みなとみらいは昔、どんなところだったの?(後編)
ココがキニナル!
みなとみらいって昔はどんなだったんですか?(ハ毛さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
もともとは海だったみなとみらい。さまざまな施設、建物が誕生し、“世界のヨコハマ”の象徴として、未来を目指している
ライター:松崎 辰彦
さまざまな変化を繰り返すみなとみらい
その後、ランドマークタワーとともに、多くの施設や建物が着々と完成。
1997(平成9)年7月、クイーンズスクエア横浜がオープンした。オフィス・商業施設・ホテル・コンサートホールなどを集積した複合施設。事業主体はT・R・Y90事業者組合、三菱地所(株)、日揮(株)、横浜市。敷地面積 約4万4400㎡。
夜のランドマークタワーとクイーンズスクエア横浜
1999(平成11)年9月ワールドポーターズがオープンした。
事業主体は横浜インポートマート。敷地面積は約2万m2で、多数のテナントが入居する商業施設である。
ワールドポーターズ 1999(平成11)年12月12日
(横浜市史資料室広報課写真資料)
2002(平成14)年4月、赤レンガ倉庫・赤レンガパークがオープンした。
設計したのは明治政府の官僚建築家である大蔵省臨時建築部長の妻木頼黄(1859~1916)。明治末期から大正初期にかけて作られた建物で、輸入品の保管 場所として使用された。一時期米軍に接収されたりしたが、接収解除後は再び倉庫として使用される。1989(平成元)年に倉庫としての役割を終えた。
その後、横浜市が屋根や外壁の補修工事、構造補強工事を行い、文化・商業施設として整備し、再生させた。重厚なたたずまいは港町横浜の新たなシンボルとして存在感を放っている。
敷地面積は約1万4000m2。運営主体は1号倉庫が(財)横浜市芸術文化振興財団横浜市。2号倉庫が(株)横浜赤レンガ。イベント広場が横浜赤レンガ倉庫共同事業体。
赤レンガ倉庫
2004(平成16)年2月みなとみらい線が開通した。
全長4.1キロメートル。横浜駅から元町・中華街駅までを結ぶ。
事業主体は横浜高速鉄道株式会社。
みなとみらい駅
元町・中華街駅(当時は仮称として元町駅と言われていた)を工事中
(横浜市史資料室広報課写真資料)
2007(平成19)年1月マリノスタウンがオープン。サッカーグラウンドやスタンド、オフィスなどを備えたプロサッカーチーム「横浜F・マリノス」の活動拠点となる施設である。
事業主体は日産グループ。敷地面積は約4万5600m2。
マリノスタウン
2011(平成23)年3月土地区画整理事業完了し、翌年の2012(平成24)年1月にはみなとみらいグランドセントラルタワーがオープンした。
事業主体はMM42開発特定目的会社。敷地面積は約1万3000m2で、約20の店舗やアメニティスペースを含む。
グランドセントラルタワー
……主な建物や出来事を拾っても、さまざま記録を挙げることができる。