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緑区霧が丘の「7色に変化する池」の伝説とは?

ココがキニナル!

かつて緑区の霧が丘4丁目に霧ヶ池という大きな池があったそう。この池は一日のうちに七色に変化するという、不思議な言い伝えがあったとか。どのような池だったのでしょう?そして伝説の真相は?(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

「霧が池」は木が生い茂る森の中にあった深い池で周囲には季節の花が咲いている。そのため、差し込む陽射しの加減で水面の色が変化したと推測される

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ライター:橘 アリー

今も弁天様が祀られている!?



その昔、緑区霧が丘4丁目にあったという「霧が池」。
現在、霧が丘4丁目には「霧が丘公園」があり、JR十日市場駅から横浜市営バスで「霧が丘センター前」まで行き、バス停から徒歩1分ほどの場所にある。
この公園の一画に弁天様が祀られている。

 

霧が丘4丁目近辺の地図。赤丸が4丁目の「霧が丘公園」
 

弁天様は黄丸印の所に祀られていて、管理しているのは緑区十日市場町にある「寶袋寺(ほうたいじ)」。この寺は慶長年間(1596年~1615年)に創建された曹洞宗のお寺である。

なお、この弁天様は「大弁財功徳天社(だいべんざいくどくてんしゃ)」と言い、普段は門が閉じているが、正月の三が日と毎月1日、15日に開門されている。

 

写真中央のフェンスで囲まれているのが「大弁財功徳天社」(公園内から見た様子)
 

開門の日は、公園前の道路から入って自由にお参りができる
 

「大弁財功徳天社」前には「霧が丘開発記念碑」が建てられている
 

記念碑には、この場所は開発の中心となった場所で、開発前はうっそうとした樹木に覆われていたとのこと。その中に、湧き水が涸れることがないなどの数多くの伝説を有する「霧が池」と呼ばれる池があった。その池の名前からこの地域が「霧が丘」と呼ばれるようにもなった、などの内容が記されている。

 

祠(ほこら)の左前には「霧ヶ池弁天社」と刻まれた石碑がある
 

開門の日は、午前8時ごろに「寶袋寺」の職員の方が来て祠のお世話をしている。

 

「寶袋寺」職員の太田さん
 

祠の中には、千羽鶴やお供え物などが置かれている
 

太田さんによると、現在でも、地域の守り神として、地域の方々などが参拝に訪れているそうである。

 

許可をいただいて、祠の中を撮影させて頂いた
 

奥には石の祠があり
 

中には、木のお札が納められている
 

「霧が池」はこの地域の宅地開発に伴い、1972(昭和47)年に清めの儀式が行われ埋め立てられたそう。
ちょうど参拝に訪れた方に、「霧が池」についてお話を伺った。

 

いつも散歩途中に参拝されているという松林さん
 

松林さんは、「霧が池」が埋め立てられた後にこの地に越して来られたとのこと。
池があった当時の様子について、古くからこの地域に住んでおられる方から、底なし沼のような池で、長い竹を3本つないで池の中へ入れてみたが底まで届かなかったと聞いているという。
そして池があったのは、この公園の広場になっている場所だった、とのこと。

 

灰色の砂地の辺りに「霧が池」があったようだ
 

続いて、「霧が池」にまつわる伝説や言い伝えの内容について、調べてみた。