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開港前の横浜、旧海岸線を探し歩く旅! 鶴見区~神奈川区編

ココがキニナル!

横浜港が埋め立てられる以前の、旧海岸線を探す旅をお願いします。金沢、磯子、中、西、神奈川、鶴見の各区の何か海岸線の名残の様な物を見つけて欲しいです。(タッカーさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

鶴見区、神奈川区の旧海岸線を踏破。塩田跡地や過去の鶴見川のかたちを発見し、海沿いの古刹や神奈川砲台跡地を巡った。

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ライター:細野 誠治

こちらヨコハマ海岸探偵局。試みの海岸線を行く

旧海岸線を探す旅  。見た瞬間に心惹かれてしまうキニナルでした。

横浜は港とともに発展をし、その海とともに歩んできた街。
そんな港や海や、陸地(くがち)と海の境界である海岸線は、ハマっ子にとって何より大切なものだと思っています(海を強く意識するのは、海岸線に身を置いたときだ)。
 


今の姿は知っている。けれど昔はどのような形だったのだろう?


知りたいですよね? 筆者もそう思いました。・・・というわけで昔の海岸線の姿を探るべく、調査を開始。

まずは道標となる地図を手に入れなければならない。
港にまつわる資料といえば横浜開港資料館。学芸員の方に調査の手助けを依頼する。
 


みなとみらい線「日本大通」駅すぐの横浜開港資料館


投稿者であるタッカーさんのキニナルを携え、協力を打診。
(「横浜港が埋め立てられる以前」という文言に鑑み、時代を開港以前に設定した)

すると学芸員の方から「非常に難しい」との答えが。
何故か? それは開港以前の横浜エリアの、正確な(測量をされた)地図が存在しないため。
 


明治以前の地図レベルはこんな感じ


横浜開港は今から156年前の1859(安政6)年7月1日(旧暦=6月2日)のこと。このころの地図はいわゆる「古地図」と呼ばれているもので、現在のものとは違い正確性が著しく欠けているという。
 


地図として(辛うじて)機能はするものの、距離などにおいては不完全


開港前の正確な海岸線をつかむことは、ほぼ不可能なのだそうだ。

いきなり道が閉ざされてしまった。でも筆者は食い下がりたい。

最も古く、比較的に正確な測量が行われた年の海岸線を追うことで、昔の横浜の海岸線の姿を見つけて歩いてみたい(それをはまれぽで紹介したい)。

開港時に近く、正確な測量が行われ、かつ現在の海岸線との比較ができるものはあるのだろうか?
すると学芸員の方に、あるWEBサイトを教えていただく。
 


それが「歴史的農業環境閲覧システム」(URLは記事末尾に明記)


これは国立研究開発法人の農業環境技術研究所が作成したもので、過去の地図と現在の地図の比較ができるというもの。
 


新旧の重ね合わせや比較ができる。非常に優秀なシステム


このサイトのシステムで公開されている地図について、少し話そう。
使用されている測量地図の名は、迅速測図(簡便な測量法で作成された地図のこと)。

作成年は1880(明治13)年から1886(明治19)年の間で、数十枚の地図を繋ぎ合わせて作られており、最大誤差は約100メートルと言われている。

横浜港開港から21~27年後の地図。最も正確性の高いものは唯一これしかない。
地図は完璧ではないし、筆者は研究者でもない。その上、キニナル投稿の内容とも合致しない。

でも知りたいので、やってみます。
 


約130年前の横浜の海岸線を探します


まずは歴史的農業環境閲覧システムの比較地図を徹底的に検証。
 


実際に持ち歩くことを考え、現行の地図上に過去の海岸線をトレース


実地での検証を行うため地図帳を2冊と、iPhone(ネット、GPS端末として)を携行することに。
 


昭文社発行の2冊にiPhone。ほかにメモと手帳を


130年前の海岸線を探って、調べて歩いて試みます。行ってきます。



鶴見区・前編 街道の塩田と消えた中洲



地図を検証すること数日。すべての道程を確認し終える。

旧海岸線は、旧東海道と重なっているため、実地においてスタートは南進と決める。
 


9月第1週。スタート地点の最寄駅であるJR鶴見線「武蔵白石」駅へ
 

駅から徒歩10分ほど。川崎区と鶴見区の境界へ。住所は寛政町(かんせいちょう)
 

写真左のポインタ部分からスタート!


位置を分かりやすく説明すると、首都高・横羽線とJR鶴見線の中間にあたる。

スタート直後だが、ここで注釈を。
迅速測図を見ると、横浜の旧海岸線は非常に遠浅(浅瀬)の海岸であることが分かる。
 


広大な砂浜であることが分かる(なかには500メートルほどの場所も!)。



厳密に言えば海岸線(てい線)とは、満潮面と陸地との境界を指す。本来ならかつての砂地部分を歩くわけだが、工業地帯やその運河などに阻まれ進むことが難しい。
今回の調査では、砂地と生活用地の境界を歩くこととする。
 


スタート直後。写真に見えるフェンスから左側が海との境界


もう一点。約130年前の区画と、現在の区画は必ずしも一致を見ない。
震災や空襲を経て、都市整備が行われている。よって境界線上に建物がある場合も。できる限り迅速測図に則った踏破をするが、止むを得ず回り道をしたこともあった。
この点を、どうかご容赦を・・・。
 


誤差も考えられます。ざっくりした旧海岸線散歩として読んでいただければ