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36年間、横浜のドヤ街・寿町で開催されてきた「寿町フリーコンサート」とは?

ココがキニナル!

1979年から毎年夏に開催されており、かつてジョニー大倉も出演した寿町フリーコンサート。今年も8月16日に開催が決定! 是非取材をお願いします!(ryoryoさん、ぜんちゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

寿町フリーコンサートは1997年に寿町の夜間中学で喜納昌吉が歌ったことがきっかけで始まった。以来数多くのミュージシャンがノーギャラで参加

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ライター:山崎 島

各所でイベントが数多く開催されている横浜だが、35年以上継続されている企画ってそうそう聞いたことない。しかも朝からホットな寿町で。36年もの間、人間臭さが立ち上るあの街で催されている「寿町フリーコンサート」について、今回は2回にわたってお伝えしていきます。



活気がある寿町へ


 


よっ


土曜日の午前中の寿町。朝から宴が行われているようで、人の話し声で満ちている。

この日伺ったのは、横浜市が所有している「横浜市寿生活館」。ここに寿フリーコンサートを含む「寿夏祭り実行委員会」の事務局が置かれている。
 


保育園や学童保育、町内会館などが入っている
 

で!

 
「寿町フリーコンサート」について、お話してくださったのは、横浜・寿町・フリーコンサート実行委員会の金子・ぶー・祐三さん(右)と、高沢幸男さん。高沢さんは寿夏祭り実行委員会事務局長であると同時に、野宿生活者や生活困窮者の支援活動などをする、寿支援者交流会の事務局長もされている。
 
寿町に関するさまざまな活動をしながら、この街にお住まいだというお二人。寿町フリーコンサートについてのお話だけではなく、この町についても興味深いお話を伺った。



寿町フリーコンサートの歴史を紐解く



このコンサートを始めるきっかけができたのは今から約39年前。当時横浜市の職員で『寿生活館ノート―職場奪還への遠い道(1977年)』の著者の野本三吉さん(元沖縄大学学長)らが私的に開いていた寿夜間学校に、職員のツテでミュージシャンの喜納昌吉(きな・しょうきち)が遊びに来たのだそう。
 


生活館での活動がつづられた貴重な記録

  

当時、生徒の中に喜納昌吉のファンはいなかったが「せっかくなんで」と歌ってもらったところ、その場は大盛り上がり。「もっと大勢の前でコンサートをやってみましょう」ということになり、1979(昭和54)年9月1日に、職安前広場にて第1回寿町フリーコンサートを開催した。以後、「寿町夏祭り」のイベントのひとつとして行われているこのコンサートの会場はずっと職安前広場となっている。
  


職安広場前


第1回からコンサートに関わっている金子さんは「コンサートは普通、ミュージシャンがいて、そのミュージシャンを好きな人が聞きに来ることが多いのです。でも、始めたばかりのころの寿町フリーコンサートは、ミュージシャンもお客さんも、お互いのことは何も知らないところから始まりました。“どうかな”と思ったのですが、演奏が素晴らしかったからか、初対面のお客さんを惹きつけ、すごく盛り上がりました。私も感激して、これは続けていきたいと思いました」と当時を語ってくださった。
  


今も年齢性別問わずに盛り上がっている(2014<平成26>年)

 
以来、毎年開催されるようになった寿町フリーコンサート。

36年間のコンサートの歴史を、金子さんは現在まで「大きく4期に分けている」と説明してくれた。実行委員会は時代によって町と集まる観客の状況を判断し、運営方針を変えているため、期によってコンサートのポリシーや出演者へのスタンスも変化しているとのこと。
 
ではまず1期から。
  


年表ですー(クリックして拡大)

 
第1期(1979<昭和54>年~1982<昭和57>年)当時の実行委員会は、コンサートというイベントの立ち上げ方がまったく分からず、とにかく有名なミュージシャンを呼び、人を集めようと、ひたすらオファーをかけていた。

喜納昌吉をはじめ、南正人やジョニー大倉、友川かずきなど、ドスッと腹の底に訴えかけてくるようなアーティストが出演していた。
  


ロック好きにはたまらない南正人さん
 

南正人さんの本に載っている寿町フリーコンサートの様子(KEEP ON!Minami Masatoより)


「“お金は出せないけど出演してほしい”と熱意を持って交渉しました。ギャラが出せないとなると、なかなか出てくれるミュージシャンはいないかと思いましたが、ロックミュージシャンは非商業的な価値観を持っている方が多く、意外にみなさん引き受けてくれました」と金子さん。

また、有名なミュージシャンを呼びたかった理由の一つとして、当時野外でのコンサートは、きちんと警察や市の許可をとっていたとしても、近隣からの苦情が相次ぐことが多かったそう。その時「有名人がいる」という事実が苦情になりづらいという判断もあり、必ず一人は名のあるミュージシャンを呼びたかったのだとか。

ちなみに、ジョニー大倉が出演した経緯は「喜納昌吉&チャンプルーズ」のメンバーがなかなか集合できなくなったため、ジョニーさんを「新たな看板」として立てたのだということです。
   


立ち上げ当初の観客は「街の人が多かった」という


それから、1982(昭和57)年から出演している「寿限無(じゅげむ)」は、なんと金子さんら寿町フリーコンサート実行委員会のロックバンドなのだ。高校時代からクラシックに親しみ、大学でジャズ、ロックへと興味を広げていった金子さん。「まさか自分で演奏するようになるとは思いませんでした」と、ご自分でも驚かれていた。