていただいたりすることになっているのだった。
 


というわけで訪れたこの日は7月の終わりで、折しも「団地祭」の準備中であった
 

近未来的建造物への期待に胸を膨らませていたせいで、毛筆体の提灯に違和感をおぼえたのは自分がいけない。建築物が近未来的で壮大であっても、暮らしているのは未来人ではなく同時代を生きる祭り囃子に胸踊る人たちなのである。
 


団地祭は広大な河原町団地全体の祭りのようで、準備にも活気が漂う
 

夏の暑さと来るべき祭りに向け準備が進む熱気のなかを通り抜けやってきたのは、河原町団地12号棟。
 


そして、こちらが「かながわ土地建物保存協会川崎サービスセンター」である
 

なかに入って挨拶をすると、市川さんがテーブルをすすめてくれた。そして、やおら取り出したのは13枚の詳細な図面。おお、と思いめくっていると、市川さんがやさしい口調で「どうぞお持ちください」と言う。鼻血が出るかと思うほどの興奮であった。
 


こちらはあとでスキャンしたものである。まずは団地全体の俯瞰図(かながわ土地建物保全協会提供)※クリックして拡大
 

図面の黄緑色部分は団地内の通路やグリーン・スペースで「県・市共有地」。赤色部分は川崎市、青い線で囲まれた白く見える部分は神奈川県の管理地となっている。そのほか、緑色部分は2ヶ所の保育園は民生局、茶色部分が県・市住宅供給公社の管理地となっている。また、現在は廃校となり取り壊されてしまったが、オレンジ色部分の場所に河原町小学校があった2006(平成18)年までは教育委員会が管理していた。
 


上記の区分を図面に反映させるとこんな感じ。逆Y型住棟は県が管理している
 

河原町団地は1号棟から15号棟まであり、1~3号棟と12号棟が市営住宅で1598戸。4~9号棟が県営住宅で1300戸。13~15号棟は分譲住宅で693戸(市住宅供給公社が253戸/県住宅供給公社が440戸)の合計3591世帯。13~15号棟は1階が店舗になっている。
分譲住宅棟は東日本大震災後に耐震工事が行われ、市営住宅も現在耐震工事中だが、県営住宅棟は阪神大震災後に行った調査で、まったく問題ないという結果だったという。これも逆Y型の効果だろうか。
 


こちらは12号棟にほどこされた耐震工事である
  

ここで市川さんが面白い話を聞かせてくれた。河原町団地は1~15号棟となっているが、10号棟と11号棟が欠番になっているのだという。 
   


本当だ、10、11号棟が存在しない。ちなみに赤=市営、青=県営、茶=分譲である※クリックして拡大
   

これについて記録は残っていないが、市川さんは「10号棟にあたるのが旧河原町小学校、11号棟にあたるのが河原町保育園ではないか」と考えているという。
  


なるほど、そう考えればすべての建物の配列が線でなぞれる※クリックして拡大
  

続いて、住棟の図面である。図面なので詳細に書かれているのは当然なのだが、SFとまではいかないにしても、丹下健三氏の「東京計画1960」など建築家が未来志向を持った斬新な都市計画を次々に発表していた時代の息吹きと大谷氏の意志が感じられるようだ。
 


まずこちらが4、5、6号棟の図面※クリックして拡大
 

そしてこちらが7、8、9号棟の図面である※クリックして拡大
 

そしてこちらが逆Y型住棟の断面図※クリックして拡大
    

こちらは上から見た4~6号棟のフロアごとの断面図※クリックして拡大
 

さらにこちらは間取り図※クリックして拡大

 

4、6号棟には車椅子での出入りしやすいよう玄関が引戸の身障者向けの部屋もある※クリックして拡大
 



未来都市のなかで現実と向き合う



さて、資料と図面で未来都市への期待を存分にふくらませたところで、市川さんが県営住宅内部を案内していただくことに。
 


というわけで真夏の外へ。そして最初にキニナったのはエレベーターの階数表示
 

これは市川さんたちが「雛壇」と呼ぶ逆Y型の階段型構造が原因だという
 

斜めに住戸が配置されていることで、9階建ての直方体型住棟とフロアの高さにずれが生じ、逆Y型住棟の5階が直方体型住棟の6階になっているそうだ。
  


というのもエレベーターは両タイプの住棟の連結部分にあり(右が直方体/左が逆Y型)
  

広いエレベーターホールからそれぞれの住棟へと向かう構造だからである
   

同じ高さの部屋を垂直に積んでもずらして積んでも同じ高さになりそうにも思えるが、建築というのはつくづく複雑である。
  


逆Y型部分の通路はこんな感じでなかなかのSF感が漂う
   

通路の雰囲気に興奮していると「逆Y型の内側はどうしても暗くなってしまうので、常に照明をつけていなければならないんです」という。確かに上のエレベーターホールの写真も左側の逆Y型住棟側の暗さと直方体住棟側の明るさが対照的である。 切ない現実もこの通路にはあるのだった。
 


さらにもうひとつ切ない現実を教えてくれた
 

かつてこの半屋内広場にはバスケットボールのゴールが設置されていたが、逆Y型内でボールの音が反響してしまうということでゴールは撤去されてしまったそうだ。
 


今はコートの跡らしき線が当時の面影を伝えるばかりである
 

そういえば「落下物多発により赤広場での遊びは一切禁止します」の看板があった
  

大谷氏が「雨の日でも子どもが遊べる広場を」という思いを込めてつくった広場は、現実とのいくつかのすれ違いを経て、いまは遊べない広場となってしまった。
猛暑日のこの日、中学生と思しき少年3人が日差しを避けてガリガリ君を頬張る静かな「赤広場」であった。
 


昭和47年の現在と未来


 


続いて8号棟の空室を内見させていただくことに
 

4~9号棟は公営住宅なので、年に2回、入居希望者を募集している。現在は9月1日の募集に向けてリノベーションが進められているところである。
  


部屋はこの間取りを左右反転させた、広さ35~36平方メートル3DKタイプである
   

公営住宅の家賃は収入に応じて決定されるが、概算で3DKタイプは1万9700円~3万8800円、28~29平方メートルの2DKタイプは1万7000円~3万3400円である。
  


玄関を入ってすぐは4.5畳の和室。押入れ下の窓は外の通路に繋がり風通しを確保
   

なるほどよく考えられた設計だが、窓を開けるとすぐ外なので、通路に目隠しの板などを置いてこの窓の外を物置にする人が多いという。
  


和室の外はダイニングキッチン。逆Y型によって高い天井になっている
   

1972(昭和47)年築なのでDK以外は和室だがトイレは洋式
 

ガスコンロは自分で用意するシステム
 

ほかにもエアコンや浴槽も自分で用意という幅広いDIYスタイルを採用している
 

こちらは先ほどの和室と隣り合う6畳の和室。その襖を開ければ10.5畳の1部屋に
 

そしてこちらはDKの奥の4.5畳の和室。右側はバルコニー
 

このバルコニーの横の四角い箱型の部分が写真上の和室ということになる
 

案内していただいたあと、市川さんに「このアスファルトの膨らんでるところって、昔は緑地か何かだったんですか」と聞いてみると「そうなんですが、数年前に土壌から微量の不純物が検出されたので安全を優先してアスファルトで埋めることにしたんです」という答えが返ってきた。

この場所が1969(昭和44)年まで東京製綱の工場だったためとも、目の前の府中街道を通るトラックなどの粉塵によるためとも言われるが、50年以上前の話となると判断が難しいので、犯人探しのようなことをするよりも現状に対処したそうだ。
 


かつてここには青空と白い建物にかこまれて、緑色の芝生が広がっていたのだ
 

団地を歩いている途中で「この独特な建築物群である河原町団地が、文化遺産になるような話というのはありますか」と質問してみると「まだ建てられてから40数年で比較的新しい建築物なので、今のところそのようは話はないですね」という。
 


なるほど、確かに内部を歩いてみるとどの建物もまだまだ血が通っていた
  

分譲住宅、市営住宅にはしっかりとした耐震工事が施されているし、県営住宅も充分な耐震性を備えている。遺産になるにはまだ早いのだ。
 
分譲住宅棟は、内部が最新の住環境にリノベーションがされている住戸もあるかもしれないが、県営住宅である逆Y型の住棟は、大規模な資金を投入してビフォーアフター的リノベーションをする種類の建物ではない。そのため建てられた当時の時代の雰囲気を残してもいる。
 
また、入居者の収入制限があるなど、特別な性質を持つ公営住宅なので、個人情報に関わる入居者への直接取材はすべきでないだろうと考えていたが、市川さんによると、年2回の募集では高齢の新規入居者も多いという。お年寄りだから長く住んでいるというわけではないということも知ったのだった。
  
というか猛暑日に出歩く人は少なく、もし住人を待っていたら倒れるのはこっちだな、と目の前の現実を思いながら「赤広場」を歩いていると、ちょうど真ん中あたりに来たので何気なく空を見上げた。
   


そこには『2001年宇宙の旅』のスターゲートみたいな吸い込まれそうな未来的風景があった
 

市川さんにお礼を言って「外観を見て回ってもいいですか」と聞くと「どうぞ。暑いので気をつけてくださいね」という優しい言葉を残して事務所へ戻っていった。

建物の内部を見せてもらってからあらためて真っ白い未来都市を見上げると、頭をよぎる「20世紀」や「昭和」「発展」といった言葉とともに少しまた違う趣をもって、それでいてやはり壮大なスケール感をもってそびえる河原町団地であった。
 


取材を終えて


 
河原町団地の計画が始まった1969(昭和44)年といえば1月に東大安田講堂事件が起こり、7月にアポロ11号が月面着陸し、8月にウッドストック・フェスティバルでジミ・ヘンドリクスが「星条旗」を弾いた年である。
まだ科学がもたらす絶対的な未来を信じていた時代であり、公害問題についての意識が形成されつつある時代であった。今のような何でもシミュレーションできるコンピューターもない時代でもあったから、いくつかの理想が現実と噛み合わないこともあっただろう。
 


しかし、なかったからこそこの河原町団地は生まれたとも言えるかもしれない
  

というノスタルジックなロマンチシズムを感じつつ、同時に今まで一抹の味気なさを感じていた、最近のものすごい速さでできあがっていく合理的でむだのない高層建築物は、住環境としては目覚しい進化を遂げているんだなと見る目が変わってもいるのであった。
 
 

―終わり―
 

参考文献
『モダニズム建築の軌跡 60年代のアヴァンギャルド』内井昭蔵監修/INAX出版/2001 『大谷幸夫 建築・都市論集』(『建築』1969年11月、一部修正)大谷幸夫著/勁草書房/1986  『丹下健三とKENZO TANGE』豊川斎赫編/オーム社/2013
 

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  • この団地が出来てから27年位住んでました。とても懐かしいですね。団地の真ん中は小高い丘みたいなのが二つありました。住んでいた頃はとても緑が多かったので写真を見て緑の少なさに驚きました。赤広場、雨が降ると中央に水溜まりができてしまうので最初から遊べなかった記憶があります。雨の日は 1号棟の子は渡り廊下があり1フロアーをぐるっと廻れるのでリレーをしてたり、4,5,6号棟の子は泥警とかしていた記憶が甦ってきました。

  • 仕事で河原町団地の個人宅にお届けに行くのですが、重量物を運ぶ際に建物に車を横付けできず、遠い距離を台車を押して運ぶため苦労しています。団地の真ん中に時間貸しの駐車場があれば、良いのにと感じるのは、私だけでしょうか?

  • 分譲側にももっと触れて欲しかったです。消えたグリーンスペースは5,6年前に、土壌汚染が発見され封鎖されました。またメゾネット式という点と、六郷花火大会が真正面という不思議な環境です。

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