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謎すぎる名前のお稲荷さん、武蔵中原にある「ピンスケ稲荷」と「権九郎稲荷」の正体は?

ココがキニナル!

武蔵中原駅の近くに2つのお稲荷さんが並んでいます。名前が「正一位ピンスケ大戸稲荷大明神」と「正一位権九郎稲荷」といいます。「ピンスケ」と「権九郎」って何のことでしょうか?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

辺り一帯にいた狐の名前。ピンスケは権九郎(ごんくろう)狐の子どもで、ほかに「おひな」というピンスケの母狐がいた。

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ライター:細野 誠治

道を挟んで並び建つ、2つの稲荷神社

街や町、通りを歩いていると、そこかしこにありますよね、稲荷神社。辻や邸宅の庭に祀られているのを、よく見かけます。
そんな稲荷神社。いただいたキニナルによると並び立って祀られているとか。
ふと記憶を辿ってみるが、違う社が二社並んでいるなんて見たことない。

興味をそそられ川崎へ。
 


JR南武線「武蔵中原」駅で下車


まずはランドマークの大戸(おおと)小学校を目指す。
 


駅南口をゆく。商店街を抜けると小学校があった
 

川崎市立大戸小学校だ


小学校に着いてすぐ、校門脇にキニナルの稲荷社を発見。
 


あった! 確かに神社。鳥居は石造りだ


鳥居を潜って写真を撮る前に参詣を(お稲荷さまに取材交渉ということだ)。
その後、再び鳥居に戻って写真をパチリ。
 


「正一位 ピンスケ 大戸稲荷大明神」とある


石碑にある「正一位(しょういちい)」とは明治以前に、神社に与えられた最高位の神位のことを指す(また、特に稲荷神社<日本における神の1つ、狐がシンボルとなっているお稲荷さまを祀る神社>のことを指すとも)。由緒正しく、位が高いのだと分かる。
 


鳥居を潜って左に社がある


敷地は4畳くらい。常夜灯と権現(ごんげん)像が2基ずつ、奥に赤い屋根の社。
 


金網のなかに権現像
 

稲穂と鎌が交差した紋様。農耕との結び付きが想像できる


ひと通りカメラに収める。これがピンスケ稲荷。

さて、次は「権九郎(ごんくろう)稲荷」だ。
 


道を挟んですぐに「権九郎稲荷」が


ピンスケ稲荷同様、お参りをしてから撮影に臨む。
 


こちら正面
 

石柱には「三魂 正一位 権九郎稲荷」とある
 

稲荷像は4基。写真は手前から撮影
 

奥に鎮座する稲荷像。


こちらの「権九郎稲荷」も正一位。
そしてやっぱり疑問が沸く。どうしてこんな近さにあるのか。



手がかりを探す

目の前は小学校、そして商店街の一角でもある。まずはお隣に位置するお店に話を伺ってみよう。
 


やきとり 釜めしの店「居酒屋 武(たけし)くん」


時刻はちょうどランチタイムが一段落したところ。片付けと夜の仕込みの最中だった(お写真はNG)。

こちらの「武くん」の女将さん、よく稲荷神社のお掃除をされているそう。
 


権九郎稲荷の敷地に掃除道具がありました


来歴などは分からないものの、地域のみんなでキレイにし愛されている存在だとか。そしてキニナル所有者なのだが、よく分からないとか。
手がかりとしては管理をしているのは「田邊さん」という方らしいとのこと。

聞き込みの範囲を広げてみよう。小学校を中心に辺りを巡ると近くに神社があった。ここに聞いてみよう。
 


大戸神社という。すごく立派な神社
 

こちらの神社の狛犬さんが変わっていた。
 

大砲の弾を持っている


こちらの敷地にも稲荷社があった
 


凛々しい


神社には人がいなかった。同じ敷地にある大戸會館(おおとかいかん)に顔を出すとご年配の女性の方がいらした。ピンスケ稲荷について聞くと、管理をしている「田邊さん」の住所と連絡先が分かった。

さらにいろいろなことをお話していただいた。いわく・・・
「この辺りは狐にまつわる話がたくさんある」や、「昔、辺り一帯は田圃(農地)が多く、農業の神様の稲荷を祀っている家がたくさんある」などなど。
 


社には狐が掘り込まれていた


手がかりをもらって一歩前進。最後に、キニナった「大砲の弾を持った狛犬」について聞いてみると・・・
「変わってるでしょ? 大砲の弾を抱えた狛犬なんて。横浜には2ヶ所(南区日枝<ひえ>神社と中区吾妻神社)しかないみたい」
 どうして弾を?
「この辺りで日露戦争に出征した若い人たちと、そのご家族が“無事に生きて帰って来られました”ってお礼に寄進したんですって」

そうだったのか・・・。