横浜生まれの俳優、阿部寛さんを徹底解剖!
ココがキニナル!
横浜生まれの俳優、阿部寛さんってどんな人?
ライター:桐生 由美子
1987(昭和62)年公開の映画『はいからさんが通る』の「伊集院 忍」役で俳優デビューをした阿部寛さん。端正な顔立ちで身長189cmという容姿と、その立ち居振る舞いに、「あの俳優は誰?」と当時の女子たちの目がくぎ付けになったことを覚えている。
その後はコミカルな役柄も増え、主演を務めた映画『テルマエ・ロマエ(2012<平成24>年4月公開)』は歴史的大ヒット! 同作品にて「第36回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞」や「第34回ヨコハマ映画祭 主演男優賞」を受賞した。
現在は「濃いメン」俳優として、子どもたちからシニアまで多くの世代に注目されるベテラン俳優だ。
そんな阿部さんは横浜出身。なんとか取材ができないものか・・・。
長期にわたり事務所に交渉を続けた編集部から、とうとう連絡が入った!
「阿部さんの取材、行きますよ!」
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阿部さんが語る横浜の“ローカル懐かし話”
映画やドラマの撮影でお忙しい阿部さん。取材は、都内某スタジオで数十分間限定。
それでもはまれぽらしく、ときに強引に、ときに思いきり掘り下げ、横浜についての質問を投げかけた。
何気ない表情にも貫禄がある
―阿部さんは神奈川区ご出身とのことですが、通っていた学校はどこですか?
三ツ沢小学校、松本中学校、白山高校です。
―デビューのきっかけは何ですか?
中央大学在籍中に応募した、「第3回ノンノボーイフレンド大賞」で優勝したのがきっかけです。それから雑誌、「メンズノンノ」のモデルなどをやっていました。俳優デビューは1987(昭和62)年。「はいからさんが通る」という映画です。大学4年のときです。
メンズノンノで初めて表紙をかざったころの阿部さん(C)集英社
―横浜で学生時代を過ごした阿部さん。思い出のエピソードなどはありますか?
僕が学生のころは、まだ「みなとみらい」がなかった時代です。山下公園や、港が見える丘公園はあったけど、赤レンガ倉庫は“普通の倉庫”でしたね。確か、ふ頭に単線があって・・・。モデル時代に、撮影で1度行ったことがあったかな。
だから当時、今のみなとみらいのあたりに行く目的は、釣りか海を見に行くくらいだったと思うよ。何もなかったころを知っているから、今が違う街に見えるよね。当時と比べたらまったく変わっていて 。
「あのころはランドマークタワーもなかったな」と当時を懐かしむ阿部さん
―ところで、三ツ沢付近に住んでいらしたというのは本当ですか?
そう、三ツ沢の住宅地。そんな地元の話でいいの(身を乗り出す)? 三ツ沢にある大きな団地に友だちが住んでいてよく遊びに行ったよ。
あの団地は山の上の豊かな土地にあって、今考えるとすごく贅沢なところだよね。犬の散歩に行ったり、運動もしたりしに行ったな~。
地元の話になると表情がゆるむ
―どんなふうに運動していたのですか?
団地の真ん中に池のある公園があって、その横に管理事務所があるでしょう。そこをスタートにして団地の周りを走っていたんだよ。確か・・・1周512メートルくらいだったかな。計ったことがあってね(笑)。それを3周走ると1500メートル。走るのにちょうどいい距離なんだ。いやぁ、懐かしいな!
あと・・・、団地の横の坂を下ったところに高島屋の女子寮があって、その女子寮の建つ前は僕が5歳くらいの時だけど、沼があったんだよ。親に「ここには入っちゃダメだよ!」って言われていたのに、ザリガニを獲りに行ったな。
キニナル「沼」のその後。調べておきます!
―ザリガニ獲りはよくやったんですか?
三ツ沢公園の「ひょうたん池」だっけ・・・? そこや、今は岸根公園の端の方にある篠原池なんかにもよく行ったよ。当時はザリガニや雷魚がいて。よく獲れたんだよ、篠原池。流行っていたんだよね、ザリガニ獲り(笑)
あと片倉町の方にクワガタを獲りに行った。そうそう、クワガタを獲った木を探しに行ったことがあるんだよ。あのあたりは当時の風景が今も残っていたね。木があった場所は思い出せなかったんだけど(笑)。
―三ツ沢公園や岸根公園でも運動したんですか?
岸根公園の倉庫でテニスの壁打ちもよくやった。そうそう、そのときに撮った写真をノンノボーイフレンド大賞に送って優勝したんだよ(笑)。それがモデルになったきっかけ。
―あらためて横浜のよさをひと言でいうと何ですか?
横浜は・・・「横浜」なんだよね。ひと言でいうのは難しいな・・・。
海が近くて土地の起伏があって自然がいっぱい残っている魅力的な街、かな。そして住んでいる人たちは、みんな横浜に誇りを持って生きているっていう感じがする。それが横浜の魅力かな。
横浜の魅力を真剣に考える阿部さん