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建設予定地からレンガ造りの謎の遺構が出てきた横浜市の新市庁舎予定地の現状は?

ココがキニナル!

横浜市の市庁舎建設予定地から旧逓信省などの遺構と思われるものが出てきた、その後はどうなっているの?(はまれぽ編集部のキニナル)

はまれぽ調査結果!

2015年6月に発見された時点で見込んでいた通り、旧逓信省や住居の跡地である可能性がある。歴史的価値評価は今後だが、工期に影響はない

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ライター:はまれぽ編集部

遺構のその後



2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせて完成を目指す横浜市中区北仲通の新市庁舎の建設予定地からレンガ造りの建物の基礎などが見つかってから約5ヶ月。現在の状況はどうなっているのだろうか。
 


2015(平成27)年6月に見つかった遺構(提供:横浜市)
 

遺構が見つかった際、横浜市教育委員会生涯学習文化財課の重松馨(しげまつ・かおる)課長と廣瀬有紀雄(ひろせ・ゆきお)さんに話を伺ったところ、新市庁舎建設予定地は1859(安政6)年の開港時には沼地で、江戸末期から1868(明治元)年までに埋め立てられたことが分かった。

埋め立て後は、郵便や電信、船舶業務を管理していた「逓信省(ていしんしょう)」の灯台局や神奈川新聞社の前身である「横浜貿易新報」の社屋、日本人居住区があったとされている。
 


1932(昭和7)年の地形図(横浜市ホームページより)
 

遺構が見つかった後、横浜市は8月から本格的な試掘調査を実施。遺構の周辺を深いところで2~3メートル掘り起している。
 


試掘が行われている新市庁舎建設予定地(2015年10月下旬撮影)
 

試掘では、地形巣状では「横浜貿易新報」の社屋があったとされる場所から建物の基礎と思われるものが見つかった。
 


基礎部分がはっきり残っている(同)
 

試掘で発見された遺構の歴史的な価値などについて、重松課長に聞いたところ「6月に遺構が発見された当初に想定していたようなものが見つかっている」との回答だった。

つまり、一概に評価はできないが横浜の歴史の分岐に大きな影響を与えたり、ここにしかないという建築物である可能性は低いという見解だった。
 


基礎部分に加え、建物も残っていれば価値は大きく変わるという