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閉店する「相鉄ローゼン大口店」は昔映画館だった! 大口にあった3つの劇場って?

閉店する「相鉄ローゼン大口店」は昔映画館だった! 大口にあった3つの劇場って?

ココがキニナル!

50周年を迎えるはずだった相鉄ローゼン大口店が9月一杯で閉店。ここは昔映画館だったと聞いた覚えがあります/大口通商店街には映画館が2つあった?(シロキュウさん/はるひこさん/エル2さん)

はまれぽ調査結果!

子安曙劇場の跡地に相鉄ローゼン大口店が開業。大口商店街には大口映画劇場、大口第一劇場があり、戦後に3つの劇場が同地域に存在していた

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ライター:はまれぽ編集部

2018年9月30日をもって閉店する相鉄ローゼン大口店。
 


1969(昭和44)年に開業

 
「あけぼの通り」に面し、約50年もの間、地域の人々の生活を支えてきたスーパーマーケットだ。5階建てのスーパーは現在3階までしか稼動しておらず、4階~5階は数年前から閉鎖されている。
 


店内には閉店の案内
 


残念ながら内観の撮影はNG

 
昭和の香りを残した店舗は、1階に食料品、2階に日用品、3階に100円ショップ「キャンドゥ」を展開。買い物をしていた地元の方によれば、閉鎖されている4階には食堂、5階には遊技場があったという。

投稿に寄せられたのは、同店が開業する前にあった映画館について。今回は相鉄ローゼン大口店開業前にあった映画館、そして大口通商店街にあった2軒の映画館について調査した。
 
 
 

戦後、映画は最大の娯楽だった


 
まず、あけぼの通りの商店で聞き込みを開始。
 


年季の入った商店が並ぶあけぼの通り

 
長年営業しているお店に話をうかがったが、映画館があったという事実は知っていても、詳しく知っている世代の人はみな引退していた。収穫は、その映画館が「曙劇場」と呼ばれていたことと、ローゼンの駐車場部分にレコード店や中華料理店、洋服店など4つのお店が並んでいたこと。

曙劇場についての情報がほとんどないまま、大口通商店街へ場所を移す。
 
 
「フトンハウス」に吸い込まれて・・・
 
あけぼの通りと大口通商店街を結ぶT字路で「フトンハウス」という魅力的なワードを目にする。吸い込まれるように店内へ入っていった筆者は、そこで運命的な出会いを果たした。
 


「曙劇場ね、よく知ってるよ」

 
そう話すのは、大口通商店会の元理事長の鈴鹿市郎(すずか・いちろう)さん。鈴鹿さんはこの辺りのことに大変詳しい方で、曙劇場があった当時のことについて話してくれた。

「曙劇場は終戦後にできた映画館で、もともとは原っぱだった。当時、市会議員だった加瀬さんという方が材木屋さんでね、木造2階建ての曙劇場を作ったんだ。1階にスクリーンがあって2階は映写室。『この町が明るく開けるように』という想いを込めて『曙』と名付けたって聞いたことがあるよ」。

横浜市中央図書館で一番古い住宅地図には「子安曙映画劇場」が確かに存在していた。どうやら曙劇場とは愛称で、正式名称は子安曙映画劇場(以下、曙劇場)のようだ。
 


1957(昭和32)年の神奈川区明細地図

 
「終戦直後はね、娯楽中心の明るい映画が多かったなぁ。曙劇場では、『喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)』や『大魔神』『君の名は(1953年公開)』を観たよ」と嬉しそうに話す鈴鹿さんの表情は、少年時代に戻ったよう。

当時は一般家庭にテレビやラジオがなかった時代で、映画は最大の娯楽だったのだとか。
曙劇場は3本立てで、松竹、大映、新東宝系を放映。あけぼの通りも大口通商店街も、映画が終わる午後11時ごろまでにぎわっていたそうだ。

また、映画館の周辺にはお菓子屋さんや果物屋さんなどが多数あったという。
 


あけぼの通りの「米屋菓子店」もそのひとつ

 
「まだあまり物資が多くない時代だったからね。ラムネ飲料を飲んで、ガムやおせんべいを食べながら映画を観ては、大人たちに『うるさい!』って怒られたよ」と振り返る鈴鹿さん。

現在のあけぼの通りは、曙劇場を中心にできた戦後のヤミ市がもとになっているとも言われている。

1957年の住宅地図を見る限りでは、曙劇場の隣が「第二曙劇場建設用地」となっており、その繁盛ぶりがうかがえる。しかしその5年後、1962(昭和37)年の住宅地図では、
 


「曙通商店会専用駐車場」へと変わっていた

 
当時の様子を知っている方によると、「とにかく品揃えが豊富で安いって評判で、あけぼの通りは人も歩けないほどにぎわっていましたよ。小机や中山方面からも買い物をしに人がたくさん来ていたわ」とのこと。

曙劇場が姿を消したのは、1968(昭和43)年から1969(昭和44)年の間。1968年の住宅地図には曙劇場の名が残っているが、1970(昭和45)年には「相鉄ストアー大口店(現・相鉄ローゼン)」へと変わっている。

鈴鹿さんは相鉄ローゼン大口店が閉店することについて、「なくなると不便になるね。50年前は大きなスーパーができることに、この辺りの商店の人たちは反対していたけれど、今となっては街の核となっている。跡地には地域の人が気軽に立ち寄れるスーパーなどができてほしいと思っているよ」と話してくれた。

今回、あけぼの通り商店会や大口通商店街、市史資料室などで曙劇場の写真を探したが、残念ながらその姿が分かる資料は手に入らなかった。