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横浜の古道を歩く 金沢道その3 ―金沢区前編―

横浜の古道を歩く 金沢道その3 ―金沢区前編―

ココがキニナル!

市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

一筋の道を一歩一歩踏み進む古道シリーズ第2弾・金沢道も、いよいよ江戸の物見遊山街道の根元地へ突入。宅地開発で街道が消滅した住宅地から近世の道をそのまま残す林道まで、メリハリの大きな古道の旅だ。

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ライター:結城靖博


東海道保土ケ谷宿の金沢横丁から金沢八景に至る、江戸時代の名所観光ルート・金沢道(かねさわみち)。その全行程は、以下の通り。


© OpenStreetMap contributors)


第3回は、能見台(のうけんだい)の大規模新興住宅地に足を踏み入れ、さらに能見堂緑地のハイキングコースへと至る。



道中はいきなり街道消滅エリアから始まる


スタートは前回の終点、京急富岡住宅西口バス停そばの交差点。


写真を横切る道路が金沢道。道は右へ進む



行く手はこの先の奥だ


ただしここから先は、能見台の大規模な宅地開発の結果、現在ではかつての街道筋の正確なルートが消滅してしまっている。
とはいえ、ざっくりとした道筋は複数の事前資料によって推定できるので、基本的には「金沢文庫方面へ向かうのだ」という心のコンパスを抱きつつ進んでいくことにする。


まずは住宅街のなだらかな上り坂を南へ進む



左手には遠方まで閑静な戸建て住宅の家並みが続く



数分歩くと、やがて道は二又に分かれ


左は下り坂で住宅街がさらに続き、右は上り坂だ。


そのあいだには富岡ひかりが丘公園がある



ここで筆者は、古道地図を頼りに右手の上り坂を進む



公園を左に見ながらなだらかな坂道を進むと



まもなく右側に、古風な祠を発見



供花などから今なお大切に祀られていることがわかる


そばに解説板もあった。名は「岩船地蔵」。1719(享保4)年に栃木県の岩船山高勝寺(いわふねさんこうしょうじ)から勧請され建立した古いお地蔵様だ。とくに子宝・子育てにご利益があるという。

道沿いにこうした年代物の祠があるということは、今たどっている推定の道は確かに古道にちがいない。


お地蔵様に手を合わせてから、さらに先へ進むと坂は右にカーブし



上りきった左手に階段があった



階段の上からの眺めは、なかなかの絶景だ


とはいえ見えるのは民家の屋根ばかり。向かうべき方向は、この階段の下らしい。


途中で右に折れ、下りきった先にグラウンドが見える


県立横浜氷取沢(ひとりざわ)高校の校庭だ。金沢道は、この階段下の突き当たりを左へ折れる。


向かう先はこんな感じだ。右側が氷取沢高校のグラウンド



ズンズン進むと途中短い階段があったり



少し大きめな交差点を横切ったりして



まもなく右角に公園がある場所に至る。能見台北公園だ



公園の前を右折。左に見えるのはテニスコート



テニスコートが途切れた角でまたすぐに左折



その後は何度か



住宅地の中で左右屈折を繰り返し



とにかくできるだけ最短距離での南下を続ける



やがてなだらかに右折した道沿い左手に、駐車場とビルが見えてくる



京急ストア能見台店だ



そのすぐ先は、信号のある大きな交差点


京急ストアはこの交差点の手前左角に位置する。


大通り側から見たスーパーの正面入り口


この交差点を左折し、大通り沿いを進む。


が、すぐまた次の信号で右折



左手に能見台団地が広がる道をまっすぐ進む。写真右のバス停は「能見台センター」



するとまもなく、左手の団地群がふっと途切れる場所に至る


そこは、とあるトンネルの上にまたがる道である。


道の下は「能見堂トンネル」。トンネルを通るのは横浜横須賀道路だ



トンネルをまたいで進むと、道はすぐに大きく左にカーブし



左右にドーンと巨大な能見台団地が林立する光景に遭遇する


が、金沢道を歩む筆者としては、上の写真右側の矢印が示す小さな丸枠内に注目したい。


近づいてみると、そこには「能見堂緑地」と書かれた杭が建つ



杭の右手の建物の門には「横浜市水道局能見台低区配水槽」の表札がある


金沢道はここから、この「能見堂緑地」内を進むことになる。どう見てもこの先は険しい林道が待ち構えているが、正しく金沢道であるためには、この先、「能見堂跡」に至らなければならない。とすれば、この道を分け入るしかないようだ。

なぜなら、団地内の道をこのまま進んでも、本来の金沢道にはつながらず、街道の上をまたぐ「能見台隧道」に至ってしまうからだ。
実は一度まっすぐ進んで、その罠にはまってしまった。能見台隧道まで来て林道とつながらないことを知り、けっこう長い上り坂の道をとぼとぼ引き返し、「能見堂緑地」の入り口に舞い戻った筆者なのだった。

京急富岡住宅西口バス停の交差点から能見堂緑地入り口までは約1.8km弱。徒歩20分あまりの距離だ。


© OpenStreetMap contributors)




古道歩きがハイキングと化す





能見堂緑地入り口からは完全なる林道だ


それもそのはず。能見堂緑地はすなわち「六国峠(ろっこくとうげ)ハイキングコース」の一部なのだから。とりあえず、歩きやすい靴を履いてきてよかった。


能見堂緑地を抜けきるまでは、自然に抱かれた魅力的な山歩きが続く


だからこそ、その行程を事細かく伝えると、それだけで「六国峠ハイキングコース案内」という1本の記事ができてしまう。

今回はあくまで金沢道をたどる一過程にすぎないのだから、なるべく必要最小限のレポートにとどめたい・・・と思うのだが、そううまくいくかな?


階段状の坂道を下ると、道標がある


当然筆者は金沢道を歩きたいので写真の右方向、下りてきた階段側から見れば左方向へと歩を進める。

その先は上ったり下りたり、また右に曲がったり左に折れたり、変化の激しい細道が続く。その間には、また階段状の道があったり、片側が急斜面の森林だったり・・・なにしろハイキングコースなんだから。


でもこんな景色を見ると、かつての江戸時代の街道のイメージが彷彿としないだろうか



時には道端でこんなものにも出会う



岩にうがたれた小さな穴の中に、手書きの素朴な道祖神。どなたが置かれたものやら



さらにズンズン林道を進む。おお、この辺りも近世の街道っぽい!



やがて左手に視界の開けた場所が現れ



その先で一旦舗装道に突き当たる


ジグザグ道をたどっているので正確ではないが、能見堂緑地の入り口からここまでが、だいたい500メートルぐらいだ。


舗装道を左に折れると、再び林道のハイキングコースにつながる



その先は右手に見晴らしのいい景色もあり



そうこうするうち、行く手が二又に分かれる


右へ行けば能見堂跡、左の道を下ると不動池。金沢道のルートという意味では右に行けばいいのだが、不動池を見ておきたいので寄り道する。


だがその行程はなかなかワイルドで


急な階段状の坂を150メートルほど下った先に、


ポカッと不動池が姿を現した


池のほかに特別な何かがあるわけではないが、ここまで狭くて険しい林道をヨタヨタ歩いてきた身には、心癒される光景だ。


それに、池の中には鯉がいっぱい!


池のほとりで一休みしたのち、


再び急階段を通って二又の場所に戻る(今度は上りだ!)




まぼろしの観光スポット、能見堂跡へ



分岐点に戻ると、あらためて右手の道を進む



樹林のトンネルを少し行くと



道沿い左側に古びた石段があり、その上に石柱を見つける



上って確認すると「金澤八景根元地」とある



石柱の右手には上部が欠けた石碑と「能見堂跡」の標柱が建つ


そう、この上の台地こそ、かつて金沢随一の眺望を誇った「能見堂」の跡地だ。「金沢八景」の8つの景勝地は、すべてここからの眺めだった。


一川芳員筆「武州金沢能見堂八景之画図」1864年(横浜市中央図書館所蔵)


上の浮世絵は能見堂自体も描かれているので、能見堂からの眺めではないが、赤枠に文字が書かれた場所が八景の各場所を示している。位置関係から、能見堂からそれらが一望できたことが見てとれるだろう。


ただ、現在の能見堂跡は、この通りポッカリと開けた更地だ


この場所には、江戸時代初期まで荒れたお堂があるだけだった。そこに寛文年間の頃(1661~72年)、領主・久世広之(くぜ・ひろゆき)が江戸増上寺の地蔵院を移築。

さらに元禄年間(1688~1703年)に、中国の心越(しんえつ)禅師がここからの平潟湾(ひらかたわん)の眺望を、祖国の「瀟湘(しょうしょう)八景」になぞらえて漢詩に詠んだ。それが、「金沢八景」の起こりとなる。

やがて庶民の暮らしが安定する江戸時代中期以降、能見堂は観光地として大いににぎわうことになった。
下は1836(天保7)年に描かれた絵図だ(部分拡大図、赤枠は筆者による加工)。


歌川国宣稿写「武州金澤擲筆山地蔵院能見堂八景之画図」より(横浜市中央図書館所蔵)


全盛期には敷地内に茶店を構え、観光客が遠めがねで景観を楽しみ、能見堂発行の絵図や案内記が土産物として売られ繁盛したという。


しかし今では往時を伝える解説板や



ゆかりの石碑が、空地を囲むように建つのみ



更地奥の茂みの中には「擲筆院山室宗珉居士」と刻まれた墓碑も建つ


ここからの景観をこよなく愛した江戸時代中期の医師・鈴木宗珉(そうみん)の墓で、生前に自ら建てたものだという。なぜ戒名に「擲筆院」とあるかというと、この地にかつて「筆擲松(ふですてのまつ)」という巨木が茂っていたから。

平安時代の宮廷画家・巨勢金岡(こせのかなおか)がこの地の景観を描こうと訪れたが、あまりの絶景に筆が進まず絵筆を捨てたという伝説に由来する松だ。
松の巨木は明治以降も存在しており、写真絵葉書にも姿をとどめている。


能見堂跡のそばに建つ解説板に刷り込まれた古写真


だが、1919(大正8)年のある日、巨松は突然音もなく倒れたそうだ。

いっぽう、能見堂自体はそれよりもずっと以前、1869(明治2)年にお堂が焼失し、以来観光地として急速に衰退していく。


能見堂跡から望む現在の平潟湾側の景色


生えるにまかせた木々の茂みの隙間からわずかに覗くかつての瀬戸の内海は、すっかり建物で埋め尽くされてしまっている。



能見堂跡から先はさらに古道の空気が濃密に





少々長居をしてしまった能見堂跡を去って、その先へ進む。


するとすぐ先で道が二手に分かれている


通りすがりのハイカーに金沢文庫方面への道を尋ねると、右手の道を指されたので、そちらへ向かう。


右のコースはまるで獣道のような細い道がしばらく続き



その後、階段状の急な下り坂となり(なかなか古道っぽい景色だ)



やがて左からの道と合流する平坦な道に至る


合流点にはハイキングコースの案内板も建っていた。


案内板を見てみる


すると、「昆虫広場」をはさんで先ほどの分岐点から左右どちらのコースをとっても、この場所に行き着くことがわかった。
そこで筆者はもう一度二手に分かれた地点に引き返し、今度は左のコースを歩いてみることにした。


左の道の始まりはこんな感じ



その後広場があったり



階段状の下り坂があったり



取材前日の大雨でほとんど川状になったぬかるみの細道があったりして



やがて道幅が少し拡がり



確かに先ほどの案内板のところにたどり着いた

なぜこんな手間をかけて2つのコースとも歩いてみたかというと、能見堂跡の先に石仏があると書かれた事前資料があったからだ。
そこで「石仏、石仏」と目をキョロキョロさせながら歩んだのだが、結局どちらのコースにもそれらしきものは見つからなかった。


気を取り直してその先を進む。おおっ、ここもまた街道っぽいぞ!



まもなく道は事前資料に書かれていた通り、掘割状の下り坂になる



その坂を下ると、途中右手の低い崖の上に3基の石塔を発見!



一番右は穏やかなお顔の石仏で(事前資料に記されていた仏様だろうか?)



左の石塔には「馬頭観世音 天保十一子年 四月吉祥日」の文字が読める



だが一番大きな中央の石塔は傷みが激しく、ほとんど無紋の石柱と化している


少なくとも馬頭観音は1840年の建立だ。ほかの石の状態からも3基ともかなり古いものとわかる。きっと江戸時代にもここから、金沢道を通る旅人たちを見守っていたのだろう。

石塔3基に出合うと、なんだか所期の目的を達成したような気分になった。


さらに続く掘割状の下り坂を進むと



やがて道が狭まり、足元はコンクリートの階段になる



そしてまもなく眼下に、しばらく縁のなかった現代風の家並みが見えてきた



階段を下りきると、名残惜しいが六国峠の金沢道はついに終わりとなる


能見堂緑地入り口からここまでの距離は、山道がジグザグ道ゆえかなり大まかな数字ではあるが、約1.5kmほど。ズンズン歩けば約20分?
いやいや、ここはさすがにそうはいかない。

実は、能見堂跡の左右分岐点以外にも、実際は林道の中を「こっちかあっちか」と迷った道は数知れず。筆者はこの山の中で数時間ほど過ごしてしまった。

それだけ楽しいハイキングができたというわけだが、皆さんもこの行程は、ぜひ大いに迷って山歩きを堪能してほしい!

下のマップのオレンジのラインは能見堂先の分岐点の右コース。紫のラインは不動池への寄り道ルートだ。


© OpenStreetMap contributors)


そして、京急富岡住宅西口バス停付近から能見台緑地終着点までは、ざっと約3~3.5km。ハイキングコースがアバウトなので、なんとも定かには決め難い。

せっせと歩けば、1時間もかからない?――甘い、甘い。そんなことはないし、それじゃまた、つまらない。
しかし実際、江戸時代の旅人はこの物見遊山街道の難コースを、どれほどの時間で通り抜けたのだろう。途中、能見堂の茶屋で一服したりしながら。想像は膨らむばかりだ。


金沢道第3回の全行程(© OpenStreetMap contributors)




取材を終えて





街道が消滅している宅地開発区域と、今なお近世の街道を思い起こさせる六国峠の山道。対照的なエリアを歩いた本稿だった。

ほんとうは今回で「横浜の古道 金沢道編」を終結したかったのだが、それは、果たせなかった。ハイキングコース案内にならぬよう、能見台緑地内はできるだけサラッとレポートしようと思っていたが、神秘的な不動池やまぼろしの行楽地・能見堂を前にしては、そう都合よくはいかない。

結局、かなり丁寧に緑地内を紹介することになってしまったが、この未舗装の山道で近世の街道歩きの一端を疑似体験していただけたら幸いだ。

さて、いよいよ次回こそ金沢道のゴールへと至る。途中には、街道ならではの歴史を背負った寺社がたっぷり控えている。ご期待のほどを!


―終わり―


取材協力

横浜市中央図書館
住所/横浜市西区老松町1
電話/045-262-0050
開館時間/火~金9:30~20:30、その他9:30~17:00
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/tshokan/central/


参考資料

『横浜の古道』横浜市教育委員会文化財課編集・発行(1982年3月刊)
『横浜の古道(資料編)』横浜市文化財総合調査会編集、横浜市教育委員会文化財課発行(1989年3月刊)
『旧鎌倉街道下道を歩く』勝田五郎著、古道研究会発行(2002年3月刊)
『横浜歴史散歩』横浜郷土研究会編集・発行(1976年7月刊)
『金沢の古道』横浜市金沢区役所発行(1984年3月刊)
『ぶらり金沢散歩道』楠山永雄著、金沢郷土史愛好会発行(2003年10月刊)
『金沢ところどころ 改訂版』金沢区制五十周年記念事業実行委員会発行(1998年5月刊)

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  • よこはまうまれです。能見堂緑地の道はまさに「この崖っぷちの道が?」ですね。切り通しなど、昔の街道の趣がそのまま残されている感じが素敵です。そして何より当時の能見堂からの八景の絶景というものをこの目で見てみたいです。ハイキングしている気分で読ませていただきました。

  • なるほど古道でしたね〜またまた奥深く調査されましたね!

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