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明治時代に「ご利益がある」と一大ブームとなったが一瞬にして消えた鶴見の「お穴さま詣で」って一体何!?

ココがキニナル!

明治40年ごろ鶴見区駒岡にある瓢箪(ひょうたん)山の掘削中に穴が見つかり様々な物が出土し、お穴様と呼ばれ、ご利益があると評判がありにぎわいだったとか。お穴様って何?今もある?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「お穴さま」は、「瓢箪(ひょうたん)山遺跡」という古墳。現在は祀られてはいないが「瓢箪山遺跡」という記念碑が建っていて現在も参拝する人がいる

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ライター:橘 アリー

楽しそうなキニナル!?



「瓢箪山(ひょうたんやま)でおこなわれていたお穴様詣でって一体何?」というおとぎ話のような雰囲気があるどこか楽しげな今回のキニナル投稿。
 


植物の瓢箪はこのように実るのだが(フリー画像より)
 

山というと、瓢箪を横にしたような形だったのだろうか?(フリー画像より)
 

地域が鶴見区の駒岡ということなので、まずは鶴見区のホームページを確認してみると、「お穴さま」について載っているのを発見。
 


「お穴さま」について載っているページ


これによると、明治時代に京浜急行の工事のために瓢箪山を掘削したところ、人骨、埴輪(はにわ)、土偶、まが玉、刀剣などが出土し、その後、駒岡に住んでいる人たちが「お穴さま」として祭り、目が悪かったおばあさんがお祈りをしたら目が治ったということから、「お穴さま詣で」としてお参りすることが大流行したと言う。

そこで、さらに詳しく聞いてみようと鶴見区役所に問い合わせてみたが、ホームページの記載は1999(平成11)年に鶴見区役所で出版した「つるみ このまち このひと」という本をもとにしているもので、それ以外は分からない、とのことだった。
 


「つるみ このまち このひと」


現在の駒岡はどのような所なのか聞いてみたところ、「瓢箪山」と言う山はなく平地で、静かな住宅地であるとのこと。

「お穴さま」があった場所の現在の様子は、後で調べてみるとして、その前に、投稿者の言っていた明治40年ごろの「瓢箪山」はどのような場所で「お穴さま」はどのようなものなのか、資料をもとに調べてみることに。
 


「瓢箪山」は霊山として恐れられていた!?



まず、「お穴さま」が発見された歴史背景を。
古代におこった武蔵の国の最南端にある駒岡地域の歴史は古く、穴居生活の跡が多く見られた地域で、昭和の初期までは農村地帯だった。

1889(明治22)年に市制が施行され横浜市が誕生、1901(明治34)年に神奈川・西平沼・本牧などが横浜市に編入し市域が4倍に拡張。1909(明治42)年には横浜開港50年祭が行われ、明治40年ごろの横浜は少しずつ都市として発展して行く途上にあった。また、1904(明治37)年に日露戦争が始まり、戦争景気が始まったころでもある。
 


駒岡について詳しく書かれている「わが郷土駒岡」(発行:駒岡小学校)


そんな駒岡にあった「瓢箪山」は、「高貴な人が埋葬されている」と伝えられていたことにより霊山として恐れられていて、普段は山に足を踏み入れる人が少ない、静かな山だったようだ。

明治の終わりごろになると、駒岡のある鶴見区はまだ横浜市に編入されてはいなかったが、横浜市域の一部埋め立てのために鶴見の山を切り崩して鶴見川を利用して土を運ぶということが行われるようになった。
そんななか、かつては霊山(れいざん)として恐れられていたという「瓢箪山」も、1907(明治40)年4月4日に切り崩されることに。

そして、その時に「お穴さま」が発見された。

さらに、詳しい情報を調べようと図書館の資料を探すと、川崎市砂子(いさご)で「旭屋本店」というお店を経営されていた稲葉さんが書いた本「瓢箪山 おあなさま」を発見。
 


表紙のイラストが楽しそうである


1969(昭和44)年に出版されたものなので、著者の稲葉さんか関係者の方に「お穴さま」について詳しくお話しを聞けるのではないかと、所在を調べてみた。

すると、現在、川崎市砂子に「旭屋」さんというお店は存在したが、稲葉さんとは関係なく、稲葉さんの所在はわからなかった。
そこで、本の中で「お穴さま」の供養が行われたと書かれてた「正行寺(しょうぎょうじ)」を訪ることに。

正行寺は1576(天正4)年に建てられた浄土宗のお寺で、正式名称は宝元山無量院(ほうげんざんむりょういん)正行寺と言い、神奈川区にある浦島太郎伝説で知られている慶運寺の末寺(まつじ/本山の支配下にある寺院)である。
 


正行寺の様子


対応してくださったのは、「お穴さま発見61周年記念の法要」を行った白石広祐(しらいしこうゆう)住職のご子息の白石謙祐(しらいしけんゆう)さん。
謙祐さんは、現在は住職を引退されて、ご子息が住職を務めておられるとのこと。
 


快くお話をして下さった白石謙祐さん


白石さんによると、本を書かれた稲葉さんはすでに他界されていて、ご子息ももう居られないとのことだった。
そして「お穴さま」があった近辺も、記念碑が建っているのみで当時と様子が様変わりしているそう。「お穴さま」発見からもう100年以上経ち、61周年記念供養からも45年経っているので、詳しい方もご近所にはいないのではないか、とのこと。

謙祐さんは、61周年供養には関わらなかったそうだが、「お穴さま詣で」が行われていたころの様子などを伝え聞いている、とのことなので「瓢箪山 おあなさま」の本を参考にしながらお話しを伺った。