一般人立ち入り禁止!?鎌倉にある松ヶ岡文庫とは、どんな施設?
ココがキニナル!
鎌倉にある松ヶ岡文庫って、どんな施設でどんな活動をしているの?一般の人には敷居が高いので、突撃取材をお願いします。キニナル。(にゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
世界中の宗教・思想に関する図書を集めた専門の施設。特に仏教の禅宗に特化し、設立者である仏教学者、鈴木大拙の遺稿や蔵書目録などを編集している
ライター:河野 哲弥
ダメもとで、アポイントを取ってみる
湘南に住んでいてもあまり聞いたことがない「松ヶ岡文庫」とは、どのような施設なのだろう。
公式サイトで確認してみたところ、約7万冊の専門図書を蔵する「日本有数の仏教文庫」であるらしい。
「松ヶ岡文庫」公式サイト、トップページより
仏教に接する機会は、今では葬儀のときなどに限られ、日常生活の中ではほとんどない。投稿にもあるように敷居の高さを感じたものの、とりあえず、一度連絡を取ってみることにした。
すると、「普段はお断りしているが、今回は特別」ということで、取材を受けてくださるという。そこで、鎌倉市山の内にある同館を、訪ねてみることになった。
看板も標識もない、山の頂上にひっそりたたずむ同館
公式サイトに載っている地図を頼りに、JR北鎌倉駅から、「松ヶ岡文庫」へ向かってみた。すると・・・。
住宅街の合間にある、こんなに細い道を進む
どこへ向かっているのか、目印となるようなものはない
ようやく、それらしき場所に到着
普通の民家なら、表札が出ているはず。しかしここには、「関係者以外立ち入り禁止」の文字があるだけ。逆にそれが、「松ヶ岡文庫」であることを証明しているような気がした。
渡されている鎖を上げて、敷地内に入ってみることにしよう。
まだ残雪がうかがえる、同館の庭園
山頂付近に広がっていたのは、数棟の建物からなる別荘のような敷地だった。松岡山東慶寺など、寺にも山号が付くように、仏教と山とは密接な関係があるのかもしれない。
一息ついたところで、玄関の扉を開けてみた。
設立までの経緯と、関わった人たち
お話を伺ったのは、同館主任の伴勝代さん。「松ヶ岡文庫」の実質的な事務を20年以上、ほぼひとりで務めているという。後々気付くことになるが、「松ヶ岡にこの人アリ」として、業界内ではかなり有名な方であるようだ。
そんな同館だが、1945(昭和20)年、石川県生まれの仏教学者、鈴木大拙(すずき だいせつ)によって建てられたそうだ。大拙が師事していた臨済宗の僧、釈宗演(しゃく そうえん)の遺言により、仏教に関する資料の集積を目指したのだという。
円覚寺の管長や東慶寺の住職を務めた釈宗演
禅を「ZEN」として海外に広めたことでも有名
設立にあたっては、明石照男(帝国銀行初代会長)、岩波茂雄(岩波書店の創業者)、小林一三(阪急阪神東宝グループの創業者)ほか、名だたる財界人の寄付があったそうだ。こうして翌年、同館は、財団法人に認定された。
それにしても、なぜ「仏教関連のアーカイブス」に、財界人が寄付をしたのだろう。この点について伴さんは、「そういう世相だったとしか、説明のしようがない」と話す。昭和の初期には、まだ宗教というものが重要な意味を持ち、財界人の社会貢献意識も高かったのだろう。
在りし日の鈴木大拙、1966年没
そんな鈴木大拙だが、東大を卒業した後、しばらくアメリカの出版社に務めていたそうだ。釈宗演がアメリカで講演を行うにあたり、優秀な通訳を探していたのがきっかけで、二人は知り合ったのだという。
その後、大拙は宗演に師事することになり、日本に帰国した。1918(大正7)年に、宗演の遺言を託されることになったのは、上述のとおり。そして、今まで公に出たことはなかったそうだが、将来財団法人として設立された暁には、東慶寺の土地の一部を「松ヶ岡文庫ニ移転スベキ手続ヲナスモノトス」という契約書が、1945(昭和20)年に交わされたようだ。