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関内に南極料理人のお店があるって本当?

ココがキニナル!

先日砕氷船「しらせ」が横浜港に寄港しましたが、関内駅近くに南極料理人のシェフのお店があるそうです。是非取材してください。キニナル!(tokuさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

オーロラをこの目で見たい、その夢を実現するために南極料理人の道を選んだ篠原洋一さんの店「Mirai」には、未来と味蕾(みらい)の意味が込められていた

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ライター:河野 哲弥

バナナでクギが打てる世界の料理とは



一年を通した南極点の平均気温はマイナス50度にもおよび、その寒さの中では、一昔前のテレビCMにあったように、バナナもカチカチに凍ってしまう。

そんな極地に2度にわたり南極隊員として赴いたのが、今回ご紹介する「BAR de 南極料理人Mirai」のオーナーシェフ、篠原洋一さんだ。
 


同店(B1F)が入るビルの外観


お店の場所は、JR関内駅から歩いて3分ほど、吉田町交差点のすぐ隣にあった。一体どのような料理が楽しめるのだろうか。南極の様子や苦労された点なども合わせて、取材してみることにしよう。



コンセプトは「南極・旅行・船」



地下へと続く階段を降りていくと、その先に、ペンギンのオブジェや豪華客船の写真などが見えてきた。この階段が南極に向かう航路のように思え、何だか、ワクワクした探検気分が盛り上がってくる。
 


コウテイペンギンが出迎えてくれる店舗入口


店内は、5卓約20人が利用できるほどの広さで、南極の様子や動物などのさまざまな写真が目に飛び込んでくる。「昭和基地、到着」といった感じが楽しい。
 


世界地図も飾られている、店内の様子


同店が「南極、旅、船好きが集まるBAR」をコンセプトに開店したのは、2010(平成22)年の9月のこと。メニューなどを紹介する前に、まずは篠原さんのプロフィールについて、お話を伺ってみることにしよう。



オーロラをこの目で見たくて



生まれも育ちも北海道と話す篠原さんは、1962(昭和37)年生まれで、「小さなころから食べることが大好きだった」そうだ。当時放映していたテレビドラマ「前略おふくろ様」の影響を強く受け、地元の日本料理店で、板前の道を歩むことになったという。
 


世界地図の前で、篠原洋一さんご本人


ある日、北海道大学の故・清水弘(しみず・ひろむ)教授から、オーロラの話を聞いた篠原さん。心を打たれもっと詳しく知りたいと思ったところ、清水教授に、「話を聞くよりも、直接自分で見に行っては」と強くすすめられたらしい。

南極などに隊員を派遣している「国立極地研究所」との接点があった同教授は、「南極隊員は、エンジニアだけではなく、調理担当も募集している」とアドバイスをしてくれた。それを聞いた瞬間、篠原さんの中で、漠然とした夢が具体的な形を取り始めてきたそうだ。
 


南極へ行くためには何が必要なのか、チャレンジの日々が始まった


篠原さんはまず、枕元に砕氷船「しらせ」とオーロラの写真を飾り、毎朝起きるたびに「絶対、南極へ行くぞ」と決意を燃やしたという。また、都内の有名料理店「車屋」や「金田中」で板前修業を積むとともに、日本料理だけでは料理に幅が出ないと、深夜に居酒屋のアルバイトも行った。

そんな姿を見た清水教授は、ある日、最終試験ともいうべき質問を投げかけてきたそうだ。「おまえは南極に料理をしに行くのか、それともオーロラを見に行くのか」と。
 


空を覆う緑のカーテン、見ると聞くでは、全然違うものらしい


篠原さんは迷わず「オーロラ」と答えたそうだが、今考えると、「料理」と言っていたらどうなっていたか分からなかったと話す。

「料理には『うまい・まずい』が付きもの。もし自分の腕を振るうことが目的だとしたら、長期間閉ざされた環境の中で、文句を言われて嫌気がさしてしまったかもしれない。その点を、清水先生も心配なされたのでしょう」と振り返る。

そんなこともあり、清水教授から「国立極地研究所」へ宛てた推薦状を手にすることができた篠原さんは1991(平成3)年、第33次南極地域観測隊の一員として日本から出港することになった。