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県内に複数ある「熊の堂」という地名の由来と共通点は?

県内に複数ある「熊の堂」という地名の由来と共通点は?

ココがキニナル!

横浜市営バス36系統の「熊の堂」というバス停の名前が気になります/江ノ電バスにも「熊の堂」というバス停を発見。いかにも怪しいバス停に共通点はあるの?(タラちゃんぷるーさん、茱萸澤村民さん)

はまれぽ調査結果!

神奈川県内で見つかった3ヶ所の「熊の堂」の地名は、「熊野信仰」に由来していると思われる。また、それぞれの地形にも共通点が見つかった

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ライター:小方 サダオ

「熊の堂」なる地名がある。
「熊の」、「くまの」、「熊野」と連想していくと、和歌山県の熊野三山に対する信仰、熊野信仰にたどり着く。熊野信仰と関係のある「お堂」あるのだろうか。
また熊野信仰ではなく、その地域に動物の 「クマを祀るお堂」を建てるような、特別なクマ信仰でもあるのだろうか?
 


熊野三山へと続く「熊野古道」は観光地としても有名(フリー画像より)

 
 
 

お寺に祀られた熊野神社から生まれた神奈川区の「熊の堂」


 
早速現地に向かった。
 


神奈川区にある「熊の堂」(青矢印、Googlemapより)

 
まずは神奈川区にある「熊の堂」の由来を追ってみることにした。
磯子区と鶴見区を結ぶ環状2号線を、新横浜駅と第三京浜道路の羽沢インターチェンジの中間地点あたりの道を西に曲がると、「熊の堂」というバス停が現れる。
 


環状2号線を菅田入口で曲がる
 

北西方面に向かう
 

横浜市営バス36系統「熊の堂」のバス停

 
バス停の近くで住民に地名の由来について伺うと「最勝寺に行けば分かる」とのこと。
そこで徒歩数分のところに鎮座する、最勝寺(さいしょうじ)に話を伺うと、「このあたりは『熊の堂』という地名があり、この寺の境内に祀られていた熊野神社に由来します」とのこと。
 


熊野山最勝寺といわれる

 
境内の隣には、熊野神社(熊野信仰の神社)・浅間神社(富士山信仰の神社)・須賀神社(東京都新宿区四谷の総鎮守の神社)が祀られた社があった。
 


階段の上に立つ社
 

熊野神社・浅間神社・須賀神社の三社が祀られている
 

熊野神社の祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)だ

 
ところで最勝寺では比較的大きな富士塚があることで知られている。
 
熊の堂にあったことから「熊の堂富士」と呼ばれている。以前、横浜市には富士講(※富士山に登り祈願することを目的とした講社)があり、市内の7つの富士塚を参拝する「七富士参り」が盛んで、ここもルートに含まれていたのだ。
 


富士塚の山
 

富士塚の山道
 

講員は「熊の堂」を「くまんど」と呼んだという
 

二合目を意味する石碑が立つ
 

登山道にはさまざまな石碑や石像が並んでいる
 

山頂に鎮座する大日如来像

 
また『神奈川県の地名』には、現在のこの場所についての記述がある。「1529(享禄2)年12月13日、『笠原信為判物』によれば 信為は小机村の雲松院に対し、北条早雲の茶湯料として熊野堂五貫分の地を寄進している。『風土記稿』によれば下菅田村内の熊野堂の地を指すといい、元は小机村の内で小机落城後、となり郡菅田の村民により開かれた」とのこと。
笠原信為(かさはら・のぶため)とは、戦国時代の武将で小机城の城代でもある。「熊の堂」は戦国時代からある古い字名のようだ。
 
富士講の熊野信仰も山岳信仰の修験道。熊野神社のあった場所に立派な富士塚を作ったこととは地理的条件などから関連性があるのかもしれない。熊野神社が今も氏子によって守らtれていることが印象的であった。
 
 
続いては戸塚区の「熊の堂」を調査・・・キニナル続きは次のページ≫