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多額の負債を抱えて突然倒産した製麺所「永楽製麺所」が南区で格安ラーメン店を営業してるってホント?

ココがキニナル!

昨年9月の中華街の永楽製麺所の突然の閉店はショックでした。永楽製麺の職人が、南区六ッ川で新たに開業したとのこと。遠方からはるばる訪れるお客さんも多いらしい。ぜひリポートを(永田OLさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

創業者の娘婿と孫が関係者に感謝を込め「小麦のかほり永福」として再生。防腐剤を使わずシンプルなラーメンは毎日でも食べたくなるホッとする味わい

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ライター:桐生 由美子

2013(平成25)年9月20日、横浜中華街の老舗「永楽製麺所」が多額の負債を抱えて事業を停止した。

永楽で製造された麺や点心は横浜中華街を始め、多くの料理店で来店する客を楽しませてきた。高島屋やそごう、京急百貨店などを通じて販売もしていたので、「わが家のラーメンは永楽の味」という家庭も少なくない。

そんな永楽の味が今、横浜市南区六ツ川の住宅街で食べられる? 近所に住む筆者にとっては、驚きの「キニナル投稿」だった。
 


南区六ツ川の住宅街にある「小麦のかほり永福(えいふく)」(以下:永福)

 


再生された「おばあちゃんの味」



突然の取材に笑顔で対応してくれたのは、「永福」代表の楯紳一(たてしんいち)さんと娘の玲奈(れいな)さん。
「まずはうちのラーメン食べてみてよ! 話はそれからでもいいよね!」と、さっそく厨房で待機する料理人の田中さんにGOをかけてくれた。
 


手早くスープの準備をすると・・・
 

ちょうどいい茹で加減の麺をしっかりと水切りする田中さん
 

ラーメンの横ではギョーザもいい感じに焼けてきている・・・
 

茹であがった麺をスープの中にするりと入れ・・・
 

素早くトッピングして完成!

 
作ってくれたのは、小麦粉に玉子とかん水、塩を練り込んだ「伊府麺」(いーふーめん)を使った一杯。もちろん防腐剤は不使用だ。
まずはあつあつのスープからすすってみた。シンプルなしょう油味のスープはとても優しい味。次に麺をすすると、シコシコとしたコシがあり食べやすい。同時に小麦の風味が口の中に広がるのがわかる! うん、確かに前に食べたことのある永楽の味だ。

そしてこのラーメン、なんと期間限定、「300円」で提供されていると聞いて驚き!!

「3月から350円にしようと思っていたんだけど、しばらくこのままでいこうかと思っているんですよ。永楽の麺を好きだといってくれるお客さんと、店をオープンするときに協力してくれたみなさんへの恩返しのつもりで・・・」と楯さんはいう。
 


ラーメン300円+焼きギョーザ(5個)300円=600円!
 

デザートには、とろっとした舌触りの「杏仁豆腐(300円/左)
 

横浜市の水「はまっ子どうし」を使った「浜っこどうしプリン(300円/右)」もおすすめ!

 

「350円でも安いでしょ、お父さん」と思わずツッコミ
 

メニューを開くと、麺への思いや麺の特徴が丁寧に書かれている

 


「泣いたのは1日。あとは前に進むことだけを考えた」



1947(昭和22)年に創業した「永楽製麺所」。楯さんの奥さんのお母さんが近所の料理店に頼まれ、内職程度に手打ち麺をつくり始めたことが創業のきっかけ。当時は路地裏にあった自宅の6畳間が工場だったという。

そんな「永楽」にアルバイトとして務めるようになった楯さんは、当時18歳の大学生。
「仕事は早朝3時からだったので、これなら大学へ行く前にもできるかなと思って。でも授業がない日はそのまま深夜まで働くこともありましたね・・・」と、当時を振り返る。

大学を卒業するとそのまま「永楽」へ就職した楯さんだが、「本当は卒業後、空調関係の会社へ就職が決まっていたんです。でもネクタイを締めてギューギュー詰めの電車に乗って出勤するのは、性に合わないなと思って(笑)。そんなとき、義兄に『永楽に来ないか』って誘われたんです」という。
そして楯さんは、同時に創業者の娘さんと結婚をし、会社では麺の製造や販売、営業などを担当した。
 


「永楽で仕事をするうちに、地域の知り合いもいっぱい増えたよ」と楯さん


防腐剤や着色料を使わない麺のおいしさと丁寧な仕事ぶりは当時から定評があり、会社は6畳間から近隣のビル内の15坪のスペースへ移転。その後50坪の場所に再度移転した後、1993(平成5)年には5階建て150坪の本社兼工場を建てた。
扱う商品は麺だけではなく、中華総菜や食材、お茶、雑貨など。横浜中華街の飲食店を含め、高島屋やそごう、京急百貨店など全国100軒ほどに卸していた。
 


防腐剤を使わない麺は現在も健在! 左が伊府麺、右がヒスイ麺

 
楯さんは、1999(平成11)年から2006(平成18)年までの5年間社長を務めた後に退職。その後は、横浜中華街発展会協同組合の副理事長や横浜中華街関帝廟の幹事などを務め、横浜DeNAベイスターズ友の会でも活動をしている。

競合店が増えたり不況の波がきたりして、売り上げが年々落ち込んでいったことが事業停止の理由だが、楯さんは「それだけではない。目標を立てることが必要だった」と語り始める。

その理由を聞くと、「永楽に就職した当時、トヨタの2000GTという車が好きで乗っていてね、会社の電話番号も2000番にしたほど(笑)。それに絡めて、『よし! 2000(平成12)年までに目標金額を売り上げよう』、『日本中に永楽の店舗を広げよう』という目標を立てて、それに向かって必死にがんばって達成したんです! きっかけは何であれ、人間には目標が大事なんですね。そのあと目標を立てなかったのがいけなかったのかな・・・なんて、今思えばね・・・」という。

そして会社から退いていた楯さんが、現社長から事業停止の知らせを受けたのは昨年9月19日。事業停止日の前夜だった。負債が多額に増えていたことも、そのとき初めて聞かされたという。
 


知らせを受けたときの気持ちを話そうとしては言葉を詰まらせる楯さん

 
当時の写真を借りることはできないかと聞いたが、手元には何もないという。「写真はみんな会社に置いてきちゃった。もう会社に入ることもできないからね・・・。1枚くらい持ってきておけばよかったね」。

「知らせを受けたときは涙が出ましたね。聞いたその足ですぐに会社へ向かいました」と楯さん。しかし、「泣いてばかりはいられない!」と、気持ちを切り替えて立ち上がったのは、その翌日だったという。