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地図から消えた幻の島「山瀬町」がかつて新山下にあった?

ココがキニナル!

神奈川近代文学館のパンフレット「YOKOHAMAと谷崎」の地図にある、昭和の地図にはない埋め立て地か島のような「山瀬町」という地名は本当にあったのでしょうか(koihigeさん)

はまれぽ調査結果!

大正時代の地図で山瀬町を確認。埋め立てた後に山瀬町と名付ける予定だったと思われるが、公式な記録としては残っていない。

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ライター:ほしば あずみ

謎の山瀬町



今でいう新山下のあたりに、山瀬町という聞き覚えのない地名?

さっそく確認してみよう。投稿にある「神奈川近代文学館のパンフレット」とは、1998(平成10)年に文学館で企画された「谷崎潤一郎展」の図録の事。

図書館に所蔵されていたそれを確認すると、確かに巻末に「YOKOHAMAと谷崎」という地図、1920(大正9)年8月の大正調査番地入横浜市全図があった。谷崎作品に登場する横浜の各所を地図で紹介している。
 


谷崎潤一郎展図録(神奈川近代文学館刊行)
 

その巻末「YOKOHAMAと谷崎」に・・・
 

山瀬町発見
 

グーグルマップに重ねてみると、確かに現在の新山下付近


こんなところに島のようなものがあっただろうか? 明治時代に描かれた横浜港の絵図や地図などを探してみたが、見当たらない。
ただ、時代をさかのぼって1901(明治34)年に発行された地図「拡張横浜市全図」(吉本光太郎編/倉田屋書店)に興味深いものを発見。
 


「拡張横浜市全図」より(横浜中央図書館所蔵)
 

海岸線に沿って「山下海水浴場」の文字。その先の海は「埋立地」として点線で囲まれている。

この場所が実際に埋め立てられ、「新山下町」と名付けられるのは1923(大正12)年の事だが、埋立計画は明治時代、すでにあった事を示している。
ただ、ここに山瀬町に該当する島のようなものはない。

この島状のものが描かれた地図を「拡張横浜市全図」から時代を進めて探すと、1913(大正2)年の「最新横浜市全図Latest Map OF YOKOHAMA」(岡太郎編/勧業協会)にそれはあった。
 


島状のものが描かれている(横浜中央図書館所蔵)


ほぼ同時代のほかの地図をいくつか見比べると、この島状のものは、描かれていたりいなかったり、一致しない。この地図では、島状の沖合に点線が描かれており、そのあたりまで浅瀬である事を示しているようだ。

水深が浅かったため海水浴場となり、埋立計画も立てられたのかもしれない。島状のものは砂洲のようなもので、潮の干潮で姿を見せたり沈んだりしていた可能性はないだろうか。
ともかく、ここにも山瀬町の名前はない。