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36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!【前編】

36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!【前編】

ココがキニナル!

オリジナルメンバーで再結成したデビュー40周年の「横浜銀蝿40th」ってどんな人たち?

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ライター:山本航

一番音楽を楽しんでいた頃を歌にしようと、原点に戻った



−−バンド名の由来と、なぜこんな長い名前にされたんですか?

(S)俺たちが昔からバイクや車に乗って、たむろしてたお店があって。そこのマスターが「お前らいつも銀蝿みたいにブンブンうるせーなー」って言ったんですね。それで嵐さんが銀蝿っていいなと気に入って、バンド名にしたんです。次の日にはもう暴走族みたいなステッカーを作ったよね。さっき話したロングチャイナの衣装にも、背中に刺繍で横浜銀蝿って入れて。

 

個性的なバンド名の誕生
 

それからTAKUと合流して、バンド名を再検討したときにやっぱり気に入ってるからこれでいこうと決めたんですよ。俺たちはなんでも一番が好きだから、デビューしてすぐに一番になれるものって何だと考えたら、バンド名を日本一長くするってどうだとアイデアが出て、走り屋っぽい名前にしようぜって決めました。

−−ツッパリソングに行き着いたきっかけは何ですか?

(S)俺とJohnnyが二人でやってた時、たばことか彼女のこととか、そういう歌をいっぱい作ってたんだけど、音楽にどんどんのめり込んでいくほど、当初のストレートな気持ちを忘れてしまっていて。素敵なラブソングとか、誰かの気持ちを鼓舞出来るような、ドーン! と人の心に突き刺さるような曲を作ろうよと言って、改めて作っていったのね。

 

銀蝿らしさを突き詰めた
 

嵐さんとTAKUが合流したときには、そういった曲がすでにたくさんあったんです。デビュー曲の『横須賀Baby』も。1979(昭和54)年に結成してから1980(昭和55)年にデビューするまで1年間かかったのは、「横浜銀蝿じゃないと歌えない曲はないのか」とディレクターや事務所の社長に言われて、悩んでね。
それで原点に戻って考えたとき、自分たちが一番音楽を楽しんでやっていたころのことを歌にすればいいんじゃない、と。バンドのことだけじゃなくて、学生時代のバイクに乗ったりナンパしたり横須賀に繰り出したりとか、毎日楽しかったことを歌にしようと作ったのが、『ツッパリHigh School Rock’n’ Roll』シリーズや『ぶっちぎりRock’n’ Roll』とか。

 

原点回帰で吹っ切れた
 

嵐さんは高校生からグレ始めて。当時はどこもかしこも不良だらけの時代で、嵐さんの友達もみんなめちゃくちゃな不良ばっかりで、次々とウチに遊びに来ては、毎晩バイクや車で夜中に走りに行ったり。その経験から、車やバイクの歌が出来ていったんですよ。嵐さんは俺の兄貴だから、俺がグレたのは嵐さんのせい(笑)

 

嵐さんの影響が大きかった
 

そんな俺たちの経験からできたオリジナル曲を作り続けていくのは大変だけど、最後までそれを通してツッパリ続けることも難しいことだから、「やってごらん」と言ってくれたのがデビューからディレクターをしてくれたキングレコードの水橋さんだったんですよ。俺たちの恩師ですね。

(J)人を褒めて育てる、その人の魅力を引き出すのがうまいんですよ。そうだよなーと思うことがいっぱいありました。

(S)女性アイドルデュオのWink(ウインク)も「とにかく声がいいんだ!」とデビュー前から気に入って育てていましたね。



取材を終えて



翔さんとJohnnyさんは、無邪気にお互いツッコミしあったり歌いだしたりして、まるで高校生に戻ったかのよう。どのエピソードも昨日のことのように細部まで覚えていて、リアルに情景が浮かんだ。当時から絶対に譲れない芯が今でもブレずに息づいているのは、4人の絶対的な信頼関係と、大好きな事を忘れない少年性なのだとダイレクトに伝わった。
次回、3月31日公開の『36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!【後編】』では、水橋さんを偲ぶ会をきっかけに始動した再結成への具体的ないきさつ、翔さんの隠された苦悩、ブレイクしたからこその壁やハプニング、嵐さんとTAKUさんの運命的な出会いなど、さらにバンドの歴史と魅力を深堀りしていく。

 

ますます楽しみな再結成の1年間!
 

 
-終わり
 
 

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  • 暴走族大っ嫌いです。夜中に人のこと考えずに爆音慣らし暴走しやがって。若気の至りとか言う奴いるけど、こんなことしなかった奴が大半なのに。元暴走族が議員なんてのもいて、そいつが今社会にどんなことで貢献してる?このバンド、ギターベースドラムどれをとっても未熟で、演奏はパクパクだったということを聞いたことがある。こんなのが横浜のイメージになってしまうことがなさけない。横浜の名前を背負ってほしくなかったよ。闇のままでいてほしかった。

  • デビュー当時私は大阪に住んでいましたが懐かしい横浜の横浜銀蝿に興味津々。そしてJohnny大好きでした。最近グラサン外した素顔をお見かけし、やっぱりカッコいい!!

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