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桜木町の高架下に絵を描いたのはどんな人?

ココがキニナル!

桜木町から横浜へ向うガードのある歩道や山下公園の高架下にキースへリングに似たような絵が描かれていました。確かロコとネームが描かれていたと思うのですが、どんな方なのでしょうか。(こたきちさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1970年代後半から桜木町高架下などに独特の絵を描き続けた、アーティストのロコ・サトシさん。パワフルで、優しくて、温かく、楽しい方でした! 

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ライター:吉澤 由美子

1980年代、不思議なフォルムのチョーク絵が桜木町高架下の1.6Kmにわたって描かれていた。
こんなに長い距離のグラフィティが、たったひとりのアーティストによって描かれたのは世界でも類を見ない。
 


荒涼とした高架下にユーモラスでシンプルな絵が登場してイメージが一変した


その絵を描いたロコ・サトシさんは現在、ライブペイントやワークショップ、絵本製作、子どもたちとコラボレーションした壁画制作など、多岐にわたる活動を展開中。

被災地の子供たちに、移動用の遊具を積んで届ける車『プレーカー』のペイントを仕上げたばかりのロコさんに岩崎ミュージアムでお話をうかがうことができた。
 


ペイントが終わったばかりの『プレーカー』とロコ・サトシさん




桜木町高架下のグラフィティをはじめられたきっかけは?

紅葉坂にある青少年センターがあの頃、アーティストに自由に制作をさせてくれたので、毎日通っていました。それで、帰るときあそこをを通るわけ。寂しい場所でね。ふと持っていたチョークで絵を描いたのがきっかけ。それから毎日、少しずつ描き足していって、とうとう紅葉坂から高島町まで全部の壁に描いちゃった(笑)。
 


物語を感じさせる広がりもロコさんの絵の魅力
 


壁に映った影の輪郭を描いたもの。ロコさんの思い出に残る作品だそう



―1.6Kmはすごいですね!これが世界のアートシーンに注目されて、次々に活動の場を広げられたんですね。

厳密に言えば犯罪行為だから捕まるのかなと思ったら、横浜博覧会のパビリオンにペイントを依頼されて驚きました。
 


横浜の市営バスにペイント。街を走る姿にわくわくしたそう



―ロコさんが節度を守られたことでパブリックアートとして市民権を得たんですね。
 桜木町高架下はその後何人ものアーティストが参加するようになったと


ひとりで描き続けて10年たった頃、横浜博覧会の時期に他のアーティストも参加しだしました。あの場所がアーティストと市民がコミュニケーションしながら制作できるパブリックアートのスペースに育ってきたんですね。

あの頃はお互いが表現しているモノに対して、敬意を払っていました。どんなに稚拙な絵でも気持ちがこもっていれば、それを塗りつぶして上から描く者はいなかった。みんな誇りを持って描いていましたね。


―1992年には米西海岸のアーティストも参加して壁画を描かれましたね。

横浜市や警察も実行委員会に参加したので、市民が育てたアートの場が公的に認められた瞬間でした。
 


楽しく穏やか。でもキラキラした目に迫力とパワーがある


―エポックメイキングな出来事ですね。でもその後スプレーによる乱暴な絵が増えてきた

どんな絵が描かれていようがお構いなしに塗りつぶすようになってきました。ただ、そういう行動をするヤツが出てきたのは社会にも問題があるということ。あの時、「恥を知れ」って言った人がいたけど、そうじゃない。誇りを持つことを教えなくちゃいけないよね。人間は誇りがあってこそ、恥を知るんだと思います。